#03-生命と数値

#03-1:2083年の始まりと共に

協力要請

 暦が二〇八三年に変わった。カティは壁に表示されているカレンダーを眺めながら、年末年始休暇の後半戦を、どうやって過ごしたものか思案していた。寮に住むほとんどの学生は里帰りなどをしてしまっており、トレーニングルームやバスルームといった共用室もほとんどが無人だった。


 帰るところなどないカティにしてみれば、この約一週間の全面休暇期間というのは、暇で暇で仕方がない。ヴェーラやレベッカに連絡をとってみたが、何やらあちらはあちら方面で忙しいらしく、年末年始の予定が立てられないという。そんなこんなではあったが、前半戦に関しては大量に購入しておいた紙媒体の書籍でやり過ごすことができた。しかし、大晦日前にはそれらはすでに読み終えてしまっており、カティは文字通りに時間を持て余していた。


 トレーニングルームで汗を流したりもしたものの、無人の室内で一人ランニングマシーンで走っているというのもなんだか無性に虚しくなって、二時間程度で飽きてしまった。後は腕立て伏せを始めとした筋トレを、身体がなまらない程度にこなしたくらいだ。


 一月二日の夕方に差し掛かると、いよいよ何もすることがなくなってしまう。テレビもロクな番組をやっていない。もとよりバラエティの類に興味がないカティは、芸能人の顔と名前はほとんど覚えていない。ニュースチャンネルを見ても、特に興味を引かれるニュースは流れていない。そもそも正月早々に小競り合いもないだろう。


「暇だ……」


 あまりの暇さ加減に、カティはやむなく本日四度目のトレーニングでもしようかと思い、ジャージ姿で部屋を出た。その時、ポケットの中で携帯端末が振動した。慌てて端末を取り出してみると、ディスプレイにはヴェーラの顔写真が表示されていた。


「もし――」

『やっほぅ! ヴェーラだよ!』

「知って――」

『ねぇねぇ、カティ今どこ?』


 今日は恐ろしく食い気味に来るな、とカティは苦笑しながらいったん部屋に戻った。デスクチェアに腰を下ろして足を組む。


「寮だ。自分の部屋」

『忙しい?』

「暇すぎて死にそうだ。筋肉ばっかりついてしまって困ってる」

『カティがますます強くなっちゃうー!?』


 電話の向こうでヴェーラがケラケラ笑っている。レベッカのものらしい溜息も漏れ聞こえてきた。


『ああ、本題本題! あのね、カティがイヤじゃなかったらなんだけど』

「うん?」

『ちょっと学校のシミュレータルームに来て欲しいんだ』

「シミュレータルーム? 空軍のものしか知らないぞ?」


 海軍の士官候補生もシミュレータを使うことはある。だが、使えるのは艦載機部隊に配属される予定となっている上級生のみだ。ヴェーラたちが使うような設備ではない。


『空軍ので良いんだよ。いつもカティが使ってるやつ。ていうか、そこしかないし』

「わかったけど、入れるのか?」

『うん、クロフォード中佐から許可もらってるから。ブルクハルト教官もいるよ』


 なんだなんだ? オオゴトか?


 カティは片手で器用にジャージを脱ぎつつ、制服を着始める。


『すぐ来られる?』

「着替えたらすぐ行くよ」

『ありがとう、カティ! 待ってるね!』

「おう」


 通話を終えると、カティは素早く身だしなみをチェックした。休暇であるとはいえ、あまりに気の抜けた顔を見せるわけにも行かんだろうと、自分の頬をパンパンと叩いた。


 外に出ると、カティはコートを着てこなかったことを早速後悔した。現在、十六時を回った頃だったが、外はもう大分暗く、恐ろしい程に冷え込んでいた。空を見れば完璧とも言えるような快晴であり、それゆえにいっそう寒さは厳しいものになっているのだろう。


「そういや、今日の最高気温、マイナス五度だったっけ……?」

 

 しかし、今さらコートを取りに戻るというのもなんだかシャクだ。カティは手に息を吹きかけると、意を決して校舎までの数百メートルの道のりを歩き始めた。雪で覆われた地面は所々カチコチに凍っており、迂闊に走るわけにもいかない。


 結果として、カティが校舎に辿り着く頃には半分涙目になっていた。あまりの寒さと、コートを取りに戻らなかった後悔とに波状攻撃されて、さしものカティですら涙を浮かべざるを得なかったというわけである。


