#08-The Name

#08-1:awake

目覚め

 う……ん……。


 目が開かない。目蓋が重すぎて。


 それにしても。


 酷い、惨い夢だった。そこから逃げるために、逃げたと証明するために、起きなくてはならない。


 夢だ。


 夢だったんだ。


 だから、これからまた、なんでもない普通の日々が始まるんだろう。


 ヨーンと、エレナと……。


 カティは長く息を吐いた。肺の中に溜まっていた汚れた空気を全て押し出そうとするかのように。長く。長く。


 音がする。複数の人の気配がする。アタシの部屋に? こんなに人がいる? そんなに入れたっけ? 何か大変な事でも起きたんだろうか。


 カティは何とかして力を振り絞って目を開けた。


 白い天井が目に入る。知らない場所だった。仄かに漂ってくるのは、消毒薬の臭いか。聞こえてくるのは、電子音――。


 痺れのような、痛みのような、そんなものが全身を気怠く包んでいる。まるで何日も眠り続けていたみたいに、身体のあらゆる所がうずいた。


 点滴?


 左腕に刺さっている針と、忙しなく動き回っている白衣の女性を見て、カティは自分が病院にいるということを理解した。


 反対側に視線を動かすと、ヴェーラが泣き腫らした顔でカティを覗き込んでいた。隣に座っていたレベッカもまた、目が真っ赤だ。その後ろには、思わず二度見してしまうくらいの火傷を顔面に負った女性将校――階級章では大佐――が立っていた。その隣にはパウエル少佐がいた。


 ヨーンとエレナは?


 カティは訊こうとしたが、喉がヒリヒリするくらいに乾燥してしまっていて言葉にならない。


「カティ……よかった……」


 ヴェーラはそう言うと、カティの胸に縋るようにして声を上げて泣き始めた。


「もう目を覚まさないかと思ったんだよ!」


 なんでそんなに泣く?


 カティは困惑した表情でヴェーラを見、そして、女性大佐を見た。


 あれ?


 見たことがある?


 カティは小さく首をひねった。その泣きそうな表情、どこかで――。


「私は、エディット・ルフェーブル大佐。あなたに会うのは二度目よ、カティ・メラルティン」


 女性大佐は流れるようなアルトで、そう言った。


 二度目?


「十二年ぶり。あなたは覚えていないかもしれないけど」


 十二年……。


 そうか、あの時の海兵隊の……。抱きしめてくれた、兵士。


 カティは、ふと息を吐いた。


「覚えて、います」


 カティは擦れた小さな声で言った。女性大佐――ルフェーブルは「そう」と、寂しげに微笑んだ。


「落ち着いて聞いて、カティ・メラルティン」


 ルフェーブルはゆっくりとカティの枕元に近付いてきた。仄かに甘い匂いが、ふわりとカティの鼻腔に入り込む。


「あなたは一ヶ月、眠っていたの」

「い、一ヶ月……?」


 看護師の差し出した水で唇を濡らし、カティは眉をひそめた。


「どういう、こと、ですか?」

「覚えていない?」

「覚えて……?」


 カティはヴェーラとレベッカを順に見た。ヴェーラはカティの手を握り締め、何かすがるような目でカティを見つめてきた。レベッカも同じ目をしている。


「あなたのいた士官学校は、ヤーグベルテ統合首都校は、潰滅したわ」

「かい……めつ……?」

「文字通りに」


 ルフェーブルは敢えて何のオブラートも用意せずに、そう言った。カティは絶句する。言葉が出ない。


「あの学校は、もう、ない。それが事実」


 その硬質の声がカティの心に突き刺さる。ルフェーブルは無表情に、乾いた眼球でカティを見つめていた。カティはその視線から逃げるように、目を逸らす。


「ヨーン・ラーセンは……死んだわ」


 端的な宣告。


 それを受けて、カティはきつく目を閉じた。心の底から、身体の奥から、震えがくる。止まらない。ヴェーラがカティの左手をきつく握り締めているのがわかる。それがなければ叫んでいたかもしれない。


 夢じゃなかった。


 夢なんかじゃ、なかった。


 鮮明に、全てを思い出した。


 まただ。また失ってしまったんだ。


 アタシの、大切なものを、またもや。目の前で。


 きつく閉じた目蓋の内側から涙が溢れてくる。震える喉が、嗚咽する。


「エレナは……どうなったんですか」


 カティは尋ねていた。


「エレナ?」


 ルフェーブルは携帯端末を取り出しながら尋ね返した。


「エレナ・ジュバイルというのが同期に」

「……ええと、見当たらない、けど」

「ねぇ、カティ」


 ヴェーラが口を挟んでくる。


「エレナって、誰?」

「なんだって……?」

「同級生、ですか?」


 レベッカまで!?


