別離

 嘘だろ!


 カティは絶叫したい衝動に駆られた。


 格納庫の中に飛び込む、その直前。


 ヨーンが足を撃ち抜かれた。


 慌てて扉を閉めて、ヨーンを壁に寄りかからせはしたものの、その大腿部からの流血は抑えようのない程おびただしいものだった。格納庫の中の照明はまだ生きていて、だからこそその銃創の酷さは一目瞭然だった。太腿の肉がごっそりえぐり取られ、骨まで露出していたからだ。


「これは、しくじった」


 ヨーンは汗を浮かべながら呟いた。顔はもうすでに蒼白になっていた。バケツをひっくり返したかのような勢いで広がる血の海に、カティは完全に取り乱す。


「血を止めなきゃ、止めないと!」

「カティ」


 ヨーンはカティの肩を掴んだ。


「僕はもう、助からない」

「嘘だ! そんなはずがあるか! ここまで来たのに!」

「見てよ、千切れてないのが奇跡だ」

「だめだ、ヨーン! だめだ! だいじょうぶ、死なないから! 死なせないから!」


 カティはヨーンの頭を胸に抱いた。ヨーンも力なく、だがしっかりと、カティの背中に手を回した。ヨーンの体温の大半も、血液と共に流れ出してしまったのではないかというくらい、その手も、顔も冷たくなっていた。


「イクシオンが、待ってる……行って、カティ」

「いやだ!」


 カティは首を振った。カティの胸の中で、ヨーンが笑った。


「この期に及んで、さ」


 ヨーンは力を込めてカティを抱いた。


「もう少し、時間が欲しいって、思うんだ」

「ヨーン……!」


 その名を呼ぶことしかできない。カティは無力さを痛感した。


 そうだ、と同じだ。


 見ている事しか、できない。


 自分は何も――。


「冥王星の話……覚えてる?」

「……ああ」


 何を言い出すんだろうと、カティは眉根を寄せる。ヨーンはどこか陶然とした声で語る。


「冥王星は、月よりも小さくて。でも、大きな、一方的な力には屈しなかったんだ」


 僕はもっと、カティと一緒にいたい……。


 ヨーンはそう思った。でも、きっとそれは叶わないから。


 ヨーンはぐっと喉に力を込める。


「あの惑星ほしは、太陽からあれだけ離れていても、その光を奪われまいとして、さ。脅威だった海王星との間に、軌道共鳴の関係を取り付けたんだ。冥王星は、海王星と絶妙な距離をとって、それでも、自分の場所を――」


 ――しっかりと確保したんだ。


 ヨーンの言葉が音にならない。ヨーンは懸命に力を入れ、意識をハッキリさせようとする。激痛と出血がそれを邪魔しようとしたが、カティの温もりがヨーンの意識を繋ぎ止めていた。


「行くんだ、カティ」


 ヨーンは全身の力を込めて、カティを突き放した。カティは血の池の中で尻もちをつき、ヨーンを呆然と見つめた。ヨーンも霞む視界で、それでもしっかりと見つめ返し、もう一度言った。


「行くんだ」


 そう言われた途端、カティの頬を涙が滑り落ちた。カティは慌てて涙を拭き、唇を噛み締めて、またヨーンを睨むように見つめた。


「怖い顔を、しないで。カティ、大丈夫。僕は、君と一緒にいる」


 ヨーンは力尽き、どさりと倒れた。


「ヨーン!」


 カティは駆け寄り、そしてまた抱こうとした。


「行って。僕の代わりに、星を――」

「ヨーン!」


 カティは叫んだ。その絶叫はだだっ広い格納庫の中を幾重にも反響した。


「空を……飛んで……」


 それがヨーンの発した最後の言葉だった。


 耳に届くカティの声は、もう理解できなかった。まるで子守歌のように静かに、ヨーンの中に染み込んでいく。心残りがないといえば嘘になる。


 でも、僕はまだ幸せだ。


 僕は、カティの記憶の中に残り続けるだろうから。


 あの小さな惑星みたいに――。

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