束の間の

 ファミレスはガラガラだった。時刻はまもなく十七時になろうかという頃で、普段ならもっとびっしりと席が埋まっている。きっと今頃は、ここに来る予定だった人々の大半が、自分の家に帰ってネットの情報を見つつ、ニュース番組に齧りついている事だろう。


 ユーメラとは一時間の時差があるので、現地は間もなく十八時だ。空襲があったのは、家では誰かが夕食を作ったりしていた頃合の事だっただろう。あまりにもひどい不意打ちと、あまりにもお粗末な対応。たった数十分の空襲で、人口八十万の都市は機能を殆ど完全に喪失してしまった。空襲警報すらまともに用をなさなかったに違いない。


「それでさ、ちょっと訊きたいんだけど」


 ヴェーラは目の前に置かれたピザを切り分けながら、カティをちらりと見た。その蒼い視線をまともに受けたカティは、一瞬で思考を引き戻された。カティはやや慌ててコーヒーに口を付け、予想外の熱さに顔をしかめた。


「そこの大きいお兄さんが、カティの彼氏? いつか言ってたよね」

「ぶふっ」


 盛大に吹き出すカティ。正面にいたヴェーラは寸での所で身をかわし(ピザの皿を抱えつつ)、コーヒーの榴散弾を避け切った。見事な反射神経である。


「なにやってんのよ、カティ」


 ヴェーラとレベッカに挟まれているエレナは紙ナプキンをとりながら、さっさとテーブルの上を拭いた。ヴェーラはふんふん、と鼻を鳴らしている。興奮しているのか。


「図星? ねぇ、図星?」


 ピザをテーブルに戻しながら、ヴェーラが目を細めた。カティは目を丸くしてそのヴェーラを見詰め返す。


「んー? あれれ?」


 ヴェーラはレベッカと顔を見合わせる。レベッカは眼鏡のフレームの位置を直し、そして小さく肩を竦めた。ヴェーラはカティに視線を戻し、探るように視線をえぐり込んできた。


「だいぶ前、ええと、正確には去年だけど、カティとお茶しようとした時に、『あいつが強引で』とかなんとか言ってたよね、ベッキー」

「あったわね、確かに」


 驚異的な記憶力の二人が言うのである。それは十中八九間違いないことなのだろうが、当のカティにはそんなことを言った記憶はまるで存在していなかった。


「まいったな。まるで覚えていない」

「とぼけたー!? わかりやすいとぼけ方キター!?」

「ち、ちがうって、ヴェーラ」


 今度は吹かないようにと、慎重にコーヒーを口に運ぶカティ。その目は隣に座っているヨーンと、斜め前にいるエレナを交互に見ていた。


「ええと」


 ヨーンが腕を組みつつ口を開いた。


「残念ながら、僕の記憶にもないなぁ。メラルティンを引き留めるとか、そんな勇気ある行動はできないなぁ」

「なんだそれ」


 カティはヨーンを剣呑な目で睨む。その二人の様子を見て、エレナがピザを一切れ自分の皿に運びながら、「はぁ」とわざとらしく息を吐く。


「去年って、あたしとあんまり仲が良くなかった頃よね。……あ、ま、まぁ、今だってそんなに良いワケじゃないんだけどね。ちゃんと言っておくけど」


 エレナとカティが急接近したのは至極最近の話である。


「なんかカティに援護射撃してるみたいでシャクだけど、去年の事というならヨーンの事じゃないわね。だって、その頃のカティってば、同級生の事を男女問わず、芋か南瓜の仲間くらいにしか思ってなかったもの」

「芋か南瓜……」


 ヨーンは何事かショックを受けたようだった。そんなヨーンを意地悪な表情で見遣りつつ、エレナは情報を付加する。


「でもね、この二人、今はなっかなかイイカンジ――」

「え、エレナ!?」


 カティは思わず割って入る。だが、その後に言葉が続かない。ヴェーラはニヤニヤを隠せない。


「へぇ……」

「ヴェーラ、何を想像して――」

「カティ、よかったですね。ヨーンさん、すごく頼れそうですもんね」

「ベッキー、お前もか……」


 正面でニヤニヤしきりな三人の女子から目を逸らし、カティはヨーンを縋るような目で見た。ヨーンは涼しい表情をしながら、さりげなく天井にぶら下がっている電球を眺め、ゆるやかに腕を組んだ。


「ベッキー、お前もか、ねぇ」

「お、お前までニヤついて! なんなんだよ、もう!」


 カティは頬を真っ赤に染めて隣の偉丈夫に抗議する。だが、ヨーンはそんなカティを面白そうに見て、そしてしれっと言った。


「こうなったらさ、ルビコンを渡る勢いで認めたりしたら、どうかな?」

「なっ!? お、まっ!」


 言葉にならないカティの声に、一同は声を上げて笑った。それによってカティは耳まで真っ赤になった。それどころか、普段は真っ白にさえ見える首筋すらほんのり赤くなっていた。


