1715時

 フェーンはやっとのことでヴェーラたちと合流した。


 幸運にも階段を降りたところで海兵隊の一部隊と合流することができ、彼らの援護でヴェーラたちのいるであろう方向へと脱出できたのだ。後ろで響いていた銃撃音は今やすっかり聞こえなくなった。そしてそれが意味するところは、味方部隊の全滅だった。


「レクセル大尉はどうした」


 フェーンはヴェーラとレベッカの前後を挟んでいる二人の海兵隊兵士――ジョンソン兵長とタガート一等兵――に尋ねた。ジョンソンが浅黒い顔をしかめて応じる。


「大尉は、我々を先に」

「……そうか」


 事情を理解したフェーンは、それだけ答えた。レクセル大尉はフェーンの戦友の一人であった。だからこそ、この非常時に備えて特別な指示を出しておいたのだ。そしてその任務は間もなく完遂されようとしている。シミュレータルームに辿り着ければ――。


「フェーン少佐、あの」


 ヴェーラがフェーンの方へ一歩近付いた。フェーンは右手でそれを制して言う。


「心配するな。お前たちは何としてでも無事に送り届ける」

「いえ、そんなことより左手……」

「ああ、これか」


 重傷を負っている左腕を見て、フェーンは苦い表情を見せる。


「たいしたことはない。それよりも早く先に」

「でも少佐、その傷は……!」

「黙れ!」


 フェーンは力の限り怒鳴る。その大音声に、ヴェーラとレベッカは首を竦ませた。フェーンの額に大粒の汗が浮かび上がる。


「人には各々やるべきことがある。お前たちのするべきことは、シミュレータルームへ辿り着き、セイレネスを起動させることだ」

「起動させて、どうすれば……」


 レベッカが不安げに尋ねる。フェーンは右手の銃を確認しながら不愛想に答える。


「セイレネスに訊け」


 ――と。


「そんな……!」


 文句を言いかけたレベッカを無視して、フェーンは二人の海兵隊員を呼んだ。


「目的地は大丈夫だな?」

「イエッサー、問題ありません。何としても連れて行きます」

「よろしい。頼んだ」

「了解であります、少佐殿」


 ジョンソンは敬礼すると、ヴェーラとレベッカに先んじて前に進む。タガートは三人の後ろについた。ヴェーラが振り返り、かすれた声で言う。


「でも少佐を置いては行けないよ」

「敵が近付いてきている。足止め係が必要だ」


 フェーンは苦し気な呼吸を隠し切れず、とぎれとぎれに言った。それを聞いたタガートがフェーンの前に戻ってくる。


「それなら自分が足止めを」

「お前たちが護衛するんだ。俺は手負いだ、足手まといになるだけだ。いいな、命令だ」


 フェーンは貧血でぼんやりし始めた意識を叱咤しながら、厳しい口調でそう言った。タガートは眉間に皺を寄せたが、何も言わずに敬礼してヴェーラたちの所へと戻って行った。


「そうだ、一等兵」

「なんでしょうか、少佐殿」

「生きて出られたら、ルフェーブル中佐に伝えてくれ。逃がし屋のルフェーブルだ」

「存じております」


 タガートが沈鬱に答えた。フェーンは「うむ」と頷いた。


「俺の誕生日は、もう忘れてくれていい。それだけだ」

「……了解致しました」


 タガートはそう言うと、踵を返してヴェーラたちを追いかけて行った。


 彼らの姿が見えなくなると同時に、フェーンは壁に背を付けて、敵の兵士の接近を待った。濡れた足音はさっきから聞こえていた。しかもそれは三つに増えていた。どう考えてもフェーン一人で防ぎきれるものではなかったし、そしてフェーンの手にあるのは拳銃が一丁だけである。冗談のような装備格差だった。


