1655時

 カティ、エレナ、そしてヨーンの三名は、連れ立って食堂の方へと向かっていた。電話やネットが繋がらなくなり、周囲が騒然とし始めていた。軍人たちが大声を上げて候補生たちを誘導していく。


「おい、お前たち」


 避難誘導を行っていた陸軍中尉がカティたちを呼び止める。


「避難経路はこっちじゃない」

「しかし」

「非常事態だぞ。誘導に従え」


 カティの反論もむなしく、カティたちは候補生たちの列に並ばされる。


「これは参ったね」


 ヨーンが携帯端末を弄びながら呟いた。エレナは早々に諦めて、黙ってカティとヨーンの後ろをついてきている。


 その時だった。カティたちは反射的に耳を塞いで身を伏せた。今まさに出ようとしていた玄関の外で、連続的な爆発音が響いたのだ。


 重機関銃……?


 カティの意識の一番浅いところまで、あの漁村襲撃事件の記憶が浮上してきた。たちまち顔面蒼白になったカティの右肩に、ヨーンがそっと手を置いた。


「大丈夫だ。大丈夫……」


 カティは自分に言い聞かせるようにそう言い、ヨーンの左手を強く握りしめた。後ろから、エレナの溜息のような何かが聞こえてきた。


「こっちは危険だ、引き返せ」


 さっきの陸軍中尉が後ろで怒鳴っている。カティたちは一も二もなく、頭を低くしたまま中尉の方向へ、つまり、食堂方面へと移動を開始する。その間にも、屋外での銃撃音は鳴り止まない。陸軍や海兵隊からも撃ち返しているようで、数種類の銃撃音が混じり合っていた。その中には悲鳴や怒号の類も含まれている。


「ねぇ、カティ」


 エレナが後ろから声を掛けてくる。


「私たち、どこに逃げるの?」

「指示に従うしかないんじゃないか?」

「そんなこと言ったって、さっきの中尉さんも下士官引き連れて出て行っちゃったわよ?」

「……ともかく食堂へ行こう。ヴェーラたちがいるかもしれない」


 カティの提案に、ヨーンが「いや」と首を振る。


「食堂方面はとっくに避難していると思う。それにあの子たちは、最優先防衛目標になっているはずだよ」

「じゃぁ、どうしろって」

「飛行場、かな」

「飛行場?」


 カティが聞き返したのとほぼ同時に、近くの窓ガラスが粉微塵に吹き飛んだ。迫撃砲の類が着弾したらしい。三人はお互いの無事を確認して、そして硬直した。


 後ろに続いていた十名ばかりの候補生たちが血まみれで倒れていたからだ。ガラスの破片でやられたらしい。


「大丈夫か、お前たち!」


 カティは一番近くに倒れていた候補生の顔を覗き込んだ。が、彼女はもうすでに死んでいた。頸動脈がぱっくりと割けていた。近くで呻いている男子は顔面に無数のガラス片が突き刺さり、出血がひどかった。眼球から脳へダメージが及んでいるであろうことも一目でわかる重症だった。


「くそっ」


 カティは歯噛みする。倒れている候補生たちはいずれも重症か即死だった。カティたちも彼らを一歩先んじていなければ、同じ運命を辿っていただろう。


「カティ、ここは私たちだけでも逃げるべきよ」

「しかし、彼らを放っては」

「私たちも死んじゃうわよ、そんなことしてたら。それに」


 エレナは立ち込める血の匂いに顔を顰める。


「それにね、私たちじゃ何もできやしないわ」

「僕もジュバイルの意見に賛成だ」


 ひっきりなしに響く銃撃音や炸裂音をBGMに、ヨーンが言う。その静かな声は、カティの殺気立った神経を幾分か落ち着かせた。


「……すまん」


 カティはなおも呻いている候補生たちに囁き、そして先頭に立って歩き始める。燃えるような赤毛を揺らして歩くその様は勇壮で、銃弾も爆風も、カティを傷つけることなどできないのではないか――と、ヨーンは妄想したほどだ。


