エレナの涙

 二人と別れたカティは独り、夜道のドライブを楽しむことにした。ピザ屋にいる間に雪が降り始めていて、道路はすっかりふかふかの新雪に覆われてしまっていた。そんな道を青白く照らし出しているのは、ずらりと整列した街灯たちだ。その明かりがますます寒々しくて、車外の空気を凛と張り詰めさせていた。


 たまに見かける歩行者は皆、寒そうに背中を丸め、白い息を吐きながら俯き加減に足を進めていた。ガチガチに凍った路面に足を取られて、転びそうになっている人も見た。彼らはいったい、どこから来てどこへ向かっているんだろうと、カティはふと疑問に思った。


 喉が少し火照っている。普段は教練で幾らか声出しはするが、それ以外は滅多に声帯を使わない。だから、ヴェーラたちと会った後は、大抵こんな風に喉が熱くなる。そんな喉を冷ますためにも、車内のこの少し冷えた空気は心地よかった。思い切って車を購入して良かったとも思う。なかったら冬場は外出すら億劫だったことだろう。


 やっぱりあいつらといると、ほっとする――カティは張り詰めていた身体や神経が、適度にほぐれている事に気が付いた。


 カティは信号待ちの間に車載の音楽プレイヤーを操作する。登録済みのリストの中からランダムに選曲されて、やがて車内はに満ちる。流れてきたのは冬をテーマにしたラブソングだ。雪の降る夜のスキー場(カティはスキーなどしたことがなかったが)で流れていそうな、そんな曲だ。


 この曲が世に出たのは七、八十年も前だったから、今とはだいぶ文化も違っているのだろうけれど。でもたぶん、こういう愛だの恋だのの物語の姿は、永遠に変わらないんだろうな――カティはそんなことを考える。斯く言うカティも、十八歳現在に至るまで、恋愛らしい恋愛なんてしたことがないのだが。彼女の知っている恋愛というのは、小説や映画で学んだものばかりだった。音楽の趣味と同様に、カティはクラシカルなラブストーリーやラブコメディが好きだった。なお、その趣向の事は、ヴェーラたちにでさえ話したことはない。


 少し遠回りして寮に帰った頃には、七、八曲分の時間が経過していた。


「あれ?」


 閑散とした駐車場に、明らかに高級車とわかる車が止められている。カティはその車に見覚えがあった。一般的に出回っている国産大衆車の十倍以上の値段のする、エル・マークヴェリア製の超がつく高級車だ。士官学校には少なくない数のブルジョワジーの子息が通っていたが、それでもこんな場違いな車に乗る者は多くはない。


 だが、その持ち主が帰寮するのは、一月五日だったはずだ。予定を三日も早めるなんてことがあるのだろうかと、カティはいぶかしむ。なんだか酷い胸騒ぎを覚え、カティはその車の窓から中を覗き込んだ。暗くてよく見えないが……誰かいる。


 カティは運転席側の窓を叩き、「エレナ?」と声を掛けた。しばらくそうしていると、やがて車のドアが開いた。


「どうした――」

「カティ!」


 ドアを開けるなり、エレナがカティに抱き着いてきた。カティはよろめきながらもエレナの身体を受け止め、成り行きでその背中を抱いた。思った以上に華奢な背中に、カティは一瞬驚いて手を引っ込めた。


「エレナ、ちょっと、落ち着こうか。どうしたんだ? それに、冷え切ってるじゃないか」


 カティはエレナのバッグを助手席のシートから引っ張り出し、ドアを閉めた。やや遅れて鍵が閉まった音が聞こえた。カティはエレナの顔を見て息を飲む。明らかに泣き腫らした顔だったからだ。


「話は部屋で聞こう。温かいものでも飲もう」

「うん……」


 エレナはカティの左腕に自分の腕を絡めてきた。寒さに震えるその身体では、一人で歩くことは困難だったのだろう。


「まったく。風邪でもひいたらどうするんだ」

「……へくしっ」

「言わんこっちゃない」


 カティは少し急いで寮の建物に入る。入り口脇の管理人室から、管理人の元女性兵士が声を掛けてくる。


「カティおかえり。あれ、エレナはまだ先じゃなかったっけ?」

「ワケアリみたいで」


 カティも事情はよく知らない。エレナも今のところ喋ろうとしない。虚ろな目でカティの方を眺めているだけだ。


「なんか疲れてるみたいだねぇ。早く部屋で温まるように」

「はい。すみません」


 カティは頭を下げ、そしてまたエレナの腕を引っ張った。


「とりあえず、アタシの部屋に行こう。話を聞かせろ」

「……うん」


 エレナは素直にカティの後ろをついてきて、やがて二人はカティの部屋に到着する。


 カティはキッチンに立ち、エレナはカティのデスクチェアに座らされた。


「ココア? コーヒー?」

「……ココアの気分」

「了解」


 カティはそう言うと、二杯のココアを用意した。

 

「あのね」


 エレナはココアを受け取りながら、ようやく喋り始める。


「信じてもらえないかもしれないけど」

「ん?」


 カティは自分のベッドの上で胡座あぐらをかいた。


「家に帰ったの。帰ったら……」


 家がなかった――と、エレナは言った。


「家が? なかった?」


 カティにはわけがわからない。エレナは泣き笑いのような表情を浮かべ、「意味わかんないでしょ」と付け足した。カティには、曖昧に肯いてみせるくらいしかできない。


「実は私、大学出てすぐここに来たの。家にはもうかれこれ五年間帰っていなかった。久しぶりに実家に顔を出そうとして、驚かせようと思って黙って帰ったんだけど」


 エレナはそこでココアをゆっくり一口飲んだ。


「私の家があった場所は更地になっていた。何にもなくなっていた。私はすぐに父に連絡して、事の次第を尋ねたの」

「家族に連絡はついたんだ?」

「うん。今までも会ったりはしていなかったけど、父には連絡は度々とっていたもの」


 エレナは携帯端末をバッグから取り出して、掌の中でもてあそび始める。


「半年前、会社が倒産してしまって、不動産の類は全て処分してしまった。それで家族は皆、レピアに移住した。財産も家もなくしてしまって済まない。……父は淡々とそんなことを言ったわ」

