プロトコルとゲートウェイ

 レベッカたちがP.B.シェリーの詩集に思いをせていた頃、クロフォードは自分の執務室にて、渋面を窓の外に向けていた。その視線の先には、几帳面すぎるほどに整った隊伍を作り、必死になって走っている陸軍候補生たちの姿があった。彼らを追い立てているのは、アケルマン軍曹の怒号だ。


 アケルマン軍曹は一度は職務を外されたが、その後陸軍専属の教官として現場に復帰した。フリードマン少佐が「どうしても」とクロフォードに頼み込んだために実現した措置である。クロフォードにしても、アケルマンの処遇には悩んでいたところだったから、このフリードマンの申し出は渡りに船だった。アケルマンは学生には等しく恐れられていたが、彼の強烈すぎる指導を受けてきた卒業生たちからは絶大な支持を得ていた。軍人、それも将官クラスに至るまでがほぼ等しくアケルマンの味方であり、彼を独断で現場仕事から外したクロフォードに対しては、方々から囂々ごうごうたる非難が寄せられていたのだ。今後のキャリアさえも左右されかねないほどに。


 クロフォードとて、アケルマンが嫌いでそんな処分をしたわけではなく、むしろそろそろ現役を退いてのんびりしてもらいたいという想いの方が強かったのだが、それは軍人たちには伝わらなかったようだ。おそらく、普段のクロフォードの言動があまりにも突飛で過激であったために、誰もクロフォードの判断背景にまで思いを寄せなかったのだろう。


 アケルマンの過激すぎる指導というのは、教え子たちの生存能力サバイバビリティを僅かでも高めてやりたいという一途な思いから出ているものであって、それ以上でもそれ以下でもない。そんなことは直接の教え子ではないクロフォードにも十分すぎるほど理解できていた。だがその一方で、これからの海軍にとっては、アケルマンのような教官が不要になることもまた自明だった。


 セイレネスが実用化された暁には、一般の海軍軍人たちの役割は極めて限定的なものになる。後方で事務処理を行う者、前線で歌姫セイレーンたちのサポートを行う者――この二種類の職種しか必要ではなくなるかもしれないのだ。ヴェーラとレベッカは戦闘指揮能力も高いと判定されていて、そのため、彼女らがいる戦場では、艦隊の司令官すらも不要になるという目論見である。


「とはいえ、あの二人だけで全ての戦域をカバーすることはできんだろうし」


 隠居できるのはまだまだ先かと、クロフォードは心の中で呟いた。


「あら、あなた、隠居したかったの?」


 そんなクロフォードに声を掛ける人物がいた。クロフォードは舌打ちしつつゆっくりと振り返る。応接用のソファに、豪奢な金髪に輝かんばかりの碧眼の持ち主が座っていた。衣装は上から下まで全て黒である。男装の美少女、と言っても良い容姿の持ち主は、言うまでもなく、ハルベルト・クライバーである。


入ったとかいた、などという野暮な事は訊かんが」


 クロフォードは自分のデスクチェアに腰を下ろした。そして机の上で両手を組み合わせ、剣呑な目でハルベルトを睨む。


「お前はいったい何者なんだ」

「あら」


 ハルベルトは優雅に腕と足を組んだ。


「あたしはあたし。経歴は知ってるのではなくて?」

「ふん、あんな捏造情報には興味ないな」


 クロフォードも腕を組み、背もたれに体重を預けた。


「あらあら――」


 ハルベルトは肩を竦めた。


「あたしが何者かを正確に答えるには、あなたたちの扱える語彙はあまりにも貧弱だわ。それにあたしが神や悪魔に属する存在モノだと主張したとして、良識的なあなたは信じることができるのかしら」

だと主張されるよりは、よっぽど受け容れやすいがな」


 クロフォードは冷たい眼差しを向け、口角をついと上げた。


「あのイスランシオ大佐の能力をもってしても、お前の正体がつかめていない。ある意味では、それが答えだ」

「ふふ、あなたがそう言うのなら、そうなんでしょうね」


 ハルベルトはおた表情を見せる。それがクロフォードの神経を逆撫でする。だが、クロフォードは何を言うべきか見つけられず、無表情に沈黙する。


「あなたがすでに掴んでいるように、あたしはを守って来たわ。でもそれは、別に誰かから命令されたから、ではないのよ。あたしの目的のためにそうしてきていたに過ぎないわ」


 そうか、とクロフォードは気のない言葉を返し、デスクチェアをくるりと窓側に向ける。


「お前の正体についての詮索は時間の無駄だな」

「そうね、肯定するわ」

「ならばお前がここに現れた目的は何だ?」


 クロフォードは立ち上がると、速足でソファの所へとやって来た。そしてハルベルトの真向かいに腰を下ろす。ハルベルトは「ふふ」と一頻り含み笑いを見せた後で、一言、


「セイレネス」


 ……と言った。クロフォードは身を乗り出してハルベルトの目を抉り込むように睨む。


「セイレネスがなんだと――」

「セイレネスは」


 そうクロフォードの言葉に被せてくる。クロフォードはムスッとした表情を浮かべて、ソファの背もたれに身体を沈めた。その指はイライラと肘掛けを叩いている。ハルベルトはその様子をさも面白そうに見つめて、数秒間言葉を中断した。


