二人の告白、秘密の共有

 カティとエレナは、並んで湯船に浸かっていた。


「生き返るわねぇ」

「まったくだ」


 しかも貸し切りの浴場である。贅沢この上ない環境だ。流れるお湯の音がまた、二人の聴覚を優しく刺激してくれている。包み込むような蒸気もまた、二人の意識をほんのりとリラックスさせてくれていた。


「エレナはさ、自分が好きじゃないだろ」

「な、何よいきなり」

「どうなの」

「……好きじゃないどころか、嫌いよ」


 エレナは湯船に顔を沈めながらブクブクと答えた。カティはそんなエレナの肩を抱くようにして密着する。慌てたのはエレナで、顔を真っ赤にしてカティから距離をとった。


「び、びっくりするじゃない」

「何をそんなに。女同士なんだし、いいじゃないか」

「必要以上に密着されるのが、その、苦手なのよ!」


 実はそれはカティも同じだ。だが、いったんプライベートゾーンへの侵入を許可した相手にであれば、どんなに密着されても許せてしまうという性分でもある。ヴェーラ、レベッカ、そして今のエレナが、その許可対象である。


「エレナは自分が嫌いだって言ったけど」


 カティはエレナの正面に移動しながら言う。


「そんな自分を変えたいと思ってる?」

「……べ、別に」

「ふうん」


 カティは腕を真上に上げて伸びをし、追加で尋ねた。


「エレナは誰かに好かれたいと思ってる? 嫌われたくない?」

「なんか、心理学の先生みたいよ、それ」

「どうなんだ?」


 茶々に負けず、カティは質問を押し切った。エレナはゴクッと唾を飲み込みつつ、カティの視線から逃げようと目を逸らす。


「はぁ……」


 エレナは手拭いで顔を拭いた。


「かなわないわね、まったく」


 エレナは浴槽の壁に背中を付け、天井の照明を見上げた。


「あなたの言う通り。お察しの通り。私はね、誰からも認められたい。一番でいたい。好かれたい。ちやほやされたい。……悪い?」

「悪かないさ」


 カティは即答して、腕を組んだ。静かな空間の中で、お湯の水面がちゃぷちゃぷと音を立てる。


「でもね、カティ。私は結局何もできなかったのよ。一番にはなれない。嫌味な性格だから敵も作る。家はなんだかなくなっちゃったし、兄も勝手に戦死しちゃったし」


 エレナの言葉には棘があった。しかしその棘の尖端は、エレナの方を向いている。


「誰かに好かれたいならさ、認められたいならさ」


 カティは頭の中で言葉をり集める。


「そうなりたいなら、まずは自分で自分を好きにならないとダメなんじゃないか?」

「自分を好きに? ナルシストじゃあるまいし」

「程度問題だよ、それは」


 カティは唇の右端を上げた。


「考えてもみろよ。自分の事すら嫌いな人間をさ、誰が好きになるって言うんだ? 自分でさえ認めてやれないような自分をさ、誰が認めてくれるって言うんだ?」

「でも――」

「心の広い誰かは、ほんのごく一部の人は、そんなことをしてくれるかもしれない。でも、それを期待するのは、他人に求めてしまうのは、ちょっと傲慢というか、怠慢なんじゃないか?」