 ここから飛行場の格納庫まで行くには、急いで行っても十分程度はかかる。しかし今はまっすぐに中庭を突っ切っていくというわけにも行かない。屋外に出るくらいなら、かなりの遠回りにはなるが、校舎内を通った方がまだ安全だろうという判断をカティたちは下した。


 銃撃音は近くもならず遠くもならなかったが、激しさが増してきているのは間違いなかった。度々迫撃砲のようなものが中庭や校舎に着弾しているらしい音や振動も伝わってくる。


 すっかり硝煙臭くなった空気を払いながら、エレナがカティの肩を叩いた。


「ちょっと待って、カティ」

「どうした」

「ちょっと静かにして」


 その指示に、カティとヨーンは顔を見合わせて口を噤んだ。


 屋外の銃撃音の狭間で、軽い銃声が二度、三度と響いた。その音源は遠くはない。女子の悲鳴も響いたが、すぐに止んだ。カティは眉間に皺を寄せる。


「侵入してきているのがいるってことか?」

「そうみたいね」

「これは、僕らも武器が必要だね」


 ヨーンはカティを追い越して先頭に立つ。カティはおとなしくその後ろについた。エレナはしんがりだ。


「隠れて」


 ヨーンはカティとエレナの手をとり、階段室の方へと引き込んだ。彼らの目の前を候補生たちが数十人、走り抜けていく。


「あいつらと一緒に行った方がいいんじゃないか?」

「いや」


 ヨーンは明確に首を振った。


「既に内部に敵がいるんだとしたら、彼らは目立ちすぎる」

「でも、徒党を組んでたほうが安全じゃないか?」

「いや、そうでも――」


 候補生たちが走っていった方向から、陸軍の兵士が現れる。ざっと十名ばかりが廊下に並び、即席のバリケードを作ろうとした。その中の一人が顔を覗かせていたカティに気付く。


「候補生、何をしている。早く行け」

「今、どんな状況なんですか?」


 エレナがカティを押しのけて前に出る。その陸軍の兵士はライフルの装弾を確認しながら、淡々と答える。


「正体不明の敵部隊がここに攻撃を仕掛けてきている。既に侵入されていて、随所で戦闘が発生している。候補生たちの被害も甚大だ」

「戦況は――」

「ここから退がれ! こっちはすでに一個大隊やられている」

「えっ!?」


 三人は絶句した。


「あいつらは圧倒的――」


 その時、至近距離で重機関銃の銃撃音が鳴り響いた。たちまちのうちに兵士たちが打ち倒され、バリケードも敢え無く砕け散る。


「ちっ、お前たち、あいつらと戦おうと思うな。勝てる相手じゃない」

「あなたも一緒に行きましょう」


 エレナが階段室から飛び出して言った。兵士は壁に背を付けながら言う。


「そのまま階段で上に行け。この廊下は無理だ」


 その間にも、重機関銃の銃撃は続き、遂に兵士はその一人だけになった。廊下には引き裂かれた肉片が散らばり、血の池が広がっていた。


「クソッ、いいからお前らは早く行け」

「しかし!」


 カティとエレナが同時に叫んだ。しかし、ヨーンは二人の前に立ち塞がり、首を振った。


「ここはあの人に従うべきだ。急ごう」


 三人が二階に辿り着いたのとほぼ同時に、一際激しい銃撃音が階下で響いた。それは二秒も持たずに沈黙に変わり、音はぱたりと止んだ。


 二階に上がったすぐのところには図書室があったのだが、そこでは火災が発生していた。付近の廊下を含め、スプリンクラーが盛んに水を撒いていたが、火の勢いは強く、全く効果が上がっていない様子だった。


