セプテントリオ

 遠い西方海域に浮かぶ、ボレアス飛行隊専用の強襲航空母艦べロスのCICにて、イスランシオもシベリウスと同じ、ユーレット市の空爆映像を見ていた。イスランシオたちはつい今しがた、アーシュオンの高高度偵察隊を殲滅してきたところであり、未だ背中の汗も引いていない。そこに今、別の種類の汗が滲み上がってきていた。


「どうなってるんだ、これは」


 イスランシオにこんなセリフを吐かせる状況は、まず滅多に発生しない。部下たちは思わずイスランシオの青白い顔を凝視した。


 ノトスがこうも容易く撃墜される……?


 敵の動きを見ればそれも納得だ。


 いや、それだけじゃない。攻撃がのだ。機関砲が直撃しようが、ミサイルが命中しようが、敵の戦闘機も爆撃機も煙一つ吹かない。こんなことはありえない。ありえないが……。


「クラゲと同じような防御構造を持っている……?」


 そこに思い至る。だとすれば、核兵器が直撃したってちないということになる。その時、通信士がイスランシオを振り返った。


「大佐! ユーレット市の敵空爆部隊に変化が!」

「具体的に言え」

「変形しました。敵の爆撃機が、球体に!」


 その光景はイスランシオも今まさに見た。どこをどうしたらそうなったのかは全く分からなかったが、巨大な爆撃機のフォルムが、ほとんど一瞬にしてぬめる球体に変じたのだ。


「敵性大型球体、各個に針路を変更!」


 イスランシオの見ているスクリーンの中に、半円状に八本の線が引かれていく。それはまるでビリヤードの球の軌道のように、綺麗に弾けていた。


「敵戦闘機部隊、離脱していきます!」


 翼の生えた三角錐たちが三々五々散っていく。本来であればそれを追跡したいところだったが、そんな事の出来る航空戦力は、東海岸のどこにも存在しない。


「敵戦闘機部隊、レーダーから消失ロスト! 監視衛星のモニタからも消えました」

「敵性大型球体、進行方向安定した模様です。状況はメインスクリーン参照されたし」


 索敵班と分析班が次々と報告を上げてくる。


「敵性大型球体、全機、加速開始! 速度、時速千三百、千四百……加速中!」

「周辺空域に超大質量のを確認!」

「球体の推定質量、一万二千トン!」


 一万二千!? なんだそのジョークみたいな数値は!


 イスランシオはそう言いかけたが、言えなかった。あの非常識な物体の前には、もはや何を言っても無力である。そんな気がしたからだ。


「球体、高度を下げ始めました。落着予測地点、出ます!」


 その瞬間、CICにいる全員が息を飲んだ。


 球体の一つが、セプテントリオ――ボレアス飛行隊の地上基地のある都市――へ向かっていることが判明したからだ。


「分析班、奴らの威力は! 落着時の被害想定を出せ」


 イスランシオが――彼にしては有り得ないくらいに早口で――命じた。


 その間、経由地点の陸軍や空軍たちもぼんやりしていたわけではない。ありったけの対空火器で以て、その球体を狙い撃っていた。球体はすでに時速二千キロを超えており、そしてそのもまたえげつない程に熾烈だった。


 攻撃者に対して正確無比な反撃を繰り出しているのだが、その原理は全く不明だった。まるで攻撃をかのような反撃なのだ。ミサイルはそのまま機首を反転させて飛んで行ったし、対空砲にしてもまっすぐに跳ね返されて地上に突き刺さった。しかもそれだけではない。球体が通過した場所には、点々と傷跡が刻まれた。球体から滴り落ちる液体のような何かが地面に触れた途端に、激しい燃焼反応を起こしたのだ。分析班によれば、それにより潰滅状態に陥ったと思われる町や村も少なくはない。

 

「大佐、威力の試算結果でました! このままの速度で落下すると八メガトン級の威力が予想されます」

「八メガ!?」


 その報告に誰もがざわめいた。


 メガトン級の兵器など、百年前ならいざしらず、今の時代はどこを探しても存在していないはずだ。百四十年前にヤーグベルテに突き刺さった原子爆弾が十五キロトン、二十一キロトンであり、それでも都市が一つ消し飛んでいるのだ。皇帝爆弾ツァーリ・ボンバと呼ばれた五十メガトンの水素爆弾もかつては存在していたが、それがいかに過大な兵器だったかわかるというものである。


 だが、今そこにある脅威は、八メガトン級が八機である――。


「敵性大型球体、初弾、レピア市に落下!」

「どうなった!?」


 イスランシオは腕を組んで仁王立ちの姿勢のまま、分析班に鋭い声で呼びかけた。すぐに分析班班長から声が上がる。


「ゼピュロスからの映像、来ました。論理回線経由につきデコードが」

「回せ、デコードしながらで良い」

「了解しました」


 メインスクリーンに映し出された映像は、あまりにも非現実的過ぎて声にならない。暗黒のただなかに、円形の灼熱が映し出されていた。途切れ途切れに聞こえてくる音声によれば、それは直径十五キロにも及ぶらしい。直径十五キロの円形状に溶かされ、切り取られた大地には、もはや生命の痕跡は感じられなかった。その衝撃波はなおも拡大中で、周囲の街や森をも薙ぎ払っている最中だった。


「大佐! セプテントリオがっ!」

 