「それを黙って?」

「半年前のことなのよ? ひどいと思わない?」

「帰る家がなくなったのは……たぶん辛いんだと思うけど、家族が元気ならいいじゃないか」


 カティは言葉を選びながらそう言った。ココアがまだ少し熱くて、思い切って飲めないでいた。カティはどちらかというと猫舌で、熱いものがなかなか飲めない。


「ああ、そうか」


 エレナは息を吐きながら頷いた。


「あなた、漁村襲撃事件の」

「……どこで知った? 気が付いた?」

「あなたの素性を調べたら、すぐに行きついたわ」


 エレナは至極あっさりと答えた。


「素性を調べた?」

「ごめんなさいね。でも、あなたという人をもっと知りたくて。も、もちろん、ライバルとしてよ? どんな育ち方をしたら、そこまで能力を得られるのかとか、そ、そういうのを知りたくて」

「まぁいいけど」


 カティはようやくココアを一口飲めた。


「それで、アタシについては何かわかった?」

「壮絶すぎて言葉にならなかったわ、あなたの過去。あの事件から士官学校に入るまでの顛末。でも、同時に納得もした。あれだけの体験をしてるのなら、チート級の能力があってもバチは当たらないわねって」

「そうか」


 カティはココアの茶色の水面を見詰めた。ほんのかすかに手元が震えているのか、不規則な波紋が生まれては消えて行っていた。


「でも、悪いことはそれだけじゃなかった」


 エレナの表情が明確に影を帯びた。


「大晦日の日に、島嶼奪還作戦が展開されたんだけど」

「そうなのか? 何のニュースもなかったと思うけど」

「でしょうね。負け戦だったもの」


 エレナの声には侮蔑にも似た何かが多分に込められていた。


「島嶼奪還作戦で、強襲揚陸に成功したところまでは良かったらしいんだけど、実はそれがアーシュオンの罠だったらしいの。島に乗り込んだ兄と六百名の海兵隊は、突如飛来したガンシップと、浮上してきた潜水艦からの猛砲撃を食らって、上陸から僅か二時間後には壊滅状態に陥ってしまった」

「兄?」

「ええ。私の兄。兄がこの上陸作戦の指揮官だったそうよ」


 そう、か。カティは目を伏せて呟き、そして思い至る。


「そういえば、制空権もない島に上陸したっていうのか? ガンシップ、おそらくAC266のことだと思うが、あんなデカブツが悠々飛べるくらいに味方航空兵力はいなかったってことなのか?」

「……ということなんでしょうね」


 エレナはココアを飲み切って、カップをデスクの上に置いた。


「どんな作戦だろうと、上陸部隊が壊滅して、兄が戦死したのは事実。作戦の是非なんてどうだっていいわ」

「それもそうだな」

「なんかまだ実感がなくて。でもなんだか力が入らなくて。どうしたらいいかわからなくなって、気が付いたら駐車場でぼんやりしてた」


 そうか、とカティはカップで掌を温めながら頷く。


「でも、アタシが気付かなかったら、お前、凍死してたかもしれないぞ」

「そうね」


 エレナは身震いするようなしぐさを見せた。


「正直、まだ身体が冷え切ってて」

「風呂でも、行くか?」

「お風呂、か」


 エレナは少し思案して、頷いた。


「それは名案ね。きっと貸し切りよ」

「そうだな」

「あ、でも」


 エレナの声が曇る。


「どうした?」

「ちょっと今日は部屋には帰りたくない、かも……」

「同じ建物なんだけどな」


 カティは言いながら、自分の分と、もう一着、寝巻代わりのジャージを取り出した。


「さすがに下着は貸さないぞ」

「……いいわよ」


 エレナはぶっきらぼうに答えてから、小さく吹き出した。


「あなた、ユーモアのセンスなんてあった?」

「なかったなんて思っていたのか。心外だな」


 カティはムスッとしながらそう答え、そして、苦笑を浮かべた。


「ま、身体が温まれば、少しは気分も楽になるさ。行こう」

「頼もしいね、カティは」

「……そう思われるのはイヤじゃないな」


 そう応じたカティの腕に自分の腕を絡め、エレナは少々無理をしながらも微笑を浮かべた。


「私、あなたのことが嫌いよ」

「……腕を離せ」

「なんてね」

「……」


 二人は薄暗い廊下を歩き出す。その背格好の関係から、まるで恋人同士のようにも見えなくもない。


「嫌いだった、というのは本当。たぶん史上最悪に嫌いだった。でも」


 エレナは言葉を切って、それから十数秒黙った。カティもまた沈黙には慣れていたので、特に何の干渉もせず、ただ歩いた。


「でもね、今は嫌いじゃないよ。好きとも違うけど。そうね、強いて言えば興味があるというか」

「興味?」

「うん、興味。だってあなた、面白いもの」


 今のは褒められたのか?


 カティは疑問に思いつつも、黙って脱衣所に入ったのだった。


 

 

 


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