「僕はね」


 ヨーンはカティの両肩をさりげなく掴み、カティの身体を自分の方に向かせた。


「君が好きだよ」

「あ? え……ん? ええっ!?」

「君の事が、好きなんだ」


 ヨーンはゆっくりとした口調で改めてそう言った。


 その途端、ヴェーラとレベッカはなぜか両サイドからエレナに抱きつき、エレナは二人の肩を無意識に抱きながら、カティとヨーンに繰り返し焦点を合わせていた。


 当のヨーンは、いつものように少し困ったような微笑を浮かべてカティを見詰めていた。対するカティは、首から上を真っ赤に染め上げながら、何度も口を開けては閉じるという謎の動作を繰り返し、そして髪を掻き上げたり撫で付けたりと忙しく手を動かした。

 

「じょ、冗談は、よ、よ、よしてくれよ」

「これを冗談だって言われたら、さすがにキツイなぁ」


 ヨーンは盛んに水を飲みながら、横目でカティを見た。


「いや、ほら、あの、だって、その、さ」


 心臓が痛い――カティは胸を押さえて深呼吸を試み、失敗する。その結果、中途半端な過呼吸状態になってしまう。そんなステータス異常を起こしている自分にさらに驚いて、カティは額や首筋に、はっきりそれとわかるほどの汗をかいた。


「アタシ、あの、いや、ヨーンが、あの、えっと」

「カティ、落ち着いて! はい、お水!」


 思わずヴェーラが身を乗り出しつつ、自分のグラスを突き出した。カティは自動的にそれを受け取り、その内容物(つまり水)を無理矢理胃の中に流し込んだ。その冷たさが食道と胃を刺激したことで、カティは幾分か落ち着きを取り戻す。だが、その時にはカティは何故だか涙目になっていた。そんなカティを見ながら、ヨーンは動揺を含んだ苦笑を見せる。


「ごめん、卑怯だった、かな?」


 そんなことをのたまったものだから、カティの血液は一瞬にして脳天に集結した。


「卑怯だ!」


 その声があまりにも大きかった。それに一番驚いたのは、誰あろうカティ自身だ。今度はレベッカが自らの水を差し出して、カティはそれを飲んでわずかながらも落ち着きを取り戻す。


「何で今」


 カティは声量を可能な限り抑えつつ、隣のヨーンを睨んだ。


「何で今、こんなところで言うんだよ……」

「ごめん」


 ヨーンは素直に謝ったが、前言を撤回しようとはしない。ギャラリーたちはごくりと唾を飲み込みつつ、静かに恋人のようなそうでもないような二人の一挙一動を観測していた。


 カティはレベッカからもらったグラスを両手で包み込み、中の氷を弄びながらぽつりと言った。


「アタシ、お前に怒られたろ、この前」

「……あったねぇ」


 ヨーンはやんわりと肯定した。カティも頷く。


「あの時、言いそびれた。お前が聞きたくないって言うから」

「……だったねぇ」


 そんなまったりとしたやり取りを、ヴェーラはギラギラした表情で見つめていた。そんなヴェーラを横目で見て、レベッカは嘆息し、エレナはなんだかいやらしい笑みを浮かべていた。


「でもまぁ、あの時、アタシ、お前に叱られて、あの、そのなんだ」


 カティは指をせわしなく動かしながらボソボソと言う。ヴェーラは「それでそれで!?」と表情で催促し、短気なエレナはいい加減焦れ始める。レベッカはまた溜息を吐いた。


「アタシ、今まであんな風に叱ってもらえたことがなくて、だから、その、お前がアタシの事考えてくれてるのがわかって。だから――」


 カティは息を飲み、そして唾を飲み、次の言葉を発するのを躊躇した。だが、誰一人何も言わない時間が流れてしまい、やがてカティは観念する。


「だから、嬉しかったんだよ。嬉しかった」

「そうかぁ」


 ヨーンは水を飲みつつ、間延びした声で言った。そしてまた困ったような微笑を浮かべつつ、頷いた。


「でも、そう思ってもらえたっていうなら、僕のあの時の一大決心は無駄じゃなかったってことだね」

「って、ヨーン、でいいわけ?」


 思わずエレナが介入した。ヨーンは曖昧に肯いた。


「いいわけないじゃない!? 嬉しかったって、カティ、あなたの気持ちってそれだけ?」

「そんなこと言われたって」


 カティは不貞腐れて、髪の毛を乱暴に掻き回した。エレナはイライラとしながら、自分の髪を後ろに撥ね除ける。


「あのね、カティ。聞いて」

「え、うん」

「後悔したくないんなら、迷うな! いつでも、どんなことでも!」


 エレナの栗色の瞳で抉られて、カティは思わず仰け反った。エレナは身を乗り出して続ける。


「好き、嫌い、わからない。今のあなたの気持ちって、どれかなわけじゃない? だったらさ、今のあなたの選択を、今ここで言うべきよ」

「でもさ、エレナ。アタシたちだって、いつ戦闘に――」

「あのね!」


 エレナはカティの言い訳を強引にインターセプトした。勢いに押されてカティは口を閉じる。


「私たちのがどうなってるかなんて、誰にもわからない。だからこそ、明日のあなたと今のあなた、心の中がくるりと変わっていたって、誰もあなたを責めたりはしないわ。だからをハッキリさせなさいな」