「ガソリンの臭いね、これ」


 ハンカチを口に当てながら、エレナが呟いた。カティはグッと歯噛みする。


「まさか火炎放射器か?」

「だろうね。火の勢いが強すぎる」


 ヨーンは言い、廊下の角から慎重に顔を出す。銃声は校舎の内外で絶え間なく続いていたが、今はそれよりも階下にいるであろう重機関銃を持った敵の事が気になった。


「よし、行こう」


 空中回廊になっている廊下を通れば、その先は研究棟だ。隠れるところはたくさんある。そこに至るまでの道が一番危険であろうと推測できた。このあたりには隠れる場所が大部屋の教室しかないのだ。


 すぐそばの講義室で悲鳴が響く。


 ヨーンは瞬時に手を横に上げ、カティたちの動きを止めた。


 空間が沈黙する。


 その直後、爆発音が響いた。カティたちに届いた悲鳴は、もはや断末魔だった。


 断末魔――。


 カティは反射的に耳を塞ぐ。十二年前の記憶がカティの判断力を奪おうとする。生ぬるい爆風がカティたちの所にも届き、その血と火薬の臭いに思わず意識が遠くなる。


「まずいな」


 ヨーンは進むか戻るかの判断を迫られていた。進めば今の爆発を起こした敵がいるだろうし、戻れば重機関銃を持った敵が追いかけてきているかもしれない。いや、追いかけてきている。後ろから重たい金属の音が聞こえてきた。それは着実に近付いてきている。カティは首を振って、混乱しかけている思考を打ち払い、そして言った。


「ヨーン、進もう」

「……わかった」


 ヨーンは再び先頭を行こうとする。


 ガシャン――。


 階段室の方から大きな音がした。その瞬間、エレナがカティとヨーンを突き飛ばした。倒れ込んだ三人の頭上を、熾烈な砲火が通り過ぎて行った。


 ヨーンは振り返ることもせずにカティとエレナの腕を掴むと、さっき爆発の起こった部屋の中に二人を放り込んだ。ヨーンもすかさず飛び込んだが、それが一秒でも遅かったならば、ヨーンもまた犠牲者の仲間入りをするところだった。


 そして部屋の中は、まさに死屍累々だった。原型を留めていない死体が部屋の電子黒板の下あたりに折り重なって山となっていた。その部屋の中には敵の姿はない。既にどこかへ行ってしまったのだろうか。だが、安心はしていられない。廊下の方にはまだ、あの重機関銃を撃ってくる敵がいるのだ。ガシャンガシャンと物々しい金属音を立てながら、それが歩いてくるのが分かる。


「さて、どうしたものか」


 カティは屍たちから目を逸らしながら呟いた。だが、その額には脂汗が浮き、唇は戦慄わなないていた。過去に見た景色と今のこの光景が重なり合い、カティの正常な思考力を奪い去りつつあった。


「とにかく、ここから出ないとどうにもならないけど」


 ヨーンは意を決したように屍の山に近付き、やがて三丁のアサルトライフルを掘り起こした。その血と肉片にまみれたライフルの持ち主は、この屍の中にいるに違いない。ヨーンはカティとエレナにそのライフルを手渡し、そして硬直した。その様子に気付いたエレナとカティは、同時に振り返る。


 そこには兵士が一人、立っていた。手にしているのは火炎放射器だった。真っ黒な重甲冑コンバットアーマーに身を包み、顔もガスマスクのようなもので覆われていて見ることができない。ただ低い呼吸音のようなモノが、カティたちの耳に届いてくる。火炎放射器の筒先に、種火が揺れている。


 火炎放射器――両親を焼いた兵器だ。


 カティは唾を飲み込み、そしてその時にはもうアサルトライフルの引き金を引いていた。弾丸は正確にその黒づくめの兵士に直撃した。しかし、ダメージを受けている様子はない。その重甲冑の防御力の前には、5.56ミリの弾丸は無力だった。


「ミスティルテイン……」


 絞り出すような声で、それが喋った。その表情は見えない。


 それが火炎放射器を持ち上げた。その砲口がカティたちを捉えた。








 


 



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