悪魔の代名詞

 一つのフェイズが終わった。そう言えるだろう。


 エイドゥル・イスランシオは赤とも茶とも言い切れないガラスのような瞳で、目の前のモニタを眺めていた。無造作に伸びた黒茶色の頭髪と、微塵も日焼けをしていない青白い肌、背は高いが華奢とも言えるような骨格で形作られたこの青年は、まるで陶器の人形のような印象を放っている。


「推定死傷者数、三百万……か」


 その大半は、本土への核攻撃に晒された民間人だ。都市が丸ごと消し飛ぶような被害が出ていることもあり、正確な死者数の予測は困難だった。だが、死傷者の数はこれを下回ることはあるまいと、イスランシオは考えている。イスランシオたちのいる都市・セプテントリオは放射能の影響範囲から外れてはいるが、壊滅したビアリク市を始め、核の着弾を許したイルシア、メーゲン、アイボリックバーグ周辺半径百キロの範囲内は、進入禁止区域に指定されていた。つまり、対核装備を施された海兵隊や陸軍にしか救助活動が行えず、その活動ですら極めて限定的なものに留まることが明らかだったからだ。核兵器を受けた四市の負傷者はその多くが死亡するだろうし、生き残った者の大半は放射線による二次的な被害に苦しむことになるだろう。


 軍の方の被害に目を向けてみると、死者および行方不明者として四万六千、負傷者として十一万八千が計上されていた。わずか数日の攻撃によって、ヤーグベルテの軍人の一割が死傷したという計算になる。こと、海軍の被害は甚大で、第七艦隊を除くどの艦隊も三割程度の艦艇を喪失するに至っていた。第一、第二艦隊に至っては文字通り全滅しており、海域での救助作業すら行われていない。海域が即死レベルの放射能で汚染されてしまっており、近付くことすらできないからだ。


 そして……本土への上陸は、確認できていない。


 それがイスランシオには引っかかる。


 ここまでやったからには、何らかの追加攻撃があったって良いようなものだ。脅威のバリエーションは多い方が良い。ベオリアスやキャグネイの陸軍を捨て駒にして本土侵攻をしたって良いくらいなのに、その形跡は見当たらない。


 イスランシオは参謀部のサーバの情報まで漁っていたが――無論、非合法だ――そんな情報は一切ない。のだ。それが不気味だった。ないならないで、その旨の情報がどこかに落ちているようなものなのだが、三十時間以上探し回っても見つからない。イスランシオがこれだけ粘っても見つけられないということは、即ち、存在しないということだ。


「怪しさしかないな」


 だが、ここまで露骨な事をするだろうか。少なくとも、あのルフェーブル中佐ほどのキレ者ならば、こんな愚策は犯すまい。今は士官学校にいるというフェーン少佐が絡んでいるとも考えにくい。パウエルの奴は全く無関係だろう。フリードマン少佐の事は良く知らないが、経歴的に関与はなさそうだ。


 そして、士官学校といえばクロフォード中佐だが……。あの男が関与しているとなると、話はかなりややこやしくなる。情報がないこともまた、あの男なら故意にやりそうだからだ。だが、だとしたら何のために……? それがわからない。


「となると、一番スッキリするのは、やはりアダムスの野郎か」


 参謀部第三課統括アダムス中佐。イスランシオはコーヒーを飲もうとして、カップが空になっていることに気付いた。イスランシオはさっさとコーヒーを諦めて、左手で仮想キーボードを叩く。右手では彼自身が設計したネットワークアクセス用のコンソールを操作している。主に不正な手段でネットにアクセスしようとする時に、大いにハードウェアで、これはイスランシオの機体、F108P+ISインターセプタシュライバーにも搭載されている。これは身代わり防壁の役割も担っており、万が一不正アクセスが発覚した際にも電子的追跡を逃れるために使われる。


 イスランシオは考える。


 アーシュオンによるヤーグベルテ領土への直接上陸は、この十数年の間だけでも枚挙に暇がない。だが、そのほとんど、具体的にはたった一例を除いては、その全ては島嶼とうしょへの上陸作戦だった。それもほとんどが小競り合いレベルのものばかりで、何十年間に渡って、奪って奪われてを繰り返している土地だった。


 そのたった一つの例外というのもまた、アーシュオンによるものであろうと事案に過ぎず、確定的な証拠があったわけではないとされている。あの件――漁村襲撃事件――については、イスランシオも士官候補生の時代にずいぶんと調べ上げたものだ。それはあの事件があまりにも不可解だったからだ。


 軍とは縁も所縁ゆかりもなく、当然、防衛上の要衝というわけでもなく。領土問題とも縁遠い南国の限界集落。仮にその地をアーシュオンに実効支配されたとしても、ヤーグベルテ本国としては何の痛痒も感じない。地形学的に奪還も難しくはない。その村が突如謎の襲撃に遭い、たった一人の生存者を除いて、文字通り全員が惨殺された。ご丁寧にも遺体の首は全てじ切られ、その一名の生存者の周囲に几帳面に並べられていた。


 生存者……。


 イスランシオはその名前をふと思い出す。


 カティ・メラルティン――。


 そうだ、最近シベリウスから聞いた名前だ。なぜピンと来なかったのだろうと、イスランシオは己の記憶力をいぶかしむ。


「ゴーストナイト……だったか?」


 イスランシオはキーボードでその単語を叩く。


 あまりに不可解なその残虐行為に、当時は「ゴーストナイト」による仕業だ、などという噂がまことしやかに流れたものだった。「ゴーストナイト」という単語の起源は古い。遡れば紀元前にも似たような単語が出てくるらしい。要は、「何だかわからないが、何か恐ろしいもの」を指してそう呼んでいるらしい。達の総称である。


 無論、イスランシオは「ゴーストナイト」についても、漁村襲撃事件の調査と同時進行で調べあげていた。もっとも、大したことはわからなかったのだが。ただ、漁村襲撃事件を起こしたのが何者であるにしても、目的も何もかも不明なまま迷宮入りした事件であるということは事実だった。


「カティ・メラルティンに用があった、と考えるのが妥当だが」


 だが、当時八歳の少女にどれほどの価値があったというのか。


 イスランシオは腕を組み、そして空のコーヒーカップに目を遣った。



 




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