 カティの言葉にエレナは黙り込む。カティもまた、じっと時間が過ぎるのを待った。お湯が流れる音だけが揺らいでいる。


「あなたは……」


 数分が経ち、少しだけのぼせてきた頃に、エレナがやっとで口を開いた。


「あなたは自分が好きなの? 認めてるの?」

「いや、全然」

「なにそれ! 自分でできていないのに、私に説教したの!?」


 エレナは水音も激しく立ち上がった。カティの目の前に、エレナの肢体が惜しげもなく晒される。


「客観的にだからこそ、見えることだってあるだろ」


 カティはその裸身をなんとなしに眺めながら、しれっとして言った。エレナは再び湯船に肩まで浸かり、カティに少しだけお湯をかけた。


「いけ好かないわね、ほんとに」

「お誉めにあずかり光栄」

「誉めてないわよ!」


 エレナはそう言い放ち、唇を尖らせた。


「そうね、でもあなたは不思議な人ね。カリスマ性でもあるのかしらね」

「どうだかな」


 カティは微妙な笑みを浮かべる。そんなことを言われたのは初めてだった。


「まぁ、アタシがこうして他人と話せるようになったのは、ヴェーラとベッキーのおかげみたいなもんで」

「あの二人か……」


 二人のことを知らない士官候補生はおそらくいないだろう。


「多分だけど、ヴェーラならこう言うだろうね。今の自分を認めてあげられないなんて、それまでの自分がかわいそうだよ――とかね」

「それはヴェーラじゃなくて、あなたの言葉っていうのよ。そうか。がかわいそう、か」


 エレナは「のぼせたわ」と言いながら立ち上がった。カティもちょうどいい具合に出来上がってきていたので、それを追うようにして立ち上がる。


「カティ、今日、あなたの部屋に泊まってもいい?」

「帰りたくないんだろ」

「……うん」


 まったく、素直じゃないな。


 カティは頭をバスタオルでごしごしやりながら、思わずニヤニヤしてしまう。


「今夜はとことん付き合ってやるよ、エレナ」

「何その言い方。やらしい」

「はははっ。心配するな、そっちの気はない」


 カティは手早く服を着ると、エレナの着替えが終わるのを携帯端末を見ながら待った。


「お待たせ。髪短いとさっさと乾いていいわね」

「切ったら?」

「サッパリしてていいかなとは思うんだけど、勇気が出ないわ」

「アタシもベリーショートにするにはちょっとばかり勇気が足りてない」


 そんな会話をしながら、二人は連れ立って廊下に出た。そこは身体がビックリするくらいに冷えていて、早く部屋に辿り着かないと逆に風邪をひいてしまいそうだった。


「第一あなたは」


 部屋の中に入るなり、エレナは腰に手を当てて振り返る。


「どこに欠点があるの?」

「はぁ?」


 カティは右手で髪の毛を掻き回す。


「アタシなんて欠点だらけじゃないか」

「一つくらい、具体的に教えなさいよ」


 エレナはカティに詰め寄り、カティは「まぁまぁ」と両手を立ててなだめた。


「ああ、そうだ。エレナがベッド使いな」

「なんで? ソファで十分よ。押しかけたのは私なんだから」

「いいから。疲れてるだろ」


 カティは体格差を利用して、エレナをぐいぐいとベッドの方に押しやった。


「ちょっと……!」

「お前はいろいろあって疲れてるんだ。せめてちゃんとしたベッドで寝ろ」


 有無を言わせぬ口調に圧倒されて、エレナは渋々ながら頷いた。


「わかった。でも、あなた、あんなソファじゃ寝られないじゃない」


 確かに、カティの部屋のソファは二人掛けのもので、超がつくほどの長身であるカティが寝るとなると、膝から下くらいが完全にはみ出してしまう。だがカティは肩を竦めてあっけらかんとした調子で言う。


「いや、これが結構快適に眠れる。ソファで本読んでて、気付いたら朝だったなんてこともしょっちゅうある」

「まったく、変なところで不健康なんだから」


 エレナはニヤっと笑い、ベッドにごろりと横になった。

 

「今日の借りは、必ず返すからね、カティ」

「貸したなんて思ってないぞ」

「プライド。私のプライドの問題よ」


 エレナはカティの枕に顔をうずめながら言った。カティは「はいはい」と気のない返事を返しつつ、本棚から先日読み終えたばかりの小説を一冊取り出した。


「ねぇカティ」

「うん?」

「あなた、今の自分のことは好き?」

「今の?」


 カティはその紙媒体を右手で弄びながら、しばし思案する。


「さっきも言ったじゃないか。全然さ」

「どうして?」


 そう尋ねるエレナの栗色の瞳を見つめ返し、そして静かに目を伏せた。


「十年前のからかな、嫌いになったのは」

「あの、漁村襲撃の……?」

「ああ」


 カティは大きく息を吐いた。


「あれから五年間、アタシはほとんど記憶がない。正確には、人と関わった記憶が、ない」

「人と?」

「そう。アタシは隔離病棟にいたから、看護師やカウンセラーとは会っていたはずなんだけど、その時、誰とどんな話をしたのかなんて、一つも覚えていない。小説とか映画とか、そういうのは不思議と記憶に残っているんだけど」


