1725時

 遠い。途轍もなく遠い。歩きなれたはずの道。すぐそこだと感じていた道。それが限りなく遠い。


 ヴェーラは後ろで大きな銃声が何度か響いたのを聞いていた。それが何を意味するものなのかは――考えるのを拒否した。


 前に進んでいるのかいないのか。それすら判然としない暗い廊下の中で、頼りになるのは前を行くジョンソン兵長と、隣でしっかり手を繋いでくれているベッキー。そして後ろをしっかりと守ってくれているタガート一等兵、この三人だった。


 ベッキーが手を握ってくれていなければ、わたしは前になんて進めなかったかもしれない。


 ヴェーラはそんなことを思う。心はとっくに麻痺していた。あまりにも多くの死体を見てきてしまったからだ。ヴェーラたちも回り道をしながらようやくここまで辿り着いたのだが、途中何度も危ない目に遭った。レクセル大尉は四人を先に行かせるために、あの重甲冑を身に着けた敵兵士に単身向かって行った。


 視界が滲む。頭が痛い。呼吸が苦しい。息が熱い。


 ヴェーラは震える足を叱咤し、レベッカの左手をしっかりと握り直す。


「もう少しです、頑張ってください」


 ジョンソン兵長が油断なく周囲を見回しながら、努めて明るい声で言った。


 知ってる、もう少しで辿り着ける。


 でもそこで何をすればいいの?


 ヴェーラには分からない。


 そうこうしている間に、四人はシミュレータルームに辿り着く。この士官学校最奥部とも言える部屋は、しんと静まり返っていた。散発的に聞こえてきていた屋外の銃声も、この部屋にまでは届かない。


「鍵は……空いてる」


 ジョンソン兵長が慎重にドアを開け、素早く中に滑り込んだ。


「クリア。タガート、二人を中に」

「了解」


 タガートはヴェーラとレベッカを室内に押し込むと、再度外を点検して自分も中に入ってきた。


 室内にいたのはブルクハルト中尉ただ一人。彼はモニタールームにて何かの設定を必死の形相で行っていた。


「ブルクハルト教官!」


 ヴェーラがガラス越しに呼びかけると、ブルクハルトはようやく顔を上げた。その顔に安堵が浮かぶ。


「無事だったか、二人とも。怪我は?」

「ありません」


 ヴェーラとレベッカの声が重なった。


「よかった。じゃぁ、さっそく筐体に乗って」

「でも教官、わたしたち、何をすれば」


 ヴェーラが不安げな表情で尋ねる。ブルクハルトは首を振る。


「わからない。ただ、非常事態が起きた時は、君たちをこれに乗せろと言われている。そして僕には出力リミッターを解除しろと」

「フェーン少佐が?」


 ヴェーラは尋ねながらも黒く巨大な箱――筐体に乗り込んだ。


「そうだ。フェーン少佐の命令だ」

「……わかりました」


 ヴェーラが答えるのと同時に、二人の筐体の蓋が閉まっていく。


 無音の空間の中に、完全なる闇の中に、ヴェーラの姿はあった。自分で自分の指先すら見えないほどの暗闇だが、不思議と落ち着くような何かがある。


「ヴェーラ」


 突然レベッカの声が聞こえてきた。


「ベッキー?」

「そうよ」


 闇が突然輝いた。あまりの眩しさに、ヴェーラは悲鳴を上げて目を覆った。


 やがてその輝きが収まり、ヴェーラは手をどけて目を開く。


 純白の空間に、ヴェーラは座り込んでいた。傍らにはレベッカが立っている。


「ここは……」

「わからないけど、セイレネスの――」

「論理空間……?」

「みたいね」


 レベッカは頷いた。ヴェーラはレベッカの手を取って立ち上がる。


「これがセイレネスの本当の姿なの?」

「かもしれないわね」

「どうすればいいんだろう?」

「わからない」


 レベッカは首を振る。


 その時、再び空間が闇に落ちた。ブレーカーが落ちたみたいに。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 捕まるもののない世界。縋る人のいない空間。


 この闇は――無限に続く。


 すべての音は、心は、闇に溶けていく。


 何が起きる?


 何ができる?


 何をするべきなの?


 わたしは、何をするためにに……?

 

 意識が深淵の奈落へと落ちていく。吸い込まれていく。


 深く、深く――。


 星のない夜空に打ち捨てられたかのように。


 どこまでも、螺旋を描いて。


 ちるように。


 そして――。


 意識が――。



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