アトラクト

 薄暗いシミュレータルームの中で、ブルクハルトはセイレネスシミュレータの二つの筐体と、内部の状況をモニタしているディスプレイを交互に睨みつけていた。異常はない。だが、何が起きるのが正解なのか、ブルクハルトは知らない。ただ、フェーンに言われた事を実行しているに過ぎない。


「中尉、何が起きるのですか?」


 部屋の入口を警戒しながら、ジョンソンが尋ねてきた。ブルクハルトは「知らない」と不愛想に答え、キーボードで何事か追加で打ち込んだ。


「だが、何かは起きる」


 ブルクハルトとて焦っていないわけではない。恐怖を覚えていないではない。だが、今は、それ以上に知的好奇心が勝っていた。何かが起きる。そしてそれは、切り札のようなものなのだと。このシミュレータはただのシミュレータなどではないのだと。


「リミッター解除……?」


 不意に現れたコマンドに、ブルクハルトはしばし腕組みをして考え込む。


 リミッターとはどういうことだ? 解除することで何が起きる?


「ジョンソン兵長! 足音です!」


 ドアに耳を当てていたタガートが警告を発する。たちまち室内の空気が緊張を孕む。


「数は」

「一、いや、二……!」


 あの化け物が二匹?


 ジョンソンとタガートは顔を見合わせ、そしてニヤリと笑い、やがて肩を竦めた。


「こりゃ、不味いですねぇ、兵長」

「だなぁ、タガート」


 二人はアサルトライフルを構えつつ、予備の拳銃を確認した。


「ブルクハルト中尉、隠れていてください」

「隠れるって言ってもなぁ」


 言いながら、ブルクハルトはを実行する。何が起きるかなど知ったことか。何も起きなければ全員ここで死ぬだけだ――半ばである。


 ブルクハルトは結局隠れるのを諦め、セイレネスの筐体の横にノート端末を持ってきて座り込んだ。


「中尉、そこは危険です」

「いいんだ、兵長。どこにいたって同じじゃないのか」

「……まぁ、否定はしませんが」


 ジョンソンは苦笑混じりに言った。なかなか胆力のある技術屋さんだ、と、彼は思った。


「せいぜい流れ弾には気を付けてください、中尉」

「了解。君たちの邪魔にはならんさ」


 ブルクハルトは端末の画面から目を逸らさずに言った。


「……ん?」


 二つの筐体から送られてくる信号に変化が生じ始めた。ヴェーラとレベッカの脳波が完全に同調シンクロしているのがわかる。それと共に、シミュレータ内の演算装置が勝手に稼働し始めた。シミュレーションモジュールも幾つか勝手に立ち上がった。


「兵長、何か聞こえませんか?」


 タガートが妙な顔をしながら言った。ジョンソンは左の眉を跳ね上げながら首を傾げる。


「戦闘機のエンジン音、じゃないのか?」


 それはさっきから聞こえている。機関砲による掃射が行われたことも、凄まじい音と衝撃が伝わってきたことからも想像がついた。


「いえ、これは、音楽? いや、歌?」

「こんな時に? 冗談は」

「いや、二人とも。それは冗談でも気のせいでもないと思うよ」


 ブルクハルトが二人の会話に割り込んだ。


「セイレネスが発動アトラクトし始めている」

「アトラクト?」

「そう。僕も資料でしか読んでないけど、実戦配備用の基礎ベーシックモジュールだ」

「小官にはさっぱり意味がわかりませんが」


 ジョンソンは頭を掻いた。その視線が鋭くドアの方へと動く。


「なるべく急いでいただきたい――!」


 その瞬間、扉が蹴破られた。


 ジョンソンとタガートは、同時にアサルトライフルの引き金を引いた。引き続けた。至近距離での一斉射撃の衝撃によって、現れた黒づくめの兵士二人は動きを止められた。だが、致命弾は出ていない。それは明らかだった。


 システムに異常はない。筐体の中の二人には状況は伝わっていないようだ。


 二人の意識は完全にセイレネスに溶け込んでいる。深い睡眠状態にあると言っても良い。今はその状態をキープしておかなければならない――ブルクハルトの技術屋としての思考は冷静だった。


 ジョンソンとタガートはマガジン内の弾丸を撃ち尽くした。マガジンを代えるためのほんの数秒間のうちに、黒づくめの兵士二人は室内に侵入を果たす。ジョンソンが拳銃をその頭部に向けて撃つ。ガンッという激しい衝撃音が走ったが、その兵士は意に介した様子もなく、まっすぐにヴェーラのいる筐体へと向かう。もう一体はレベッカの筐体へと向かって行く。


 ブルクハルトは彼らを見上げ、そして端末を置いて立ち上がった。手には拳銃が抜かれている。


「それ以上近付くな。今、いいところなんだ」


 その言葉を受けて、二人の黒づくめの兵士は顔を見合わせた。フェイスマスクに覆われたその表情はわからないが、意外な敵の出現に戸惑ったのかもしれない。


 その瞬間、ブルクハルトの拳銃から放たれた弾が、ヴェーラの筐体に憑りついていた兵士の眉間を捉えた。だが、効かない。一瞬よろめいたようにも見えたが、それだけだった。だが、その隙をついてジョンソンとタガートが後ろから襲い掛かった。手にした大型のコンバットナイフで、首の装甲の継ぎ目を狙う。二人の丸太のような腕で抑え込まれ、さしものその兵士たちも自由には身動きがとれないようだった。


「くたばれこの化け物ども!」


 タガートが怒鳴りながら、ナイフを敵の顎に突き入れた。それは根元まで突き刺さったようだった。敵の兵士はタガートを弾き飛ばすと、そのナイフを自ら抜き取った。大量の血液が顎から噴き出し、床と黒い筐体を血で染め上げた。その隙を逃がさず、ブルクハルトが駆け寄り、その顎から脳天に向けて拳銃を連射した。ヘルメットの中で頭部が粉砕されていてもおかしくない。それだけの攻撃が一点に集中していた。


 ジョンソンもまた、その兵士と組み合いの末、お互いにナイフを抜いての一騎打ちとなっていた。拳銃のマガジンを交換しながら、ブルクハルトが声を掛ける。


「兵長、時間を稼ぐだけでいい! 仕掛ける必要はないよ!」

「そいつぁ助かります」


 ジョンソンは巧みにナイフを受け流し、あるいは飛び退ってかわし、四撃、五撃とやりすごした。下手に攻撃に出ればやられる――ジョンソンにはわかっていた。


 その時、室内が淡く輝いた。薄緑色の輝きが、二つの黒い筐体から漏れ出していた。ブルクハルトは慌ててノート端末に取り付き、映し出される波形を凝視した。


「美しい……!」


 頭の中で響く。それと端末に映し出されている波形は完全に同期していた。そして自分の意識もまた、まるで第三者のもののように感じられた。自分の背中を自分が見ている――そんな具合だ。視界が歪み、揺れている。規則的に。波のように。


 それは一種のたかぶりをもたらしていた。幸福、と言えば良いのだろうか。とにかく全ての憂いから解放されたというような、そんな気分だ。


 その意識の、精神の高鳴りが収束する。急速に、小さくなり、遠のいていく。


 来る――!?


 津波。


 津波だ。


 室内がまばゆい薄緑色の光で照らし上げられた。


「!?」


 黒づくめの兵士たちの姿が消えて行く。まるで灰が風に飛ばされるかのように、掻き消えていく。


「これが、セイレネス……」


 その光に照らされながら、ブルクハルトは陶然とした表情で呟いた。

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