星明かりの下で

 三人が消えて行った食堂の出口辺りを見ながら、「そうだなぁ」とヨーンは少し考え込む。


「……僕たちも夜食でも調達しにいこうか」

「食欲、ないし」


 どうしたら良いのかわからず、カティはその場で硬直していた。ヨーンはゆっくりと立ち上がり、ポケットから車のキーを取り出した。


「ドライブなんて、どうかな?」


 そんな提案をするヨーンの方を見ることもできない。なぜだか判然としなかったが、とにかくカティはヨーンの顔を見ることができなかった。


「と、遠出はできないだろ、さすがに」

「近場でも良いんだけどね」


 ヨーンはポケットにキーを戻し、カティの隣にやってきた。カティは相変わらず棒立ちのままだ。


「じゃあさ、星の話でもどうかな」

「……星?」


 脈絡なく出てきたその単語に、カティは思わず反応した。その弾みでカティはようやくヨーンの顔を見ることに成功する。視界をゆらりと邪魔する前髪の向こうにて、ヨーンは思案顔で腕を組んで、右手の親指と人差し指で自分の顎を摘んでいた。


「星の話って?」

「僕はさ、天体物理学の博士号持ってるんだよ。忘れられてると思うけど」

「そうだったっけ」

「そうなんだよ」


 困ったような顔で苦笑するヨーンに、カティはなんだか申し訳ない気持ちになる。気付けば食堂の中は閑散としてきていて、照明も順次落とされていっている所だった。二人は仕方なく出口に向かって歩き始める。


 ヨーンの先を歩くカティの真っ赤な髪が、まるで炎のように揺れていた。どこをとっても凛々しいとしか言えないカティの姿に、ヨーンはしばし目と意識を奪われる。戦の女神なんてものがいるとすれば、それはきっとカティにそっくりに違いない、と。


「急に寒くなって来たな」


 カティはヨーンを振り返る。その白皙の顔立ちは、薄暗い中でもやはり美しかった。


「そうだね」


 ヨーンはそう言うと、カティの隣に並ぶ。お互いにお互いに近い方の手はフリーであったが、それだけだった。手の甲が触れ合っては、どちらかが少しだけ手を引く。そんな間合いだった。


「嫌だったら、殴ってくれて構わない」


 食堂から出て、駐車場へと向かう道すがら、ヨーンはそう言った。周りにはもう誰もおらず、廊下の照明も暗い。窓から差し込んでくる月の明かりが、二人の緊張した表情を薄闇の中に浮かび上がらせている。


 ヨーンは意を決してカティの右手を握った。カティは驚き、反射的に手を引っ込めてしまう。


「な、なにを」

「ごめん、嫌だった?」

「嫌とかそういうのは別に、ないけど」


 カティはじわりと汗をかいた右の掌を上着の胸あたりで拭いた。


「びっくりした」

「ごめん」


 ヨーンは謝り、そして歩き出そうとする。カティは慌ててヨーンの隣に並び、自分の右手を前に突き出した。


「握りたいなら、握っても……構わない」


 カティのその物言いに、ヨーンは思わず笑った。


「いや、いいんだ。僕ら、まだそういう関係じゃないんだよね、きっと」

「え?」

「でも、僕は……」


 ヨーンはカティの右手を左手で握り、さらにその手の甲に右手を重ねた。


「僕は、君が好きなんだ」

「え? えっ? ええっ!?」


 目に見えて狼狽うろたえるカティに、ヨーンはまた困ったような微笑を浮かべる。


「だから、ごめん」


 ヨーンは不意に、カティを抱きしめた。


「ええっ、あの、えっと、ヨーン!?」

「ごめん、ずっと、こうしたかった」


 ヨーンは離れない。全身の力で抱きすくめられ、カティは思わず爪先立ちになってしまう。ヨーンの頬と、カティの頬が触れ合った。


「カティ、僕は」

「誰かに抱きしめられたのは、以来だ」


 金髪の女性海兵隊員。生き残ったカティを抱きしめ、涙を流していた兵士――。


 その時以来、十二年間、カティは誰かに抱きしめられるという経験をしてこなかった。


「殴っても構わない。でも僕は」

「殴るもんか」


 カティは少し笑った。その吐息がヨーンの耳朶に触れる。


「殴らないよ、アタシ」

「……いいのかい」

「アタシは、抱きしめる側の人間だと思っていたから、驚いただけ」


 カティはヨーンの背中に手を回し、その背中を掌で感じようとする。


「温かいな、ヨーン」

「緊張で心臓が爆発しそうだよ」

「アタシも」


 カティはクックッと喉の奥で笑う。

 