 悲鳴のような声が響く。イスランシオは微動だにせず、メインスクリーンに表示されている映像を睨み据えた。


「分析班、セプテントリオの状況を報告せよ」


 イスランシオのその冷静な、全く抑揚のない声に、CICの空気が凍り付く。


「セプテントリオは……」


 分析班班長が擦れた声を発した。


「消滅、しました……」


 さらに一段、室温が下がったかのようだ。


 イスランシオは腕組みを解き、額に右手をやった。


「消滅、だと……?」


 イスランシオは呟きながら、出入り口へと向かう。


「情報は俺の部屋に逐一送ってくれ」


 部下たちが手を貸そうとするが、イスランシオは「大丈夫だ」と言い張ってその手を全て払い除けた。薄暗い廊下が、無機的な艦の内壁が、イスランシオの気分を余計に滅入らせる。


 こんなことが、あんなものが……現実なはずがない。これは何らかの情報工作に嵌っているだけに違いない――イスランシオはそう信じこもうとした。


 部屋に辿り着くなり端末に取り付き、一連の出来事に関する情報を収集して練り上げていく。だが、何をどう検索しても、その非現実的な出来事が現実に起きたのだという裏付けとなるような情報しか集められない。


「そんなハズがあるか!」


 あんなものが八発!? あんな大穴が八個も作られるというのか。非人道的とかそういう次元を超えている。あんなことが現実に起きるわけがない。政治の世界も黙ってはいないだろう。


「そうだ」


 になら……真実があるのではないか。ジョルジュ・ベルリオーズの持つネットワークにアクセスできさえすれば……。


「あらあら」


 その声が聞こえたのは、正規のルートを諦め、侵入経路を確保しようとした矢先だった。突如聞こえたその声に、イスランシオは勢いよく立ち上がって振り返った。その右手には拳銃が抜かれていた。


 だが、誰もいない。


 気のせい――?


「そのネットには触れない方が良いわよ。死ぬわ」


 断じて空耳ではない。しかし――。


「でも、よっぽど切羽詰まっているのね、あなたほどの人が。セプテントリオに大事な人でもいたのかしら?」


 すぐそばにいる。耳元で囁かれている。だが、見当たらない。


 イスランシオのこめかみから頬にかけて、一筋の汗が伝い落ちた。


「ヘレーネ・アルゼンライヒ。最期の言葉、聞いてきてあげたけれど。聞きたい?」

「何者だ、貴様は!」


 俺は頭がおかしくなっちまったのか?


 そう思う冷静なイスランシオもいる。だが、それ以上に、イスランシオは動揺していた。


 視界の端に銀の何かが映った気がして、イスランシオはまた勢いよく身体の向きを変える。だが、何もいない。


「!?」


 右の耳に息が吹きかけられたような気がした。そして右手の手首に強い力がかかり、たまらず銃を取り落としてしまう。だが、この部屋にはイスランシオ自身の他には誰もいない。


 おいおい、やっぱり俺はおかしくなっちまったのか?


「あなたは正常よ。別に問題ないわ」


 ゆらり。


 イスランシオの前に銀色の揺らぎが現れる。それはたちまち美女の姿を取った。美女なのだ。だが、どんな美女なのかを表現しようとする前に、記憶から抜け落ちて行ってしまう。まるでリアルタイムに脳内映像に補正がかけられているかのように、映像が情報として脳に入ってこない。銀色と美女、その二つの要素だけがイスランシオに認識できる全てだった。


「そうね、どちらかというと、この世界の方が異常なのよ」

「どういう――」

「ヘレーネ・アルゼンライヒに頼まれてるの」

「ヘレンに……?」


 イスランシオは眉根を寄せる。彼女はセプテントリオにいた。だから――。


「彼女の最期の言葉、伝えてって頼まれてるの。今の目的はそれだけ」

「どういうことだ。貴様は、なんだ」

「さぁ」


 銀の美女は肩を竦めた。


「難しい質問ね。哲学だわ」

「そんなことを訊いているわけでは」

「なら私の名前を訊く意味もないのではなくて? アトラク=ナクアだなんて呼び名には、意味はないわ」

「アトラク=ナクア?」

「そう、アトラク=ナクア。そうとも呼ばれているわ」


 そして腰に手を当てる。


「それで、ねぇ? 聞きたくないの? 彼女の遺言テスタメント


 銀の美女は目を細めて――どんな目かは記憶に残らなかったが――喉の奥で笑った。


「……うふふふ、いいわ、教えてあげるわ。あなたからはイエスもノーも引き出せないでしょうから」


 女は哂う。明らかな嘲笑だ。


 そして女はイスランシオの端末をなにやら操作した。するとディスプレイの中に、床にへたりこんだヘレーネ・アルゼンライヒの姿が映し出された。


「ヘレン!」


 思わず叫び、ディスプレイの前に駆け寄るイスランシオを、銀の美女は微笑みながら見つめていた。が、ふと表情を鋭くするとふわりと姿を消した。


「ヘレン……!」


 イスランシオが叫ぶその間に、アルゼンライヒの姿は崩れ、そして消えた。


 呆然と座り込んだイスランシオの脳内に、先ほどの銀の美女の声が響く。


『彼女、さよならって言っていたわ』


 その声は空虚にイスランシオの頭の中に響き渡る。


『彼女の遺言……その全てを聞きたければ、あなたもに来ることね。あなたを人間のまま終わらせてしまうのは勿体ない』


 声はそう言い残すと、完全に消えた。


 イスランシオはもはや何も映っていないディスプレイを呆然と眺め、そして呟いた。


「俺はいったい、どうしちまったっていうんだ」


 それとも、この世界がおかしいのか?


 俺はいったい……。


 こちら側?


 何が起き始めてるっていうんだ、この世界で。


 頭を抱えているうちに、急速に意識が遠のいた。


 

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