存在のために。

 どういうことなんだ……?


 カティは焦っていた。


 突如現れたF102イクシオン


 それは一瞬の迷いすらなく、カティの機体の後ろについて照準を合わせてきた。撃っても来た。それはまるで「はじめよう」とでも宣言しているかのようだった。


 誰が乗っているのか。そしてなぜ自分を撃ってくるのか。


 わけがわからなかった。


 あの謎の薄緑色の光を見て以後、地上からの対空砲火は嘘のように沈黙した。そこまでは良かった。おかげでまだ、生きている。


 しかし今、後ろにぴたりとつけているF102イクシオンは明らかに敵対的行動をとっていた。


「誰が乗っている!」


 無線で交信しようにも、ジャミングのおかげで上手くいかない。


 校舎を掠めるようにして飛び、射線軸から逃げる。しかし、距離を離せない。まるで物理的に貼り付いてでもいるかのように、一定の距離を保ってついてくる。それが酷く不気味だった。無駄弾を誘ってみたが、乗ってこない。正確に短時間の連射を撃ち込んでくる。幸いにも今のところは全弾回避できてはいたが、長くは持たない。耐Gスーツも着ていない以上、無茶な機動は取れない。シミュレータではないのだから、レッドアウトやブラックアウトを起こしたら文字通りに死ぬ。


『存在のために――』


 不意にヘルメットの中に声が届いた。無線とはまた違う。何か別の手段で届けられた声だ。無線を受信しているはずのヘッドフォンからは、ノイズとアラート音が絶え間なく聞こえているだけだ。


 頭の中に直接響いているかのようだ。


 カティは首を振り、意識を集中しようとする。


『私は、あなたを――』


 この声は誰の声だ。聞いたことがあるような気がする。でも、


 幻聴だろうかとも思った。あれだけの修羅場を経験し、愛する人を失った。幻聴が聞こえてきたって不思議もない。


『私は、消えたくない――』

「なんだってんだ!」


 カティは大声を出した。


 その途端、撃ってきた。その直前にカティの腕は勝手に動いて機体をロールさせていた。そのまま旋回――レベルターン。校舎を中心にみながら、ぐるりと半周する。敵機は追ってくる。


 二機の動きがシンクロする。まるで影のように離れない。

 

 カティは機体を水平に戻す。ピッチを上げる。機首がグイと引き上げられる。翼が風を蹴り上げる。


 オーグメンタ点火。


 機体後部から爆発したかのような衝撃が伝播。カティの胸の中の空気が一気に押し出される。軽く酸欠状態になり、カティは喘ぐ。


 深呼吸。


 深呼吸――。


 後ろを振り返ればそこにはまだF102イクシオンがぴたりと付けている。赤と緑の翼端灯が必要以上に眩しく見えた。


 カティは舌打ちした。背筋が粟立っている。名状し難い何か。恐怖のような何か。


 空を駆け上がりながら、呼吸を少し止める。


 美しい夜空が視界いっぱいに広がった。


 さらに上昇。空気がどんどん澄んでくる。


 機体をひねって背面飛行。地上がすごく遠くに見えた。


 百八十度ロールして、天地を戻す。そして急降下。


 空が頭上に消えて行く。敵機はまだ後ろにいる。ダンスでもしているつもりか。


 地上まで三百メートル。アラートが煩い。実に騒がしい。


 百メートル。翼が軋む。浮き上がりたいと叫んでいる。


「黙れ」


 ――カティは呟き、その衝動を強引に押さえつける。頭が微かに痛かった。


 右手が勝手に動いた。操縦桿を左に倒し、そして、手前に大きく引き込んだ。右のラダーペダルを踏みこむ。すぐに離す。


 操縦桿を戻し、すぐにまた手前へ。


 敵機が正面に見えた。


 瞬間的に操縦桿を右に倒しながら押し込んだ。機体がゆらりと機首と右翼を下げた。敵機はカティとは逆方向にロールしながら、背面状態から機関砲を撃ってきた。


 カティの頭上数メートルの所を機関砲弾の束が通過していく。その衝撃波を受けて、機体が激しく波打った。食らわなかっただけマシ――カティはそう呟いた。


 カティの右手の人差し指は、赤いボタンの上でじっと息を潜めて静止している。


 まだ撃つタイミングじゃない――。


 コックピットがすれ違った。カティは右斜め上にそれを見た。


 計器類が発する仄かな光の中に、女がいた。自分と同い年くらいの、女だ。彼女もまた自分の方を見ていた。縋るような目だった、と思う。


「お前は、誰だ!」


 たまらずカティは叫んだ。不快感があった。胸の中を満たしていた。


 何かとても大切なことを忘れている。そんな気がした。落ち着かない。


「やめるんだ……! もう終わった」


 あの薄緑色の光の中で、全て終わったんだ。


 カティはなぜかそう確信していた。


『消えたくないから――』


 彼女はそう言った。


 頭がおかしくなりそうだ。幻聴にも程がある。


 撃ってきた。回避する。敵機を後方に視認。上昇。


 星は近付かない。ただ鮮明になるだけ。


 ピッチアップ。進行方向垂直角。胴体ブレーキからの、失速。翼が悲鳴を上げる。カティの背骨もまた悲鳴を上げた。肋骨と大腿骨がギシギシと軋んだ。奥歯を噛み締める。口の中で異様な音が鳴った。歯が欠けたのかもしれない。鉄のような不愉快な臭いが鼻をつく。


 地面は頭上にある。アタシは空に立っている。


 は下から来た。まっすぐ、投槍ジャベリンのように向かってくる。


 あと二秒で撃ってくる――。


 その前に。


 撃たねばならない。


 右手の人差し指が、不意に赤いボタンを押し込んだ。


 曳光弾の輝きが、の機体に吸い込まれた。


 衝突する。


 その寸前、お互いにロールした。示し合わせたように、同じタイミングで。正反対の動きを見せた。


 カティは上半身を捻って後方を見た。そこには左の翼が千切れたF102イクシオンがいた。エンジンから出火もしていた。それでもは上へ上へと昇っていく。


「エレナ……」


 エレナ?


 それは漠然とした名前だった。


『カティ、さよなら……。私のこと、覚えていてね……』


 エレナだ。エレナの声だ。


「エレナ!」


 叫んでいた。声は掠れていた。


 カティはエレナを追いかけようと機体を反転させようとした。


 が。


 空が光った。


「エレナ――ッ!」


 カティは力の限り、その名を叫んだ。

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