十二時間前の真相

 球体となった爆撃機が、セプテントリオに落着する。


 その瞬間に放出された甚大な量の中性子が、半径十数キロの範囲にいた生物たちに致命的なダメージを与えた。その数秒後、莫大な熱エネルギーが周囲を包み込み、物理的に何もかもを打ち払い、焼き払った。


 それまでの僅かな時間。


 アトラク=ナクアは、ヘレーネ・アルゼンライヒの前に姿を現した。彼女はアトラク=ナクア自身が見初めた男の想い人であり、そしてまた、その男を強く慕う女だったからだ。


「あなたはもう死ぬけれど」


 まずはその近未来に起こる事実を宣言した。アルゼンライヒはと言えば、薄黄色のパジャマ姿のまま、ぼんやりとアトラク=ナクアを見つめていた。何が起きたかわからない、そういう表情だ。


「そうね、わからないわよね」


 アトラク=ナクアは微笑み、そして窓の方を指差した。閉めてあったはずのカーテンが開いていて、遠くに光る半球体が見えていた。その球体はじわりじわりと大きくなっているようにも見えた。ハッとしてテレビを見ると、テレビはまるで静止画のように止まっていた。


 そう言えばさっき、ニュースキャスターが「未曽有の大破壊が起こりつつある」って言っていたっけ。でも、ここは内陸も内陸。攻撃なんてされるわけがない。


 アルゼンライヒはそう思った。だが、アトラク=ナクアは首を振る。美しい銀髪がゆらゆらと揺れた。


「あなたは死ぬの。この街の住人は全て死ぬわ」

「私が、死ぬ……?」


 セプテントリオに何が?


 この期に及んでもなお、アルゼンライヒは状況を飲み込めていなかった。


「ねぇ、あなた」

「……あなたは誰? 何者なの」

「訊いてるのは私。まず私の問いに答えなさいな」


 アトラク=ナクアは窓の外を指差した。その窓ガラスの向こうには、光る半球体が見えた。それが爆発による衝撃波と発光現象であると理解するまでに、いくらかの時間を要した。それはゆっくりとであるが確実にアルゼンライヒの元へと迫ってきていた。緩慢な光の津波を見ているかのようだった。


「あなた、死んだ後も彼の――イスランシオの傍にいたい?」

「意味が、わからないわ」


 予想通りのその答えに、アトラク=ナクアは微笑みを浮かべる。慈愛に満ちたその表情に、アルゼンライヒは思わず溜息を吐く。


「永遠の命。私はあなたにそう呼ぶに相応ふさわしいものを与えることができる。だからあなたはその肉体を失ったとしても、彼の傍に存在し続ける事ができるわ、やろうと思えば」

「そんなこと――」

「できるのよ。私には」


 アトラク=ナクアは目を細めた。唇が蠱惑的な形を作る。


「あなたが私に協力してくれるのなら、あなたは永遠に彼の隣にいる権利を持てる」

「協力……?」

「考える時間はないわよ」


 アトラク=ナクアはすっかり窓を覆いつくす大きさになった光球を振り返った。もうあの光の中に数多くの命が飲まれ、蒸発していったことだろう。二人の間の時間は緩慢に過ぎて行くが、それもこれも、全てアトラク=ナクアの能力による。