 カティは自分のこめかみを人差し指でつついて見せる。エレナは深刻な表情で頷いた。


「だって、あの大虐殺の唯一の生き残りでしょ、あなた。それだけのものを見てきたんだもの、そんなことだってあるわよ」

「まぁね……」


 カティは立ち上がり、キッチンに向かう。


「何、飲む?」

「なんでもいいわ。あなたと同じのをちょうだい」

「オーケー」


 カティは慣れた手つきでココアを用意し、エレナに手渡した。


「でもなんで、あなただけ生き残ったのかしらね……」

「さぁね」


 カティは目を伏せながら答えた。


 儀式――とか言ってたけど。


 カティはあの男の言葉を思い出す。あの男の姿と声は、今でも明瞭に思い出すことができる。


「でもまぁ」


 カティはそこで区切って、ココアを一口飲んだ。


「あの事件以後、アタシはアタシのせいでああなったんじゃないかって、ずっと自分を責め続けた。今になって冷静に考えりゃ、アタシが何をどうしていようが、わけなんだけど。あの大量の兵士がどこから来てどこに潜んでいたのかさえわからないし。ともかく、アレはもうああなるべくしてなったんだと、まぁそんなことに思い至って、ようやく失語症から回復した」


 そして「その後のリハビリは地獄だったなぁ」と付け加える。エレナはカティのあっけらかんとしたその告白に、やや呆然とした表情を浮かべていたが、やがて小さく声を上げて笑った。


「あなたの強さの起源ルーツはそこなのね。そりゃ、勝てないわけだ」

「うん?」

「私とはが違うってこと」


 エレナは手を温めるようにしてカップを持ち、ほう、と息を吐いた。


「エレナはどんな?」

「話せるようなものなんて何もないわ」


 エレナはそう言ってしばらく天井を見ていたが、なんだか少し悲しそうに首を振った。


「何もない――」

「何もないなんてことはないだろう」

「ないわよ。裕福な家庭で育ったお嬢様。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 エレナは「この話題は止めましょ」と言わんばかりに立ち上がり、カップを持ってキッチンへと向かう。カティもココアを飲み終えるとエレナの隣に立った。


「アタシが洗うから。お前はそろそろ寝なよ」

「い、いいわよ。私が使ったんだもの。あなたのも洗うわ」


 エレナは頑として譲らず、結局カティのカップもエレナが洗った。


「でもね、カティ。一つだけ、私にもがあるのよ」

「ないもの?」


 カティはソファに、エレナはベッドに腰を下ろし、斜めに顔を見合わせる。


「小さい頃の記憶。何も覚えていないのよ」

「どういうことだ?」

「小学校三年の時に転校したんだけど、それ以前の記憶が一つもないのよ」

「うーん……」


 カティは腕を組む。


「でも、そのくらいの頃なら、意外と覚えていないもんなんだろうけど」

「普通、子どもが生まれた時の写真とか、幼稚園の頃の記録とか、何かしら残しておくものじゃない? うちだって兄のはあったし。私だけがネグレクトされてたとかそういう事はないと思う。普通に甘やかされて育ったって思い出しかない。でも、ないのよ、転校する前の記憶が」

「事故にでもあったとか……」

「ないない。それこそ、そんなことがあれば私の記憶に残ってるわよ」


 エレナはベッドにごろりと横になった。


「あー……でもなんだかすごく眠くなってきたわ」


 ふわぁ、と絵にかいたようなあくびをするエレナに、カティもつられた。


「そうだな。寝ようか」

「ベッド、本当に良いの?」

「ああ。今日はゆっくり休んでくれ」

「あなた、優しいね」


 ぼそぼそと放たれたエレナの言葉に、カティは虚を突かれる。


「優しい?」

「見た目と違って……」

「え、なんだよそれ――」


 ツッコミを入れかけたところで、カティはエレナが眠っていることに気付いた。すっと眠りに入ってしまったようだ。


「やれやれ」


 カティはその無防備な寝顔を見て、少しだけ笑う。


「ま、いいか」


 そして部屋の電気を消して、自分もソファに横になった。


 睡魔はすぐにやってきた――。




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