十二年前の記憶

 ルフェーブルは士官学校高等部をわずか一年で卒業してから、四年間を陸軍、四年間を海兵隊、一年の療養期間を経て、参謀部へ移って八年という異色の経歴の持ち主である。


 漁村襲撃事件が起きたのは、彼女が海兵隊に所属を移した直後の事だった。陸軍で幾度も地上戦を経験してきたルフェーブルだったが、あの漁村の有り様は経験してきたどんな戦場よりも凄惨だった。


 原型を留めている死体が、文字通りに一つも存在しなかったからだ。重機関銃で滅多撃ちにされて飛び散った肉片、火炎放射器で焼かれた挙句に四肢をもぎ取られたもの、どうやったかは分からないが、縦に真っ二つに切り開かれた幼児、両手両足をタコかイカのように裂かれた屍、綺麗に腹を開かれて内臓がその脇に几帳面に並べられていた女性、全身を性別すらわからない肉塊……そして、全裸で横たわっていた赤毛の少女の周りに、几帳面に整列させられていた村人全員分の生首たち。


「衛生兵! 衛生兵!」


 ルフェーブルは力の限り叫んだ。そして気が付けば、涙を流しながらその少女――カティ・メラルティン――を抱きしめていた。


 しかし、それからの二ヶ月間、ルフェーブルは全く記憶がない。どころか、この漁村の有り様すら、当初は全く思い出せなかったのだ。思い出したのは、海兵隊四年目の時の島嶼奪還作戦で、至近に着弾した焼夷弾によって両目や肺、そして右半身の皮膚の殆どを失うこととなった大火傷を負った後の話だ。一種のショック療法だったと言ってもいいだろう。とにかく、その大怪我により、ルフェーブルは漁村の状況を完全に思い出していたのだ。


 大火傷とPTSD――を発症した――により戦闘に耐えられなくなったルフェーブルは、退役か、所属替えを迫られた。当初は退役を望んでいたのだが、漁村の一件を思い出してからは、狂ったように現役に、それも軍の中枢に近い所へ異動することを希望した。


 彼女は知りたかったのだ。漁村襲撃事件の真相を。史上類を見ないほどの残忍な虐殺の意味を。


 それが――。


「ゴーストナイトによる作戦、か」


 いつ誰が、そのように呼びだしたのかまではわからない。だが、あの漁村襲撃事件の犯人として、「ゴーストナイト」という表現が使われているのは確かだった。時代によっても所属勢力や目的は異なっているものの、さしあたり今の時代のゴーストナイトたちは、アーシュオン所属の厄介で残忍な特殊作戦部隊であると言えるだろう。


 その時、部屋の中になんとも言えない電子音が響いた。それはドアの前に誰かが立っていることを示している。デスクに備え付けられている小さな専用モニタを見ると、第六課最年少のリュシー・プルースト少尉が立っていた。手にはなにやら持っている様子だ。ルフェーブルは用向きも確認せずにドアを開けてやる。ついでに照明も一段階明るくした。常人の目には、室内は暗すぎたからだ。


「失礼します」


 プルースト少尉は手にトレイに乗せたティーカップを持っていた。そのカップのチョイスに、ルフェーブルは思わず目を細めた。


「気が利くな、少尉」

「ここのところお疲れのようだったので」


 そして紅茶をルフェーブルのデスクに置いた。


「君はこのカップの由来を知っているのか?」

「いえ、ただハーディ少佐が」

「あいつか」


 ルフェーブルは苦笑を浮かべる。そしてそのカップに口を付ける。


「……少し、濃いな?」

「ええ、疲れが取れますよ」


 濃厚な紅茶だったが、確かにそれは、張り詰めた全身の神経を緩めてくれる役に立ちそうだった。不味いわけではない。


「では、失礼します」

「ご苦労。飲んだら私もそっちに行く」

「今はこちらは落ち着いてますから、ごゆっくりどうぞ」


 プルーストはその線の細い顔に微笑を浮かべて、部屋を出て行った。ルフェーブルはその背中を見送り、ドアが閉まると同時にまたニヤリと、どこか影のある笑みを浮かべた。


「女なら選び放題だろうに」


 なぜ私なんかに好意を持つというのか。


 ルフェーブルはプルーストが自分に恋心を抱いていることを知っている。第六課の内部の事で、ルフェーブルが知らないことなどまず無いのだ。だが、ルフェーブルはこの年下の男の事を男性として意識したことはない。人間としては好きな部類に入るが、男性としてどうこうなど、想像したこともなかった。


「アンディ、あいつに忠告しておいてやれよ」


 ルフェーブルはティーカップを持ち上げて、その赤い唇を歪めた。


 まるでその呟きを聞いていたかのようなタイミングで、ルフェーブルの携帯端末が鳴った。愛想のない電子的な着信音である。


「噂をすれば」


 発信元はアンドレアス・フェーン少佐。ルフェーブルが気安く「アンディ」と呼ぶ人物である。ルフェーブルは照明をまた最小限にまで落とすと、電話に出た。


「ちょうど君からもらったカップで一服していたところだ」

『逆にストレスがたまるんじゃないか』

「はは、自嘲にも程があるな」


 ルフェーブルはデスクチェアをくるりと回し、デスクに背を向ける。目の前にあるのは世界地図が映し出された巨大なモニタだ。


「それでアンディ、デートのお誘いか?」

『残念ながら外れだ』


 フェーンは軽快に応じた。フェーンがこんな調子で話をする相手は、世界でただ一人、このエディット・ルフェーブルだけだ。フェーンもかつては参謀部に所属しており、ルフェーブルと共に数多くの撤退戦の作戦指揮を執ったものである。そしてまた、一時期は男女の関係でもあった。恋人として終わってしまった後も、二人の親交は続いている。ある意味ドライでありながら、それでも密接な関係だと言えるだろう。二人の間の信頼関係は、言葉では語りつくせない。