 これはいったいぜんたい、どういう悪趣味なジョークだ。


 カティは目を見開いた。だが、三人には、そしてその後ろのパウエルにも、ふざけた様子は見受けられなかった。ルフェーブルは何度か自分の携帯端末を操作していたが、やがて肩を竦めて胸のポケットに戻した。


「エレナ・ジュバイルという子はいない。そもそも名簿にいない」

「そんな馬鹿な!」


 カティは思わずルフェーブルの方に身を乗り出した。ルフェーブルは困惑したような表情を浮かべている。冗談を言っている顔ではなかった。


「上級高等部の一年次から四年次まで調べたけれど、空軍候補生の中に、エレナ・ジュバイルという名前の子はいないわ」


 嘘だ。


 カティは自由の利かない腕を叱咤して、ヴェーラの手を振りほどいた。頭を掻きむしればいいのか。喉が切れるまで叫べばいいのか。しかし、今の自分の身体では、そんなことすらままならない。


「まだ混乱してるのよ、カティ・メラルティン」

「自分は正常です、大佐」


 訴えるのも虚しかった。ルフェーブルは悲し気な表情で首を振ると、カティの枕元から離れた。そしてパウエルと二言三言言葉を交わし、そして部屋から出て行こうとする。その直前で一度振り返り、低い声でカティに命じた。


「落ち着いたら六課に出頭しなさい」

「……了解イエス・マム


 カティは短く答え、そして枕に深く頭を沈めた。規則的な電子音が、今は耳に心地いい。


 それから何分かが経過した。ひたすらの沈黙。


 その間に、パウエルが医者と共に出て行き、やがて看護師もいなくなった。室内にいるのは、カティとヴェーラ、そしてレベッカの三人となる。


「……ヴェーラ、ベッキー。さっきのは、冗談、だよな?」

「なにが?」


 ヴェーラは涙を拭きながら言った。レベッカも首を傾げている。その手は外した眼鏡を拭いている。


「エレナの事、知らないはずがないよな?」

「知らない……」


 ヴェーラは困惑した表情で呟いた。カティはヴェーラの手を掴む。


「嘘だ」

「知らないもん」


 ヴェーラは激しく首を振った。レベッカも首を振っている。


「大佐やパウエル教官に何か言われたのか?」

「違うってば! 知らないよ、エレナなんて人」

「きっと混乱してるんだと思います。あんなことがあったから……」

「違う! アタシは!」


 二人の視線に耐えきれなくなって、カティは天井を睨んだ。


 消えたくないと、エレナは言った。


 覚えていてね、とも言われた。


 なのに――。


「あっ!?」


 その時、ヴェーラが声を上げた。レベッカもだ。二人は顔を見合わせる。


「これって……!?」


 二人は同時にカティを見た。その目は見開かれていて、口元が少し震えていた。いつかのように、カティの心の中が見えたりしたのだろうか。


「エレナ……いつも一緒にいた」

「なんてこと……」


 ヴェーラとレベッカが口々に言った。二人の反応に、カティは飛び起き……ることはできなかったが、そうしたい衝動に駆られた。


 レベッカが口元に手を当てながら、呆然とカティを見て、言った。


「忘れていた――なんて」


 よかった。


 カティはゆっくりと息を吸い、それ以上にゆっくりと吐いた。


 お前にはちゃんと名前があるぞ、エレナ。


 今はそれだけでもう十分だった。


 それ以外を受け止めるには、カティの心は傷付き過ぎていたから。


「なぁ、二人とも」


 カティは遠のく意識の中で、ヴェーラとレベッカに声を掛けた。


「一緒に、星でも見に行こう……か」


 そう囁いて、そのまま眠りの闇へと落ちて行った。













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