 暗い廊下の向こうに、いよいよその三名の兵士の姿が見え始める。全員が重甲冑を身に着けていたが、先頭の一人はフェイスマスクを着けていなかった。


「お前……!」


 距離、五メートル――。


 彼らはそこまでフェーンに接近してきていた。


 暗いとはいえ、お互いの顔がはっきり見える距離だ。


「ヴァシリー……お前なのか」

「久しぶりじゃないか、アンディ」


 その男はニヤリと笑うと、手にした大型の拳銃をフェーンの右ひざに向けて撃ち放った。それは正確にフェーンの膝を破壊し、膝から下を吹き飛ばした。フェーンは崩れ落ち、あまりの激痛に目を回した。


「お前は、死んだはずでは……」

「死んだ?」


 ヴァシリーは左手の人差し指でこめかみの辺りを掻いた。


「ああ、アレか。アレは俺のダミーだ。人形みたいなもんさ」

「なんだと……?」


 遠のく意識を必死で繋ぎ止めて、フェーンが睨む。ヴァシリーは「まぁまぁ」と両手を広げて肩を竦めた。


「本当の俺は、今から十二年も前に死んでいるからな。お前の知っている俺が、本物の俺だとして、だがね」

「……どういう、ことだ?」

「どうもこうもない」


 ヴァシリーは冷たい声で言う。


「十二年前の第三次ユーメラ沖海戦。あれで俺は死んだ。その時に、悪魔に憑りつかれたのさ。勧誘された、というべきかもしれんがね」

「悪魔に……? 何を言ってる」

「事実さ」


 ヴァシリーはふと表情を緩め、そして後ろに続いていた兵士二人に、先に行くように促した。


「待て、行かせんぞ」


 フェーンが拳銃を撃ち、それは一人の背中の装甲板を傷つけたが、フェーンに出来たのはそこまでだった。フェーンの右手の手首から先が消し飛んでいた。ヴァシリーに撃たれたのだ。床にうずくまり激痛に呻くフェーンを、ヴァシリーは見下ろしている。フェーンは息も絶え絶えになりながら言った。


「……悪魔に誘われて、ゴーストナイトか……笑わせてくれる」

「この期に及んで減らず口か。相変わらず、アンディらしいぜ」


 ヴァシリーはその装甲靴でフェーンの腹を蹴った。


「何のために」


 フェーンが胃液を吐きながら言った。ヴァシリーはフェーンの頭を踏みつけながら、右の眉を跳ね上げた。


「なぜこんなことをするのか、か?」


 そしてフェーンの額にかかとを落とす。額がぱっくりと割け、大量の血が流れ出た。フェーンの目はもはや虚ろだったが、それでもまだ生きていた。


「勘違いしてもらっては困るぜ、アンディ。俺は歌姫なんかには関心はねぇよ。ただ、殺したい。それも極力惨たらしく。今の俺は殺人衝動で動いている。それだけだ」

「昔のお前はそんなのではなかった」

「人としての頸木、バカげた倫理。俺はそれから解き放たれた。恐れるものが何もない、この存在になってみろ。お前だってそうなるだろう」

「冗談ではない」


 フェーンは霞む視界の中でも、しっかりとヴァシリーを睨み据えていた。


「俺はそうはならん」

「あの傷女スカーフェイスがいるからか?」

「……かもな」


 フェーンは苦笑する。ヴァシリーも似たような表情を見せた。


「失えば、その絶望もわかるってことか。だがまぁ、お前はもう死ぬだけだがな」

「ふん。今さら悪魔が囁いたとて、聞く耳は持たん」


 フェーンは顔を踏みつけるヴァシリーを睨んだ。


「エレナは、貴様の妹と名乗る女がいるが、あれは、どういうことだ」

「ふはははは」


 ヴァシリーはさも可笑しそうにわらった。


「あれはちょっとした余興だ。ミスティルテインをマークするためでもあるみたいだがな、そっちの方は良くは知らん」

「ミスティルテイン……?」


 まずいな、もう意識が持たない。


 フェーンは、大きく息を吐き出した。もう吐いた分を吸う事すらできない。


「さぁてね」


 ヴァシリーはそう言い、フェーンの額にその大口径の拳銃を突き付けた。


「それで思い出した。俺はを片付けることにしよう。久しぶりに顔も見たいしな」


 そして躊躇いもなく、その引き金を引いたのだった。





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