『今回の一件が片付いたら、花束でも送るさ』

「花瓶を磨いて待っている」

『花瓶も贈ろうか』

「そいつは間に合っている」


 ルフェーブルはこの無駄な遣り取りを、紅茶を飲みながら楽しんでいる。仕事に関してはドライな彼女だが、一切の無駄が嫌いなわけではない。撤退戦・退却戦の指揮を任されることの多いルフェーブル率いる第六課は、作戦時には他の課では比較にならないほどのプレッシャーに晒される。だから、非作戦時の規律は緩い方だった。そのメリハリが、第六課の団結力に生かされていると言っても良い。


「それで、デートの誘いではないというのなら、一体何の要件だ?」

『……ヴァシリーの事は覚えているか?』

「確かジュバイル家の御曹司だったな。いつだったか、戦死したはずだが」

『そうだ』


 フェーンはそこで言葉を区切り、しばし沈黙した。


『ヴァシリーの妹というのが、士官学校にいる。空軍候補生で、カティ・メラルティンに次ぐ実力の持ち主だ。セプテントリオ工科大学博士課程を経て士官学校に入ったエリートなんだが』

「珍しい話でもあるまい? 上級高等部にはエリート連中はゴロゴロしているはずだ」

『確かに。俺たちのような高等部卒には耳の痛い話だが』

「それで――」

『せっかちだな』


 フェーンは苦笑したようだ。


『それで、俺はセプテントリオの大学に問い合わせた』

「経歴詐称?」

『いや、確かに、エレナ・ジュバイルは博士号を取っていた。だから、経歴的には間違いない。だが』

「だが……?」

『俺はヴァシリーから、と聞かされていてね』

「な、に……?」


 どういうことだ?


 ルフェーブルは一瞬にして混乱した。フェーンはそんな彼女にお構いなしに、淡々と発話を続けていく。


『今から数えて十二年前。漁村襲撃事件の年だったから間違いない。士官学校で会った時には、さすがに動揺した』

「……死んだはずなのに、なぜいる? 別人なのか?」

『話はそれだけじゃないんだ、エディット』


 フェーンの声のトーンがみるみる下がっていく。


『ジュバイルの家が、ない。ヴァシリーの戦死と前後してらしい』

「どういうことだ?」

『痕跡も残さず消失した。まるで最初から何もなかったかのようにな』

「……ジュバイル家といえば、大実業家じゃないか。それが雲隠れするなんて、何かあったのか」


 エディットはティーカップが空になっていることに気付く。お代わりを要求しようかと思ったが、やめた。


『わからん。だが、事業が不振だったという話は見当たらない』

「家族は?」

『不明だ。

「警察の調査は?」

『本格的に動いている形跡がない』

「……怪しいじゃないか」

『うむ』


 二人は沈黙する。


 先に口を開いたのはルフェーブルの方だった。


「今はそれに関する手掛かりはないのだろう?」

『ああ、何もない。十二年前に死んだはずのエレナが士官学校に在籍していて、ヴァシリーは戦死、それと前後してジュバイル家が消失した。こんな事実があるだけだ』

「……おそらく今考えてもわかる事象ではなさそうだ。となれば」

『話は変わるが』


 フェーンは溜息交じりに話題を変えた。


『ゴーストナイト、どう思う?』

「ゴーストナイト、か……」


 イスランシオ大佐からもたらされた警告。ルフェーブルは立ち上がって自分のデスクの前を何度か往復した。


「今アーシュオンが強行的にでも狙ってくるとしたら、普通に考えればということになるだろうが……」

『漁村の――メラルティンの一件が引っかかるか?』

「肯定だ、アンディ」


 ルフェーブルは立ち止まると、今度はデスクに寄りかかり、光量を最低限まで絞られている天井灯をぼんやりと見上げる。ルフェーブルの機械の眼球は、暗視システムをも搭載しているタイプだったから、本来部屋が真っ暗であってもなんの不自由もない。ただ、真っ暗だと部屋を出入りする部下たちが面食らってしまうことがあるので、敢えて最低限は点けてあるという次第だ。


 しばらくの間を置いて、フェーンは同意する。


『俺もだ、エディット。ここまで偶然が重なって良いものかな』

「いずれにせよ――」


 ルフェーブルは携帯端末を左手に持ち替えた。


「狙われるのは、君のいる士官学校だろう」

『……だな。だが、これだけ戦力があれば迂闊には手は出せまい』

「であれば、良いのだがな」


 とは言うものの、ルフェーブルの権限では二千名の兵士を手配するのが精一杯だった。参謀部部長にも掛け合ったが、これが限界だった。そもそも士官学校はの郊外にある。有事の際には一個師団の兵士を瞬時に動かすことも可能なのだ。それなのに敢えて兵士を常駐させておく必要は感じられないというのが、上層部の見解だった。ルフェーブルとしても「ゴーストナイト」がどれほどの戦力で、どのタイミングで仕掛けてくるのか分からない以上、それ以上食い下がることはできなかった。


『いつまで警戒していればいいのやら』

「そればかりはわからない。だが、遠くはないだろう。その時は」

『ま、善処はするさ』


 フェーンは息を吐きながらそう言った。

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