S計画とT計画

 その瞬間、シュッという擦過音と共にドアが開いた。


「失礼します、大佐」

「ああ、ヘレン。すまんがコーヒーを――」

「お持ちしています」


 見れば、ヘレンことヘレーネ・アルゼンライヒ中尉は、手にしたトレイにコーヒーカップを乗せていた。


「相変わらず気が利くな」

「恐縮です、大佐」


 ヘレーネはにこりと微笑んだ。その拍子に、艶やかな長い黒髪がふわっと揺れた。利発そうな藍色の瞳が細められて、普段はシャープな印象を与えるその容姿が、少しマイルドになる。美女かと問われればそうでもないが、それでもその知性的な雰囲気には、確かな魅力があった。


 その表情をひとしきり眺めてから、イスランシオは呟いた。


「君が俺のところに来てからもう一年経つのか」

「そうですね。一年と少しです」

「早いものだ」


 イスランシオはコーヒーの実にちょうど良い苦みを感じつつ、頷く。


「大佐が拾ってくださらなければ、あのまま除隊するところでした」

「君ほどの人材を野に放つのはあまりにも惜しい」


 イスランシオはそう言い、コーヒーカップをデスクに置いた。ヘレーネは一瞬宙を見上げ、トレイを胸の前に持ち直した。


「買い被りすぎでは」

「君は俺の目を疑うのか?」

「い、いえっ」


 イスランシオのその奇妙な輝きを見せる目で凄まれ、ヘレーネは思わず姿勢を正した。が、イスランシオは怒った風でもなく、目を逸らす。


「それで、後遺症の方は大丈夫なのか」

「はい、日常生活を送る分には全く支障なくなりました。先週から薬もなくなりましたし」

「そうか。それは良かった」


 イスランシオは彼にしては珍しい、柔らかい表情を見せた。その表情にどきりとするヘレーネは、確かにイスランシオに好意を持っていた。その好意というのは、実に五年越しなのだ。士官学校上級高等部二年の時、初めてイスランシオを目にした時から、ヘレーネはイスランシオに強い憧れを抱いていた。その頃、イスランシオはすでに「異次元の手」と呼ばれる超エースであり、士官学校に何度か講演・講義に訪れていた。


 それからヘレーネは猛然と訓練に明け暮れた。上級高等部四年になる頃には、ヘレーネはエース候補とされるほどのスキルを身につけていたし、教官たちからの覚えも良かった。だが、士官学校を卒業した翌日に、ヘレーネは事故に遭った。辞令交付式のために軍総司令部へ向かっていた最中に、暴走してきた車両に撥ねられたのだ。その事故の目撃者の一人がイスランシオであり、救命の初動を行ったのもイスランシオだった。意識不明の重体に陥ったヘレーネが一命を取り留めたのは、イスランシオの的確な応急処置によるものだったという報道もある。


「大佐があの場にいらっしゃらなければ、私は」

「俺がやらなければ、他の誰かがやっただろうさ」

「いいえ」


 ヘレーネは強い口調で否定した。イスランシオは少し驚いたような表情を見せる。イスランシオ自身は気付いていないが、彼がここまで表情を変えることは稀である。


「そして、そのおかげで私はここにいられます」

「だが、航空機には乗れない」


 そう、ヘレーネは事故によって空を飛ぶ夢を絶たれた。肺を片方失ってしまったし、腕や足の骨の半分近くは人工のものに置き換えられていた。筋肉も一部はナノマシンで再構成されたものだ。そして見た目にはほとんど分からないが、両手の指は全て義指だった。


「異次元の手、ヤーグベルテの守護神。そんな大佐の直下で仕事ができているのですから、そんなことは些細な事なんです、大佐」

「ヘレン、だが」

「大佐の指揮下から外れるなんてことがあるなら、その時こそ私は除隊しますけど」


 ヘレーネは肩を竦めてそう言い、踵を返した。


「まぁ待て、ヘレン」


 イスランシオは立ち上がってヘレーネを呼び止めた。クエスチョンマークを発しながら、ヘレーネはくるりと振り返る。


「忙しいのか、今」

「大佐よりは暇だと思います」

「なら大丈夫だな」


 イスランシオは応接用のソファの方に移動すると、部屋に備え付けられているテレビの電源を入れた。国営放送が流れ始めたが、やっている内容はそこらのワイドショーと同じようなものだった。即ち、「暗黒空域」シベリウスへのどぎつい批判である。


