雷鳴

 食堂を出たカティは、まっすぐにガーデンスペースへと移動した。今まで入ったことは無かったが、エレナが「涼しいから考え事するにはちょうどいい所よ」と言っていた事を思い出したのだ。ガラス張りのそのスペースは、涼しい……を通り越して寒かった。カティはそこに足を踏み入れたことを一瞬後悔したが、すぐに首を振って腕組みをして、手近なベンチに座り込んだ。よく冷えたベンチは、カティのお尻と太ももを急激に冷やし、カティは思わず一度立ち上がる。


「ええい」


 カティは気を取り直して覚悟を決め、もう一度腰を下ろす。何かの苦行かと言わんばかりの冷たさがカティの下半身を瞬く間に冷やしたが、それによってわずかながらも冷静さを取り戻すことができた。次第にその冷たさにも慣れてきて、カティはホッと一息ついた。


 しかし、さっきのやり取り、そして二週間前のあのクライバーの言葉、それらを思い出すにつれ、カティの脳内温度は、再びふつふつと上昇し始める。背もたれに預けた背中にも冷たい感触がジワリと染み込んでくるが、頭の方まではなかなか冷やしてくれない。


 無力感――カティを支配し、怒りの感情を刺激しているのは、この無力感というものだ。


「無力、か」


 だからこそ、アタシは――強くなりたい。


 カティはそう思っている。


 無力でありながら生き残り、無力でありながら抜きんでた能力を有している。生き残り、そして、他者と比較して優れていることが明確であってもなお、カティは自分を無力だと感じていた。結局、になったら何もできやしないに違いない、と。


 ヨーンの言葉を思い出す。


 そうだ、確かにヨーンが一番手であったのなら、カティはヨーンを守ろうとするだろう。他に手段がなかったとしたら、身代わりにさえなるだろう。それは論理的に正しい判断だと言えたし、理論の上でも妥当な選択だと言えた。だが、納得はできなかった。釈然としなかった。


「論理だの理論だので、勝手に死なれてたまるか!」


 カティはベンチを拳で殴りつけた。指の付け根が何か所か切れて血が滲む。予想以上の痛みに、カティは思わず涙目になった。


「くそっ……!」


 涙を拭きながらカティは思う。自分はいったい何を恐れているんだろうと。自分はもう死んだようなものだと、そう思っていた。自分はの時に何ができたわけでもない。ただ見ていただけだ。そしてたまたま自分だけが生き残った。死んでいった者たちは、生きようという明確な意志があった。それに比べて自分はどうだ。ただ単に、生き残ってしまっただけじゃないか、と。自分はただ虐殺を呼び込んだだけの、どうしようもない存在じゃないか、と。


 でも、あの二人――ヴェーラとレベッカ――のおかげで、十年目にしてようやく、生きることが楽しいと思えるようになった。二人と他愛もない話をするのが、何よりの楽しみであり喜びであった。そしてそれがあったから、そうなれたから、今はヨーンやエレナがそばにいる。十数年をかけて、ようやく手に入れたもの。それが、だった。


 しかし、「そんなものは簡単に壊れてしまうのだぞ」と、F102はカティたちに突き付けた。やっとで手に入れた今なのに、あんな老朽機がわざわざ配備されてしまったために、自分たちは飛ばざるを得ないかもしれない。ただとされるために。そうなったら自分か、或いは見知った顔の誰かが死ぬかもしれない。ヨーンやエレナを失ってしまうかもしれない。見も知らぬ敵に、或いは無人の兵器に、一切合切を無視して葬り去られるかもしれない。


 そしてそんな日が来ないとは言い切れない。ヤーグベルテは、少しずつではあるが確実にのだから。むしろ、遠くない未来にその懸念が現実になる可能性の方が高いのかもしれない。


 そうなったら――その後はどうなる。


 カティはぐるぐるとループし始める思考を何とか制御しながら、考える。頭を抱えて、白い息を吐きながら、考える。


 喪失すること。それが怖いのか。


 八歳にして全てを失った自分が、再び得ることができた色々なものたち。ありていに言えば「幸せ」のようなもの。それを失うことは、這い上がった先で、再び奈落に突き落とされるのにも等しい。――だから、怖いのか?


 だったら、いっそみんなで死んでしまえば?


 いや、そうなのか?


 カティは血の滲む右手を左手で押さえつけながら、奥歯をギリと噛み締める。


 違う。


 ヴェーラやレベッカが死ぬとか、そんなことがあってはならない。エレナは殺しても死なないだろうけど、ヨーンは……。いや、ダメだ。自分の生死はさておくにしても、あいつらが死ぬのだけは認められない。絶対に。


 カティは右手を振って痛みを誤魔化しながら天井を見上げた。ガラス張りの天井、雪がふわふわと落ちてきては溶けていっていた。天井を伝う水滴を透過しながら、雲間の真昼の太陽がカティを照らし始める。光の当たった所はすぐに暖かくなって、それはとても心地の良い感覚だった。


「そうか」


 なんだ。


 カティは目を細めて太陽の方を見ながら、思わず呟いた。植物たちは、しんと静まり返り、まるでカティの方を注視しているようだった。


「死ぬのが怖いだけじゃないか」


 結局、そのシンプルな回答に行きついた。


 怖いのだ。死ぬのが。


 かつて唯一生き残ったカティは、その時点で「死ぬな」という遺言を託された。自分が死ねば、あの村の人たちの事を覚えている者はいなくなる。唯一の目撃者たる自分が死んでしまえば、事件はあっという間に風化してしまうだろう。生き残ったカティは、無数の遺志を拒否権すら与えられずに押し付けられた。それはこれからも続くだろう。生き残るたびに一つ、また一つと、無言の遺言を託されるのだ。


