夜を飛ぶ

 シミュレータ通りにやれば大丈夫。


 カティは涙を拭きながら、コックピット内のセッティングを完了させていく。格納庫の扉は開いている。移動させるのは簡単だ。


 滑走路に出たらすぐに離陸。短滑走で行けるはずだ。


 飛び上がりさえすれば、あとはどうにでもなる。幾ら化け物相手でも、こっちは二十ミリの機関砲を装備している。これを食らえば足止め以上の効果を期待できるだろう。


 カティはなおも溢れてくる涙をぬぐい、鼻を啜りながらも着実に離陸準備を完了させた。格納庫を出たところをサーチライトで捉えられたが、カティは構わずに加速した。パイロットスーツを着ているわけではなかったから、急激にかかったGに思わずくぐもった悲鳴を発してしまう。


 機体はすぐにふわりと浮き上がった。不安定な立ち上がりは、まるで荒れた海に浮かんだ小さなボートのようだった。翼の保持する夜の大気は、あまりにも頼りない。カティはそのスピード感を受けて、冷静さを幾分か取り戻す。左手でキーボードを叩き、即席で機動制御モジュールを組み直した。目に見えない空気の層を強引に掴み、翼で蹴りあげる。


 その時、校舎の方から激しい機銃掃射が行われてきた。だが、当たらない。


 カティはその曳光弾の軌跡を目で追いながら、さらに冷静になっていく。涙はいつの間にか止まっていた。今はただ、飛ぶこと。それに集中する。


 難しくはない。


 シミュレータ通りだ。


 実際に飛んでいるか否か。違いはそれだけしかない。


 カティはコックピットに転がっていたヘルメットを被り、機体の情報をバイザーに表示させて細かなカスタマイズを実行していく。対空砲火は未だ止まなかったが、当たる気はしなかった。F102イクシオンという旧型機でも、そう簡単に対空砲火を食らったりはしない。


「能動暗視ON! 動体目標捕捉システム、レティクル表示!」


 今はこの二つだけで十分だ。たちまち視野が暗視モードに変更される。


 少し首を左に向けると、校舎の屋上が見えた。ゆっくりと上昇し、水平飛行に移行する。装備チェック。ミサイル無し。機関砲、だいたい十秒分――問題ない。搭載燃料、若干。一番近い空軍基地までは飛べるだろう。妥当な待機状態と言えた。


 屋上から銃撃。重機関銃三門と思われる。


 いったん上昇。離脱。


 曳光弾が追ってくる。当たらない、大丈夫。


 ロールしながらターン。逃げるという選択肢はない。


 ナイフエッジ。水平線が垂直位置。


 校舎が倒れて見える。


 重機関銃がこちらを向いている。真正面。口径はおそらく12.7ミリ。食らうわけにはいかない。電子照準への介入。赤外線照準を中和。……性能が低い。頼りない。


 目標捕捉。サブディスプレイに映る熱源および動体目標を左手の人差し指で順にマーク。番号が割り振られる。1、2、3。進行方向から見てそれぞれ十二時、一時、二時の方向。今なら切り上げるように撃ち込めば、一連射で三つの目標を掃討できる。


 距離測定――射撃開始。


 ピッチアップ――射撃終了。


 ターンしながらロール。水平位置。空は頭上。


 右翼を十度下げ。屋上を目視確認。重機関銃、完全に沈黙。ただし、校舎も被弾多数。機関砲の照準にブレがあった模様。舌打ち。


 窓から対空射撃あり。機体のシステムによれば、7.62ミリ。


 だが窓には撃ち込めない。生存者がいる可能性がわずかでもある限り。


 一度格納庫の方へと進路を戻す。明るい。見間違うことはない。


 空は晴天。月は見えない。星はぼんやりと見えた。白いリゲル。赤いベテルギウス。ぼやけた空の中にあって、オリオン座のその二つの星は、なぜだかやけにハッキリと見えた。


 視線を落とす。


 滑走路にサーチライトが当たっていた。その中心に、人。


 黒い重甲冑。右手には巨大な拳銃。剥き出しの素顔――。


 あの男だ。


 ヴァシリー。


 カティは奥歯をギリッと音が出るほど噛み締めた。


 エレナを撃った男。


 カティから何もかもを奪った男。


 目が合った。間違いなく。


 男は哂う。ニヤリと、怖気おぞけのする笑顔。


 敵だ。あいつは、アタシの、敵。


 カティは空中で機体を捻ると、地面に向かって機関砲を掃射した。


 たちまちのうちに弾け飛ぶヴァシリー。20ミリ機関砲弾の前には、重甲冑とて意味を持たなかった。


 あっけない。だが――。


 カティの見ている間に、男は再生する。そして、その拳銃を撃ち放つ。右の翼に穴が開く。機体が激しく揺れる。


「チッ――」


 舌打ち。


 そして逃げる。上空へ。それと同時に、士官学校敷地内随所から、対空砲火が上がり始めた。


「……!?」


 逃げる。ひたすら上へ。星を目指して、飛ぶ。F102イクシオンの年老いた翼が悲鳴を上げる。


 だが、付き合ってもらうぞ……!


 カティは煩いロックオンアラートを意識の外へ追い出しながら、ひたすら上を目指す。薄い雲を突き抜ける。空ががらりと明瞭になる。オリオンが巨大に映った。


 対空砲火が止んだ……?


 機体を水平に立て直し、上下を反転させる。頭上に地上が見える。


「……!?」


 その時、地面が薄緑色に光った。それは強烈な明るさだった。


「オーロラ……?」


 そんな馬鹿な、と思う。


 だが、同心円状に広がっていくその薄緑色の輝きは……。


 その時、カティのレーダーに、F102イクシオンの反応が現れた。

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