 エレナの言葉はカティの中にすぅっと落ちていく。エレナは少しだけ表情を緩め、囁いた。


「それにね、明日があるかどうかなんて分からないのよ、私たちには」

「……そうだな」


 カティはさっき見た凄惨で無臭なニュース映像を思い起こす。そして暫く唸った末、「アタシは――」とかすれた声を絞り出した。


「アタシのことなんて好きとかいう変な奴に会ったことがなくて。そんなこと言われるのを想像したこともなくて」


 カティは紺色の瞳を伏せて、ぶつぶつと言う。カティの発声とは思えない聞き取り難さに、ヴェーラは顔を顰めて身を乗り出してくる。まるでカティにキスでもせがんでいるんじゃないかというような位置関係と距離だ。だが、カティはヴェーラのそんな様子にすら気を配る様子はないようで、その視線はただ、テーブルの天板の上を彷徨さまよっていた。


「だからさ、えと、ヨーンもエレナも、他の奴より距離が近くて、だからいろいろ話せる――」

「あーもう、いっぺんぶん殴ってやろうか、カティ」


 エレナはじりじりしながら手のひらと指のストレッチを始めた。カティはやや慌てた様子で目の前のコップを持ち上げては下ろす、という、完璧に無駄な動作を三セット、繰り返した。


「でも、アタシ、さっきの言葉ですごく胸が痛くなって。何も考えられなくなって。だから多分、アタシも……」

「よし!」


 突然エレナが声を上げて立ち上がり、総員驚いてエレナを見上げた。


「ヴェーラ、ベッキー、帰りましょう」

「えぇっ!? いい所なのにぃ!?」

「ヴェーラ、いくら美少女でもね、出歯亀はウケないわよ」


 エレナのぴしゃりとした指摘に、やや慌ててレベッカが乗っかった。


「そ、そうよヴェーラ。ここから先はカティとヨーンさんのお話だわ」

「なんだよ、ベッキーだって見てたいくせにさぁ!」

「そこを察するのがオトナでしょ! 行きましょう、エレナさん」


 ベッキーも何かを振り払おうとするが如く、すっくと立ち上がる。カティの顔に、狼狽と動揺の二種類の感情がこれ以上ない程に浮かび上がる。


「ちょっと待てよ、お前たち! アタシたちだけ置いていくのか!? どうやって帰るんだ、そもそも」


 そんなカティを「くふふ」と見下ろし、エレナは勝ち誇る。


「この子たちの護衛官がそこらにいるでしょうよ。移動手段はそれで解決よ」


 そしてヴェーラを右手で引き摺り、左手をレベッカと繋ぎながら、颯爽と出て行った。カティも半ば腰を浮かせてしまったが、ヨーンに手を握られて、その体勢のまま硬直する。


 あ、手汗……。


 カティは不意に、そんなことを気にした。ヨーンがそれに気付いたかどうかは分からなかったが、彼は静かに穏やかに言った。


「まぁ、座ろうよ」

「あ、ああ、うん」


 カティは素直にそれに従い、そしてヨーンの手からゆっくりと逃れた。手のひらで制服の裾を何度か撫でる。その様子を見ながら、ヨーンは呟くように言った。


「……迷惑だった、よね」

「あ、いや、そんなことなくて。全然なくて」


 カティは慌てて両手を振った。ヨーンは少し笑い、コップの底にうっすら残った水を仰ぎ飲んだ。


「で……」


 カティはその様子をぼんやり眺めながら、少し熱くなった喉を意識しつつ尋ねた。


「アタシのどこがいいと思った? でかくて、がさつで、おまけに短気だし」

「そうだなぁ」


 ヨーンは頬をひっかきながら間を置いた。


「うん。君はスタイル抜群だし、確かに背も高いけど、僕よりは低いじゃないか。ちょうどいいと思うよ。それにがさつっていうよりはサバサバしてるというのが正しいと思う、君の性格は。短気は短気かもしれないけど、それは判断力が優れているからだと思う。僕にはない才能さ」

「おま……っ」


 しれっと口の中が痒くなるようなことを言い放ったヨーンに、カティは文字通り絶句した。ヨーンはそんなカティらしからぬカティを見て、ちょっとだけ首を鳴らした。


「もう一回言っておくけど、僕は君が好きだ。何度も自問自答したけど、間違いなく好きだということがわかっただけだ。君が僕をどう思おうが、僕はそんな気持ちでいる。今日はそれだけ覚えてくれれば、僕は十分幸せだ」


 ヨーンの少し困ったような微笑。それがカティの視界を支配している。カティはまた目を伏せ、自分のグラスに残っている水を飲み干した。


「さ、僕たちも帰ろうか」


 ヨーンはそう言うと立ち上がった。カティはさらに動揺したが、ヨーンのその落ち着いた視線を受けて、やがて頷いた。


「……うん」


 そうするしかカティにはできなかったし、他の言葉なんて思いつかなかった。


 だめな奴だ、アタシ……。


 カティは心の中で大きな溜息をいたのだった。

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