二柱の対談

 まるで幽霊ゴーストね――。


 イスランシオが目の前を通り過ぎていくのを眺めながら、豪奢な金髪を揺らめかせた黒づくめの男――ハルベルト・クライバー――が長い溜息と共に呟いた。組んだ腕の先、白く長い指先が、どこか苛々とその二の腕を叩いている。金属の壁に背中を預け、足は足首で交差させていた。


「いるんでしょう、メフィストフェレス」


 いや、アトラク=ナクアと呼ぶべきか。


 ハルベルトはその蒼い瞳で正面方向を、可能な限り剣呑な視線で射抜いていた。数秒と待たず、その空間にが染み出してきた。


「知っていて尋ねるという行為は、無駄だと思わない?」


 それは見る間に銀髪の女の姿を形成して、そう尋ねた。ハルベルトの美意識ではそれは美とも醜ともつかぬものだったが、人間基準でいえば――人間の――蠱惑こわく的である。彼女が姿を選択しているのだから、それはもう確定事項と言えた。彼女を醜いという人間は存在しない。同時に、彼女を十人並みと思う人間もまた存在しない。が、彼女を蠱惑的にして美しいと認識するのだ。


「呼び名なんてどうだっていいと思うのだけれど、ねぇ、ツァトゥグァ」

「単なる宣言文よ、アトラク=ナクア。どういうで呼び出してやろうかと考えていただけよ」

「あらあら――」


 アトラク=ナクアは、悠然とその銀の髪をかき上げる。薄暗い空間に、輝きがふわりと舞い散る。


「あなたのそういうところ、らしいわ」


 含み笑いさえしながら、アトラク=ナクアは胸を反らせて言った。その流れ出た血のように赤い瞳は、ハルベルトの表情を捉えて離さない。ハルベルトは露骨に顔をしかめ、吐き捨てる。


はあたしの一部。末端細胞の一つに過ぎない。だからあなたのその発言は、あたしに対する侮辱」

「あらそう?」


 平然と胸を反らすアトラク=ナクア。二人はしばらくの沈黙のうちに睨み合いを続け、やがてアトラク=ナクアの方が視線を逸らして喉の奥でクククと笑った。


「それで、私に何の用?」

「悪戯が過ぎるとは思わない? 見苦しいくらいに。そう言いに来たのよ」

「わざわざ?」


 揶揄するようなアトラク=ナクアの口調に、ハルベルトは眉根を寄せる。


「それに見苦しいとあなたは言ったけれど、なにが? 別におかしなことはしていないわよ?」

「していない? よくもそんなことが言えたものね。あなたの死せる戦士エインヘリャルだか幽霊ゴーストだか知らないけど、そんなもののために、人間たちを必要以上に苦しめたでしょう?」

「人間?」


 これはおかしなことを言うわね、と、アトラク=ナクアは肩を竦めた。


「強いて挙げれば、私が関与したのはあの女の子一人。ヘレーネと言ったかしら」

「それだけでは――」

「それだけよ」


 アトラク=ナクアの赤い瞳が鋭く光った。ハルベルトは思わず言葉を飲み込んでしまう。


「あの殺戮劇は人間たちが勝手に進めたこと。私の罪があるとすれば、ティルヴィングをあの男に手渡したこと。それ以後の話は、すべて人間たちの罪」

「詭弁ね」

「そうかしら?」


 アトラク=ナクアは見せつけるようにして、わらう。


「あなたが人間たちの魯鈍ろどん愚昧ぐまいさに心を痛めているというのなら、愚かしいことだけれど、それはそれであなたの自由よ。でも、そうまでして人類をおもんぱかるあなたが、なぜをしたのか。私にはそっちの方が理解に苦しむわ」

「愛する人をあんな形で失うのは辛すぎることよ。そして彼にも彼女にも、そうまでして苦しめられなければならない道理はなかった」

「理解できないわ」


 アトラク=ナクアは初めて感情らしい感情を見せた。即ち、怒り、だ。


「あれは私の好意。ただ消えて逝くだけだったはずの彼女の遺言を、私は預かった。それはまた、彼にとって一つの福音――救いとなるべきものだった」

「好意? それに福音? 救いですって?」

「そうよ、ツァトゥグァ」


 赤い目を細め、アトラク=ナクアは言い捨てる。


「あなたには理解できないでしょうけれど」

「死を実感するに足る恐怖と後悔の時間を与え、あまつさえ永遠の別離を刻み込み、そしてその凄惨な最期を、彼女を愛する者に見せつけることの何が福音だというの。それが救いになるだなんて――」

「まるで人間みたいだ?」


 アトラク=ナクアは一歩、ハルベルトに近付いた。そして掬い上げるようにしてその目を見つめてくる。ハルベルトはその眼光に明らかに圧倒された。アトラク=ナクアは優雅に腕を組み、真っ赤な唇を歪めて嗤った。


「うふふふ、そう思ってもらえたというのなら、私の努力にも意味があったということ」

「な、に……?」


 刹那の間、ハルベルトは表情を変えた。その表情にあったものは、動揺だ。


「私はね、人間を理解したいのよ。この低俗で刹那的なエゴイストたちの意識を。一光年先にでさえ手が届かない程度の矮小卑陋ちっぽけな意識をね。となれば、こんな砂粒みたいな意識一つ一つをいちいち拾い上げていくよりは、いっそその挙動を真似る方が簡単でしょう?」

「……理解してどうしようというの?」

「うふふふ」


 アトラク=ナクアは嗤う。


「毎度毎度口を出したり手を出したり……。そのくせ、最後は諦観者に逃げようとするあなたには、理解なんてできないでしょうね。あなたは、いてもいなくても同じ神様に過ぎないのよ」

「理解してどうしようというのって訊いている」

「人間を、というより、ジョルジュ・ベルリオーズを、というのが正しいのかもしれないけれど」


 ハルベルトの苛立ちを見て、アトラク=ナクアは冷たい微笑を浮かべる。ハルベルトが、ツァトゥグァが平静を乱すそのさまを見るのは、アトラク=ナクアにとってはゾクゾクするほどの愉悦だった。


「ファウストも、また、人間。ただのだけの人間。盲目なる彼を、背後から墓穴に蹴り入れるようなことはしたくないと考えた。今回はね」

「だから一介の人間に過ぎないあの男を理解しようと? そんなことをしなくても、彼の行動くらいどうにでもなるでしょうに」

「それでは意味がないのよ、ツァトゥグァ」


 そうぴしゃりと言い放つ。その瞳は、禍々しい程に赤かった。


「彼自身の意志で、を言わせなければ、意味がないのよ」

「悪魔よ、汝は美しい――」

「そう。それよ」


 アトラク=ナクアは勝ち誇ったかのように顎を上げた。対するハルベルトは腕を組んだ姿勢で、床に視線を落としている。アトラク=ナクアはゆったりとした口調で、尋ねた。


「私が怒っている理由、教えてあげましょうか?」


 ――と。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料