 窓ガラスがゆっくりと弾け、ガラスの刃が雨となる。その一粒一粒が驚くほどゆっくりと、アルゼンライヒとアトラク=ナクア目がけて飛来してくる。


 事ここに至ってようやく、アルゼンライヒも状況を真に理解した。逃れられない死がそこにあることを、だ。


 大きな破片がアルゼンライヒの左腕に突き刺さった。


「うぁぁっ!?」


 激烈な痛みが、アルゼンライヒの視界を歪めさせる。弾け出た血液がゆっくりと粒になり、スローモーションで床に散らばっていく。


 アトラク=ナクアは悠然と腕を組み、その有様を眺めていた。


「彼と共に、いたい?」

「……にでもなって?」

「幽霊?」


 そうとも言うか――アトラク=ナクアは一人、納得した。


「でも、彼もまた私に協力してくれるのだとすれば、あなたたちは同じ存在になる。即ち、エインヘリャルとして第二の生を得ると言えるわ」

死せる戦士エインヘリャル?」


 あなたはヴァルキリーなのか――アルゼンライヒは失笑する。


 ヴァルキリーだなんて、そんな神話の産物が現実にいるはずがないじゃないか。今見ているこのすべては、死に瀕した自分が見ている幻に過ぎない。そうに違いない。


 アルゼンライヒはそんな風に言い聞かせようとした。


「あなたの推測はとても冷静で論理的ね。だけど、悪魔の囁きというものが現実に存在するということも、知っておいた方が良いかも知れないわね」


 光が室内を飲み込んだ。幾らか遅れて衝撃波も届くだろう。


 輝きの中で、アルゼンライヒはアトラク=ナクアの輝く姿を見つめ上げる。アトラク=ナクアは静かな表情でその視線を受け止める。


「あなたの人生、辛かったのかしら? ずいぶんと苦しんだりもしたようだけれど」

「……そうでも、ないかな」


 アルゼンライヒは自分の胸を押さえた。事故で失った自分の片肺。空を飛べなくなった直接の原因。


 だが、このおかげで自分はイスランシオに拾われた。空を飛べなくなったおかげで、イスランシオのすぐそばに立っていることを許された――そんな気がしていた。


 だから、悪くはない。


「たぶんね、幸せだったんだと思う」


 そう言うアルゼンライヒの皮膚が泡立ち始めていた。熱が到達したのだ。アトラク=ナクアは怪訝な表情を見せる。


「それは、あなたの思い込み? そう思いたいというだけの話じゃない?」

「かもしれない」

「ならば、私の問いにイエスと答えれば良いの」

「でも、ノー」


 激痛を超えた激痛を味わいながらも、アルゼンライヒはきっぱりとそう答えた。アトラク=ナクアはその顔に僅かながらも苛立ちを浮かべ、腕をきつく組み直した。


「イエスと答えれば、私はあなたの希望をなんだって叶えるでしょう」

「ノー、よ」


 アルゼンライヒは座った姿勢のまま、身体を失いつつあった。顔をしかめるだけの筋肉も、気力も残ってはいない。


「私はそうなったとしても、きっと想いは伝えられない。ますます、伝えられない。ごくごく自然に、ゆっくりと理解し合って、いずれは……だなんて妄想は毎日していたけれど、もうそれは叶わない」

「記憶なんて簡単に」

「だめなのよ、それじゃ」


 もし仮にそんなことができるのだとしても。


 アルゼンライヒは焼け付く風を感じながら呟いた。今の彼女にあるのは、文字通りに全身を切り刻まれ、焼かれている痛みだ。その痛みは薄れることなく、ただひたすらにアルゼンライヒの意識をさいなみ続ける。


 そんなを見て、アトラク=ナクアは少なからず狼狽うろたえた。いや、それどころか一種の恐怖に近い感情さえ、覚えていた。そしてそんな自分に気付いて、混乱した。


「でもあなたは……想いを伝えたいとは思わないの? あなた、このままだと死ぬだけなのよ、何も遺せないままに」

「いいのよ」


 アルゼンライヒは言う。もうその姿は光に飲まれて、ほとんど見えなくなっていた。


「今の私はそんなこと、望んでいない。言い逃げなんてできないし、だから、想いなんて伝えない」

「でもあなたは――」

「伝えるのは、答えを聞きたいから。だから、伝えてしまったら、答えを聞かずにはいられなくなる」


 その光の世界の中でも、アトラク=ナクアには、アルゼンライヒのが見えていた。恐怖でも、ましてや恍惚でもない。強いて言うなら「沈黙」、あるいは、「祈り」。


「わからない」


 アトラク=ナクアは全ての時間を停止する。考える時間を作るためだ。


 アトラク=ナクアには、アルゼンライヒが何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。あらゆる望みを叶え得るのだと言っているのに、彼女は、アルゼンライヒはいったいなぜにそれを固辞するのか。人間ならば喜んで飛びついてくるような魅力的な提案であるはずだった。現に今まで数千数万という数の人間たちに同じような事をしてきたが、こんなに袖にされたことなど今までただの一度もなかった。


「もう一度訊くわ」

「ノー」


 ゆっくりと動き始めた時間の中でも、アルゼンライヒは即答した。


「私の想いは私が連れて逝くべきものよ。こんな私なんかの想いを言い逃げされたら、いい迷惑でしょ。ほんの少し、私のために悲しんでくれさえすれば、今の私はもう十分満足。それで十分なのよ」

「なぜそんな表情を見せられるの? どうしておののかない? どうして震えない? どうして喚かないの?」

「だって、あなたとお話できたから。私はあなたに私の想いを託す。私が失われたことを、きっと彼に伝えてくださいって。さようならと言っていたと、伝えてくださいって」

「バカな!」


 アトラク=ナクアはもはや原型をとどめていないアルゼンライヒを睨みつける。だがしかし、アルゼンライヒはその視線を平然と受け止めた。


「彼には、さよなら、と。それだけ、お願いします」


 アルゼンライヒは微笑んだ。天使のような微笑みだった――アトラク=ナクアにはそう見えていた。


 時間が戻った。


 光の中に、二人の姿は完全に溶けて、そして、消えた。

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