#03-3:暗黒空域

僕は迷わない

 F102でのシミュレーション訓練が始まってから、二週間が過ぎていた。カティの同級生たちは全員が一通り飛ばせるようにはなっていたし、火器の扱いも九割がた把握したというような状態にまで、訓練は進んでいた。だが、所詮はF102である。カティたちが軍に配属される頃には、主力は現在試作が進んでいるF108あたりが主力機になっているであろうから、本来であればF108の操縦系をマスターするのが最優先であるはずだった。だが、中央政府のオーダーは違っていた。そしてそのオーダーは、ブルクハルト中尉による淡々とした教練の中で、まもなく完遂されようとしていた。


 食堂は、昼休みという事もあって喧騒甚だしい。その窓際の隅に陣取ったカティ、エレナ、ヨーンの三名は、手早く食事を済ませ、何とはなしに壁に掛けられたテレビを眺めていた。芸能ニュースが羅列されたテロップを一通り眺めたカティはきつく腕を組み、ゆっくりと目を閉じた。


「まったく、くだらないことばっかりだ」


 カティの呻きにも似た呟きを前にして、エレナとヨーンが顔を見合わせる。あの一件以来、ヨーンとエレナの距離も少しだけ縮まり、こうして三人でいることが多くはなった。だがしかし、肝心のカティが元から少ない口数をさらに減らしてしまっているものだから、三人は何ともぎこちない関係にあるようにも見えた。


「ねぇ、ヨーン。今のカティは何に対して一番怒ってるの? 心当たりない?」

「やっぱりイクシオンの件じゃないのかなぁ」


 僕だってアレを思い出したら心穏やかではいられないよ、などと付け足しつつ、ヨーンはぼんやりと答えた。


 ハルベルトの放った言葉――どちらかがぶつかりに行くべきだった――は、三人の胸に深く突き刺さったままになっていて、思い出す都度に、疼くような痛みが胸の内に広がった。とりわけ、実質的にリーダー――すなわち――を任されるカティの心には、より深く広い傷がついていた。


 そんなカティを見詰めるヨーンの目元を窺いつつ、エレナは頬杖をついた。不機嫌なカティを見ているヨーンは、どことなく困惑しているようにも見えた。もっと有体に言えば、なんだか挙動不審だった。エレナとヨーンが会話をするようになって二週間になるが、エレナには最初から、このヨーン・ラーセンという人物はどことなく挙動不審に見えていた。もっとも、この場の三人の中では(当事者たちを差し置いて)、エレナだけはその挙動不審の根本原因に気が付いていた。


「アタシは味方を犠牲にするような戦い方は絶対にしないからな」

「はいはい」


 あまりに何度も繰り返した遣り取りだったので、エレナはぞんざいに返事をする。ヨーンは苦笑して、カティに向かって真面目に肯いてみせている。


「わかってるよ、メラルティン」

「お前たちも盾になろうとか、そんなことは絶対に考えるなよ」

「でもさ」

「絶対にだ」


 反論は許さない。カティの視線と声音には、そんな強烈な圧力が込められていた。ヨーンはおもむろに立ち上がると、コーヒーのセルフサービスコーナーに行き、三人分のコーヒーをトレイに入れて持って帰ってきた。その間、カティとエレナは互いに腕組みをしたまま、あらぬ方向を眺めていた。


「さて、まぁ、一杯飲んで落ち着こうよ、メラルティン」

「……ありがとう」


 カティは素直に礼を言い、熱いコーヒーを一口飲んで、顔を真っ赤にした。彼女の舌には熱すぎたのだ。


「あちち……」

「だいじょうぶ?」

「あ、ああ。ちょっとした猫舌なんだ。あ、そこまで酷くはないぞ。ちょっとした、だ」


 カティは何故だか慌てて弁明し、コーヒーカップをテーブルに置いた。冷ましておこうという魂胆が見え透いていた。エレナはニヤニヤしながらコーヒーを飲み、カティとヨーンの二人を観察することに決めた。自分が出る幕はないと踏んだのだ。