「そう、薄々勘付いているようだけれど、セイレネスは単なる戦闘システムなんかじゃないわ。あれは、ジークフリートとこの世界との橋渡しのための機構システム。本来、あなたたちには過ぎたもの。あれは、セイレネスは、秩序に混沌を、混沌に秩序をもたらすための方法論プロトコル。異世界へのゲートウェイと言ってもいいでしょうね」

「……何が言いたい」


 クロフォードは冷徹な眼光を差し向ける。ハルベルトは涼しい表情で受け流す。


「あれはヴァラスキャルヴの産み出した、ラグナロクの為の呼び水みたいなもの」

「ラグナロク? 神々の黄昏だったか」

「そうよ、神々の黄昏。つまり、世界の喪失。既存の事物の消滅。神の世界のおわり。セイレネスはそのための舞台装置みたいなものよ」


 何を世迷言を――とは言えなかった。クロフォード自身、セイレネスについては得体の知れない不気味さを覚えていたからだ。クロフォードは歌姫計画セイレネスシーケンスを利用しようと考えているし、その手順はもうすでに動き始めている。だが、肝心の「セイレネス」が一体全体どんなものなのか、実は当事者たちは誰一人把握していないのだ。最もセイレネスに近い男、ブルクハルト中尉にしてもブラックボックス化されたシステムの奥までは知ることはできないし、コアでもあるヴェーラやレベッカに至っては、歌姫計画セイレネスシーケンスの何たるかさえ知らされていないのだ。開発元のホメロス社にしても、頑として情報を開示しないし、ヤーグベルテの中央政府はそれについては一切触れようとしない。


神々の黄昏ラグナロクの後、世界に遺されるのは二人の人間、そしてユグドラシル。そして人は再び神となり、ヴァラスキャルヴを創発エマ―ジェンスし、ラグナロクへと向かう。そんな風に、ツァラトゥストラの語りの如く、永劫の回帰を繰り返す。いえ、そうして繰り返してきた」

とは、ジョルジュ・ベルリオーズのことか」

「ティルヴィングを与えられし者をそうと呼ぶのなら、そうでしょうね」


 ハルベルトはあっさりとそう認めた。クロフォードには「ティルヴィング」の何たるかはわからなかったが、それが超常的な何かであることは直観的に理解できた。ジョルジュ・ベルリオーズはおそらく人類史上始まって以来、最大の権力者であり、真実のである。彼の隷下れいかにある「ヴァラスキャルヴ」は世界のあらゆる領域に根付いている。ベルリオーズが生み出したOS「ジークフリート」も、またしかり。


「俺はオカルトなものは信じない主義だったんだが、気が変わりそうだ」


 クロフォードは足を組んだ。ハルベルトは少しだけ身を乗り出して、「人はね」

と、クロフォードをその碧眼で凝視する。


「人は、自らの経験してきた以上のものを理解することはできないのよ。人の知恵なんて誤差の範囲でしかないしね」


 ハルベルトはおもむろに立ち上がった。クロフォードは目だけでそれを追う。


「人が新たに受容できる情報量は、その個人の持つ情報の総量に等しい。そういう意味では、セイレネスなんていうシステムは、まさに狂気の領域に存在するもの。本来、ものなのよ」

「だが、厳然として存在しているだろう」

「そう。存在している。でも、あなたたちには理解することは叶わない」


 ハルベルトは豪奢な金髪に手をやって、挑発的にクロフォードを見下ろした。クロフォードはソファに深く腰掛けたまま、眉根を寄せてハルベルトを睨みつけている。


「アーシュオンが動くわ」


 ハルベルトはドアの前に移動した。


「それによって、ヤーグベルテは未曽有の被害をこうむることになるわ」

「……防ぐ手立ては」

「ないわ」


 ハルベルトはにべもなく断定した。そしてニヤリとしながら振り返る。


「ヤーグベルテが地獄を見ること」


 そう言ってドアに寄りかかる。


「それもまた、セイレネスのためには必要不可欠な事象。そういうことでしょう?」

「……さぁな」


 クロフォードは目を逸らす。


「だが、利用できるものであるならば、利用はするだろう」

「でしょうね、あなたなら」


 ハルベルトは、ふふふ、と笑った。


もまた、そうするでしょうね」

「彼女?」

「そう、彼女。盲目のファウストを墓穴に突き落とそうとする悪魔」

「今度はメフィストフェレスの話か」

「そうね、そう言うのが良いわ」


 ハルベルトはまた微笑する。蠱惑的なほどに整い過ぎたその容姿は、いっそ神性の何かを感じさせられなくもない。


「ヴァラスキャルヴ、いや、ベルリオーズの後ろに、真の黒幕、そのメフィストフェレスとやらがいる――というわけか?」

「さぁて。でも、そうと言うのなら、そうなんでしょうね」


 ハルベルトは少し愉快そうな声音で応えた。


「もっとも、ファウストがは、ファウスト本人にしかわからないけれどね」


 その時、不意に窓ガラスが鳴った。強風が吹き付けたのだ。


 そこに一瞬意識を取られたクロフォードが慌ててドアの所に視線を戻した時には、もうハルベルトの姿は無くなっていたのだった。

 


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