「ヨーン」

「うん?」


 ヨーンはゆっくりと身体を離した。しかし、その左手はカティの右手を握ったままだ。カティはそっとその手を放すと、ヨーンの肘に自分の腕を絡めた。ヨーンは驚いて、カティの整った顔をじっと見つめてしまう。カティは普段の彼女からは想像もつかないほどに柔らかい微笑を浮かべ、言った。


「やってみたかったんだ、こういうの」

「カティ……」


 ヨーンはもう完全にカティに心を奪われていた。ヨーンはそのことを自覚していたが、今さらそれをどうこうしようなどとは露ほども思わなかった。月明かりに照らされた赤毛の美女を見ながら、ヨーンは擦れた声で囁いた。


「カティ、星を見に行こうか」

「ああ」


 カティは腕に力を込めながら頷いた。


「どこにでも行く」


 心臓が早鐘のように収縮を繰り返し、喉はカラカラになっている。組んだ腕も力加減が分からない。この一連の流れが、全て夢なんじゃないかとも思う。


 ――二人はそんな具合に全く同じステータス異常に陥っていた。

 

「カティ」

「なんだ?」

「君は――」


 ヨーンはそこで言葉を切り、しばらく考えた。


「君は、僕の事を好きになれそう?」


 そのおずおずとした問い掛けに、カティは混乱した。今さら何を言ってるんだこいつは、という心境である。


「好きとか嫌いとか、誰に対しても意識なんてしたことはなかった」


 カティは正直に答えた。


「でも、さっきヨーンに告白された時、嫌な気持ちは全然しなかった」

「……じゃぁ?」

「たぶん、これから好きになる。だから、アタシは」


 そこまで言って、カティは急に耳まで真っ赤になった。ヨーンは立ち止まり、優しいまなざしでカティを見た。


 カティとて恋愛について無知なわけではない。好きな小説は恋愛小説だ。知識だけなら豊富にあった。だが、それが自分の事になるということは、想像すらしてこなかったのだ。


「ヨーンこそ、本当にアタシなんかでいいのか?」

「君じゃないと、ダメなんだ」


 ヨーンは明快にそう言い切った。カティは思わず唾を飲み込む。


「アタシには……君に愛される資格がある?」

「資格?」

「学歴だって家柄だって、ほら」

「なんだ」


 ヨーンはカラカラと声を立てて笑った。


「僕にとっては君の気持ちが一番大切なんだよ。他の事なんてどうだっていい」

「アタシは、面倒くさいよ?」

「それでも」


 ヨーンはカティの手を引いて、校舎の外に出る。駐車場まではもうすぐだ。


「嘘っぽく聞こえるかもしれないけど」


 駐車場にぽつんと置かれた黒い車の前にカティを導き、助手席のドアを開け、ヨーンは乾いた声で言った。


「僕は君の全てを愛したい。全部だ」

「なっ」


 その言葉に、カティは思わず仰け反った。そのカティの背中にヨーンは手を回し、ぐっと顔を近付けてくる。


「えっと……」


 カティは仰け反った姿勢のまま、ごくりと唾を飲み込んだ。緊張しているはずなのに、全身から力が抜けていく。


「ヨーン、えと、あの……っ」


 目を白黒させてカティは両手を上げた。ヨーンは静謐な灰緑色の目でカティの目を直視し、悪戯っぽい表情を浮かべて尋ねた。


「殴る?」

「ばか」


 カティはヨーンの首に手を回し、そして自分から唇を近付けた。その唇が触れ合う直前、カティはこれ以上なくハスキーになった声で言った。


「アタシ、キス、初めてなんだ」

「奇遇だね、僕もだ」

「……ばか」


 カティの頬が緩み、自然と笑みの形になる。ヨーンも似たような表情を浮かべて、そして、カティの唇に自分の唇を合わせた。

 

 晴れ渡る寒空の下、二人は互いの体温を静かに交換しあったのだった。

 

 



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