「俺とレヴィの関係は知っていると思うが」

「ホモなんですか?」

「馬鹿なことを言うな」


 イスランシオは声を立てて笑った。それこそヘレーネにしか見せない表情なのだが、イスランシオは気付いていない。ヘレーネはと言えば、やはりその事実を知らない。


「仮に俺にがあったとしても、レヴィとは御免こうむりたい」

「十中八九、大佐の方が受けですもんね」

「どういう意味だ?」

「あ、逆でもアリか……」


 ヘレーネがなんだか妙な妄想を始めたのに勘付いて、イスランシオは咳払いをする。


「まぁ、そんな事実はないし、第一、俺はノンケだ」

「存じておりますよ、大佐」


 大真面目な表情をしたイスランシオを見て、ヘレーネはクスクスと笑った。


「ヘレン、君の情報処理能力の高さもまた考え物だな」

「もったいないお言葉にございます」


 ヘレーネはトレイを抱えたまま、促されるままにイスランシオの向かいに座った。


「ともかくヘレン。今回のこのレヴィ……シベリウスの件、君はどう考えている?」

「そうですね」


 ヘレーネは一拍置いた。そしてトレイをテーブルの上に置いて、少し身を乗り出した。


「今は大佐個人を叩くのに必死ですね。まるでお祭りです」

「ネットも絶賛炎上中だな」

「ええ」


 ヘレーネは頷く。


「ですが、これは近々にエウロス自体を叩く動きになり、そしてやがて空軍全体を指弾する動きに変わっていくでしょう」

「ほう、その根拠は」

「今回のこの暗黒空域を巡る件は、大佐から聞いた情報を総合すれば、どう考えても黒幕は参謀部第三課です」

「第三課が黒幕だとして、そのメリットとはいったい何だと考える?」

「第三課が主導している計画がありましたよね。第六課と競合している……ええと」

「テラブレイク計画」

「そうそう、それです」


 ヘレーネは小さく両手を打ち合わせた。イスランシオはソファに深く腰掛け、腕組みをする。


「だが、それだと海軍の力が衰えた方が得策ではないか? 空軍の発言力を削いでいくメリットがあまりない気がするが」

「その通りです。しかし、海軍はもうこれ以上ないくらいに減衰しています。定数を揃え得るのは、もはや第七艦隊のみ……」


 第七艦隊は、かの「潜水艦キラー」リチャード・クロフォード中佐の所属する名実共に最強の艦隊である。第七艦隊の司令官自体はしばしば変わるが、それでも異常なまでの生存率を誇っていられるのは、ひとえにクロフォード中佐の手腕によるものが大きいという評価は公然の事実である。実際に、クロフォードが士官学校に左遷されていた間には、重巡三隻、軽巡一隻、駆逐艦十三隻という大きな被害を出してもいる。これはクロフォード在任中には、一度とて出たことのない被害実績である。

 

 ヘレーネは数秒間テレビの方に意識を向けたが、すぐに首を振ってそのノイズを意識の外へと追い出した。


「一方、参謀部第三課主導のテラブレイク計画には、空軍の協力が不可欠です」

「ならばどうして空軍の発言力を?」

「参謀部の言うことを聞かせるためです」


 その明快な回答に、イスランシオはしばし目を閉じて思案する。ヘレーネは数秒間待ったが、イスランシオが一言も発さなかったので、また言葉を続けた。


「四風飛行隊、特にボレアスとエウロスは国民に対して影響力を持ち過ぎた。実際に無敵の部隊です、我々は」

「だから、支持率ナンバーワンのエウロスの栄光を地に落とし、空軍の影響力を弱め、そこにテラブレイク計画をじ込んでくる、と?」

「私はそう考えています」


 ヘレーネの藍色の瞳が物騒な輝きを見せた。


「とは言っても、私の主たる情報源は大佐なのですから、視野は偏っているとは思いますけれど」

「かもしれん」


 イスランシオはテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばす。


「……さすがはヘレンだな。俺も同じ考えだ。俺と答え合わせをするに足る副官は、君が初めてだ」

「恐縮です、大佐」

「しかし、アダムスの野郎も、直々に協力を依頼してくればいいものを」

主導権イニシアティヴが欲しいのでしょう」


 ヘレーネは小さく息を吐いた。


「テラブレイク計画がどれほど重大なものなのかわかりませんけど、空軍予算を圧迫すること早何年ですか。五年? 六年? そんなものですよね」

「明確にとして計上され始めてからなら、六年目だな」


 その情報は無論、非合法な手段で手に入れたものである。


「ですよね。それだけの期間と予算をかけて進めている計画なのです。通常なら四風飛行隊のどこかにオペレーションを任せるのが得策でしょう?」

「だが、その話はゼピュロスにもノトスにも来ていない」

「エウロスとボレアスにさえもです」


 ヘレーネの言葉に、イスランシオは肯き、先を促した。ヘレーネは「はい」と言葉を続ける。


「単純に考えれば、参謀部直轄の部隊を作りたい。そう考えているようにも思えます」

「それは……何のために?」

「S計画、ええと、歌姫計画セイレネスシーケンスでしたっけ。参謀部第六課直轄の」

「そうだな」

「おそらく、そのセイレネス、という新兵器もまた、参謀部直轄の部隊になると思います」


 明快な言い切りに、イスランシオは片目を開ける。


「……根拠は?」

「海軍主導とするのには、あまりにもリスクの大きな計画だからです。S計画の兵器は、核を超えるものになるのでしょう?」

によればそうだ」


 その「報告書」の存在も、本来はイスランシオはである。ヘレーネは「またか」という表情を浮かべて、そして小さく笑った。


「となれば、相応の安全装置フェイルセイフが必要。ありていにいえば首輪をつけておく必要があります。手っ取り早い方法が、万が一それが暴走した時に、いち早く異常を検知し、対処することができる参謀部直轄であること」

「……アダムスの野郎――第三課は、その六課のS計画に対抗したい。だからそのためにエウロスを利用した……?」

「私はそう考えます」


 ヘレーネはそのシャープな表情をより一層鋭利にして、肯いた。


「アーシュオン側と、利害が一致したということでしょうね」

「……君は時々怖いことを言う」


 イスランシオは温くなりつつあったコーヒーを、一気に飲み干した。










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