 しかし、それを履行できなくなるのが怖いわけではない。怖いのは、自分が溜め込んできた亡霊のようなものを、そのまま他人に押し付けてしまう事だ。そんなことはあってはならない。そして、他人の遺志を負わされることももうイヤだった。


「いや、臆病なだけか」

「そうかな」


 不意に真横から掛けられた言葉に、カティは文字通り飛び上がった。


「ヨ、ヨ、ヨーン!?」


 極至近距離にヨーンは立っていた。普段なら絶対に気付いている距離感だ。ヨーンは想定以上のリアクションをしたカティに、逆に驚いた。


「びっくりするじゃないか、カティ」

「こっちのセリフだ!」


 カティは耳まで赤くして怒鳴った。ヨーンは「ごめんごめん」と気のない謝り方をして、カティをベンチに座らせた。ヨーンは立ったまま、カティを穏やかに見下ろしている。


「……い、いるならいるって言えよ」


 恨みがましい言葉に、ヨーンは困ったような笑顔を返した。


「僕もさ、考えてたんだ。あのシミュレーションの日から」

「う、うん?」


 カティはヨーンを見上げ、その意図を探ろうとその目を抉り込むように見た。ヨーンは目を逸らすこともなく、かといって睨み返すようなこともなく、ただ困ったように微笑わらっていた。

 

「そしたら多分、今の君と同じ結論に達したんだ」

「……だから?」

「そうつっぱらないでくれよ」


 ヨーンは柔らかそうな金髪をぐしゃりと掻き回しつつ、考えを整理しようとした。そんなヨーンを見て、カティは何故だか無性に苛立った。


「アタシは、別にどうだっていいんだ。アタシがやられたって、お前とエレナがいれば何とかなる可能性はあるだろ」

「そういう言い方は好きじゃないなぁ」


 首に手を当てながらヨーンはそう応じたが、その言動すべてがカティの逆鱗に触れた。


「お前はさ、どうしていつもそういう表情で、そういう物言いをする! 腹が立つ!」


 ヒステリー。


 カティはそうであると自覚していた。だが、どうしても止められない。カティの中の攻撃性のようなものが、勝手にヨーンに向かって突き進んでいってしまう。止められないのだ。


「アタシなんかに自分勝手な責任を気楽に押し付けるなッ! 何が生贄だ! 何が迷わないだ!」


 何故かカティの口がそんなことを言い放つ。


 その瞬間、カティの身体が浮かんだ。


「え……!?」


 カティはかすれた声を出した。カティは一瞬にして、ヨーンに襟首をつかまれ、強引に立たされていた。味わったことのない圧迫感に、カティは思わず息を飲んだ。


 ヨーンの灰緑色の瞳はいつになく苛烈で鋭利だった。ヨーンはひとつ息を大きく吸い、そして怒鳴った。


「僕は僕の考えでそう結論した! それを君に罵倒されるいわれはない!」


 雷鳴のようなその声に、カティの身体からはすっかり力が抜け落ちてしまった。「腰が抜けた」と言っても良い。今まで声を荒げた事はおろか、不愉快な表情を見せた事すらないヨーンが、憤怒の形相で怒鳴ったのだ。襟首を掴んでいるその握力は凄まじく、腰の抜けてしまったカティにはどうやっても引き剥がすことは出来そうになかった。


「僕だって、死ぬのは怖い。死にたくなんてないさ! でもね、君が死ぬよりはずっと良い。僕は君の戦死の報せなんて絶対に聞きたくない。そんなものは見たくない。絶対に。一生ね。僕だって悩みぬいてここに辿り着いた。君だけじゃない。悩んだのは君だけじゃない。僕らだって必死に考えていたんだ」


 ヨーンはカティを睨み据え、カティの奥歯が音を立て始めた。目にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。


「君はこれでも、僕の考えが気楽なものだって言えるのか!?」


 そこでヨーンはハッとした表情を見せて、慌てて手を離し、カティをベンチに座らせた。自分もその隣に腰を下ろす。


「ごめん、カティ。痛くなかったかい」

「だいじょうぶ……」


 カティは喉元を押さえながら頷いた。怒鳴られた衝撃が大きすぎて、なんだか喉がつかえてしまうような感覚があっただけだ。


「僕は……君を失いたくない」

「ヨーン……?」


 その意図を読み解くのに失敗し、カティはヨーンを見詰めた。紺色と灰緑色の視線が交錯する。


「僕は絶対に君を守る。シミュレータなんてどうでも良いけど、仮に本当に実戦に巻き込まれるような事態になったとしたら、僕はどんな手を使ってでも君を守る」

「アタシは……」

「いいんだ。今は言わないでくれ」


 ヨーンは静かに立ち上がる。


「今は僕の気持ちだけ受け取ってくれないか」

「そんな、それは」

「僕のわがままだよ。でも、今の僕は正直いっぱいいっぱいなんだ。今すぐここから逃げ出したいくらいに」


 ヨーンは背を向けて歩き出す。カティは腰が抜けたままだったので、立ち上がることもできない。


「待って、ヨーン」

「ごめん。またあとで」


 ヨーンはそのまま出て行ってしまった。


 取り残されて俯いたカティは、その拍子に自分の顔から雫が落ちて行ったのを見た。


「アタシ、泣いてる……?」


 この時のカティにはまだ、その涙の理由はよくわかっていなかった。



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