「ごめんよ、メラルティン。熱い方が良いと思って、用意されたばかりの方を入れてきたんだ」

「ああ、いいんだ。気を使ってくれたのはわかってる」


 ……この二人、不器用だわ。エレナは内心でそんな事を思っている。


 三人は敢えて押し黙り、目の前のコーヒーをゆっくりと片付けた。カティが飲み終わったのを見て取って、ヨーンが目を伏せつつ言った。


「仮に僕が名実ともに一番機だったとしたら、あの状況なら君は多分ミサイルにぶつかりに行くと思う」

「……アタシがお前を自己犠牲で守るってこと?」

「僕が名実ともに君より優れていたなら、という条件付きだけどね」


 穏やかな口調のヨーンには、隙が無い。一方で、カッカしているカティは笑えてしまうほどに隙だらけだ。エレナはドキドキしながら二人の会話を追っている。


「どうしてそう言える、ヨーン」


 ぶっきらぼうに過ぎるその問い掛けに、ヨーンは穏やかな表情を見せた。


「君が僕たちにのと、全く同じ理由で、だよ」


 ヨーンは殊更にゆっくりと慎重に言葉を選んだつもりだったが、それはカティには逆効果だった。カティはたちまち柳眉を逆立て、腰を浮かせ、ヨーンに詰め寄った。


「ふざけるなよ、ヨーン」

「カティ、落ち着きなさいな」


 たまらずエレナも立ち上がってカティの肩を抑えつけるが、カティは煩げにその手を払った。


「ヨーン、お前は何なんだ? アタシの心の中が見えてるとでも言うのか? わかってるんだぞみたいな顔しやがって!」

「カティ!」


 エレナはカティの後ろに回り込み、強引に椅子に座らせようとする。一方のヨーンはと言えば、椅子に座ったまま、じっとカティの目を見詰めていた。カティの剣幕にも、全く動じている様子はない。泰然自若たいぜんじじゃくの四文字を具現化したかのようなその態度を見せつけられ、やがてカティの方が折れた。


「ちくしょうめ」


 カティは空になったコーヒーカップを睨みつけ、テーブルの上で両手の拳を握りしめている。その様子を見て、ようやくエレナは自席に戻った。ヨーンはふと表情を緩める。


「落ち着いたかい?」

「ちくしょうめ……」


 カティは繰り返した。だが、その語気は弱い。カティはその紺色の視線を上げ、ヨーンを睨み据える。ヨーンはそれを穏やかに受け止める。


「アタシは仲間を犠牲にするようなことは、そんな飛び方はしない。犠牲になんてさせない。何が生贄だ。何が代わりに食らえだ」

「僕もそう思っているよ」


 ヨーンはその灰緑色の目を少しだけ細める。


「でも僕の最優先使命は、君を守る事だと思っている。いよいよ手段がなくなれば、僕は使うだろう」

「だから――」

「でも君は」


 カティの介入を阻止して、ヨーンは自分の言葉を続けた。


「メラルティン。いや、カティ」

「うっ……?」


 初めてファーストネームを呼ばれ、カティは言葉に詰まった。いつもメラルティンと呼ばれていたから、その違和感と、それとはまた別の得体の知れない何かに息を詰まらされた格好である。


「君は強い。実機でだってたぶん強いだろう。生贄だのなんだの言う前に、敵を殲滅してしまうかもしれない。どこでだって自由に戦えるかもしれない。いや、たぶん、そうだ。どんな機体だって手足のように扱える、そんな才能があるんだろう」

「ヨーン……?」


 カティは硬直している。エレナは黙って二人の間に視線を彷徨さまよわせている。エレナは口笛を吹きたい気持ちをぐっとこらえて、ひたすら沈黙を守った。気が付けば周囲でざわついていた学生たちも皆、一様に発言を控えているようだった。食器がぶつかる音だけが時々響いている。いつもは騒がしい食堂が、かなり異質な空気に侵されていた。


「でもね、カティ。一つ言っておくよ」


 ヨーンはテーブルの上で両手の指を組み合わせた。


「僕は君が危険な状態になってしまったなら、迷わず盾になろうとするだろう。戦略だの戦術だのなんて、だ。そんなこと、僕には関係ない。僕はね、その時その時、僕にできることをやりたい」


 ヨーンの目はカティをまっすぐに捉え、決して逃がすまいと瞬きすらしない。カティは蛇に睨まれた蛙のように、指先一つさえも動かせなくなっていた。


「僕はね、僕自身のためにできることをやりたいんだ」

「ちょっと、アタシには何言ってるのか」

「わかってるはずさ、カティには」


 ヨーンはようやく目を逸らし、エレナの方をちらりと窺った。エレナはニヤニヤが止められないだらしない表情のまま、その視線に捉えられて硬直する。ヨーンは微妙な表情をエレナに向け、そしていったん目を伏せてから、またカティをその視界の中央に捕捉した。


「カティ、僕はね、後悔しない。後悔しないために、僕は迷わない。絶対に、だ」


 ヨーンのその澄んだ声は、カティの胸に深く突き刺さった。ヨーンの知性、教養、そして純粋さのような何かが融け合った、そんな言葉だった。カティは言葉をまったくもって見失い、エレナは口元を押さえて一種呆然とした表情でヨーンの顔を見詰めた。


「絶対にダメだ、君はそう言うかもしれない。でもね、そんなことを言われたって、仮にぶん殴られたとしても、僕はこれを譲る気はないんだ」

「ヨーン、アタシは――」

「いいね、カティ」


 カティの言葉に覆いかぶさるヨーンの言葉。反論を完全に封じられたカティは、椅子を蹴って立ち上がった。


「勝手にしろ!」

「ちょ、カティ!」


 エレナは腰を浮かせかけたが、ヨーンが動かないのを見て、再び椅子に戻った。カティは大股でその場から離れて行く。

 

「まったく……。ヨーンもカティも、ああいうのは二人の時にやってよね。私の居場所がなかったじゃない」

「え?」


 ヨーンは目を丸くしてエレナを見る。エレナは額に右手を当てて溜息を吐く。


「自覚なし? 自覚なかったわけ?」

「自覚?」

「だ、だめだこりゃ」


 エレナはヨーンの方に自分の椅子を寄せた。


「あのね、さっきの、にしか聞こえなかったんだけど」

「ええっ!?」


 大柄なヨーンが仰け反った。椅子がガタンと音を立てる。


「いや、待ってくれジュバイル。そんなことは」

「ないの?」

「いや、そうとも言っていないけど――」

「あるの?」

「いや、あの」


 ヨーンは両手を振りながら、引き攣った笑いを浮かべていた。エレナは「ふぅむ」と唸りつつ、ツイと目を細めた。これ以上ないというくらい意地悪な目つきである。


「で、どっちなの?」

「ジュバイル、勘弁してくれよ……」

「好きなんでしょ、カティのこと」

「な、何を言ってるんだ。第一、僕は、そんな」


 これ以上ないというくらいに顔を赤くして狼狽えているヨーンを見て、エレナは盛大に溜息を吐き出した。肩を大袈裟に竦めるジェスチャー付きだ。ヨーンはさも用事を思い出したかのように慌てて立ち上がる。エレナはその偉丈夫を見上げて鋭く呼びかけた。


「ヨーン」

「は、はい」

「しゃっきりせんかい!」

「ええと、だから――」


 喝を入れられ露骨に挙動不審に陥るヨーン。エレナはすっくと立ち上がると、カティが立ち去った方を指差して言った。


「カティ、今頃一人でうじうじやってるわよ。責任取ってきなさい」

「責任って、ええっ、なんで!?」

「今行かないと、二度とカティはあなたと話をしなくなるかもしれないわよ」

「そんな……」


 ヨーンはまるで迷子になったヒグマのように、うろうろと歩き回る。


「嫌ならさっさと行きなさい」

「あの、ジュバイル、一緒に行かない?」

「一人でお行き!」


 エレナは冷たく言い放つと、テーブルの上に放置されたままのコーヒーカップたちを回収し始める。そしてまだその場から動けずにいるヨーンに発破をかける。


「午後の教練、始まっちゃうわよ。さっさと行った行った!」

「何を言えば良いんだよ……」

「さっきみたいに、あなたが思ったことを言えば良いのよ。その結果どうなったとしても、何も伝えないよりはずっと良いわ」


 エレナはそう言うと、シッシッとヨーンを追い払った。


「まったく、どうして私、こんなお節介してるのかしら」


 立ち去る偉丈夫を半眼になって見送りながら、エレナはゆるゆると頭を振った。なんだか少しだけ、腹が立ち始めてきているエレナであった。


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