 校舎に入ってからも、カティはややしばらく全身の震えが止まらなかったが、最上階の奥まった場所にあるシミュレータルームに辿り着く頃には、幾分かは回復していた。


 シミュレータルームに辿り着くためには、入口から一番遠くにある階段を使う以外に方法はなく、またその階段の前後にはセキュリティゲートが設置されていた。守衛も常駐している。そして階段を上り終えたら終えたで、今度は校舎の反対端にまで歩かされる。三百メートル近くは歩くのではないだろうかとカティは思っている。そこにまたセキュリティゲートがあって、そこを経ると今度は折り返すように歩かされ、半分ほど戻った所でようやくシミュレータルームの入口に辿り着けるというような、カティにしてみれば意味の分からない立地だった。


 カティは知る由もないが、シミュレータルームはかつては一階の中央部分に設置されていた。セキュリティチェックも今ほど厳重ではなく、政府関係者の見学も割と気軽に行われていた。だが、五年前の校舎大改修の際に、シミュレータルームは政府の通達により最重要施設であるとの位置づけを為され、その結果、最も、かつ安全な場所に設置されることとなった――という経緯がある。


 シミュレータルームに一歩入ったカティは、思わず一度外に出て、室名の表示を再確認した。ちゃんと「シミュレータルーム」の表記がある。そもそも間違えようがない部屋だ。


「なにやってんだ、これ……」


 いつもの見知った部屋ではなかった。広大な部屋の中央には、巨大な二つの黒い箱が設置されていた。そこにあった十数台の戦闘機用筐体は撤去されてしまっていた。配線類が床に剥き出しになっていて、その筐体たちの名残となっていた。その二つの巨大な箱は、縦六メートル、横四メートル、高さ二・五メートルほどもあり、圧倒的な存在感を放っていた。繋がれているケーブル類も尋常な量ではなく、所々蒸気が噴き出しているところもあった。冷却材か何かが使われているのだろうと推測できた。


 部屋の入口からそれらの事実を観測していると、手前の黒い箱の陰から、ヴェーラがひょこっと顔を出した。


「カティ!」


 それにつられてレベッカも姿を見せる。二人とも幾分緊張した表情をしていて、カティは新年早々ハテナマークをいくつも漂わせた。


 その理由はすぐに分かった。二人の後ろから三名の将校が姿を見せたからだ。


「このデカブツのおかげで見晴らしが悪くなったな」


 そんなことを呟いているのは、クロフォード中佐である。それに適当に相槌を打っているのがパウエル少佐で、無表情にカティを見ているのは……カティの記憶にはない顔だった。階級からして少佐、制服は憲兵隊のものだ。


「……憲兵?」


 何も思い当たる節はないぞと、思わずカティは自分の身辺を確かめる。そんなカティを見て、クロフォードはニヤっと笑ったかと思うと、その憲兵の服を来た将校を紹介した。


「ああ、彼は海軍の教練主任だ。アンドレアス・フェーン少佐だ」

「フェーンだ。君の噂は聞いている」

「き、恐縮です」


 握手を求められたカティは素直に応じ、改めてフェーン少佐なる人物を観察した。短く刈り込んだ金髪と、鷹のような明茶の瞳をした精悍な印象だ。その猛禽類を思わせるような目つきと、無駄のない所作は、さながらカミソリの刃だった。百八十五センチのカティをもさらに上回るほどの上背の持ち主で、スレンダーながらも骨太な体格も相俟って、まるで屈強の格闘家のような雰囲気を纏っていた。ヴェーラたちの緊張感はこの将校の存在ゆえかと、カティは合点した。フェーンの醸し出す雰囲気の前では、嫌でも背筋が伸びる。


「怪しい男だと思っただろう?」


 クロフォードがニヤニヤしながら訊いてきた。カティはやや慌てて応じる。


「は、いえ、そんなことは」


 カティのその口ぶりに、フェーンは少し口の端を歪めた。笑ったのか、気分を害したのか、それすら判然としない表情だった。


「私はもともとは参謀部だ」

「参謀部……」


 カティは思わず繰り返した。参謀部と前線兵士の接点はほとんどない。前線で血を流す者と、後方でどれだけの血の量が必要かを計算する者の接触は、大抵が良い結果にはならないからだ。参謀の仕事が何たるかはカティだって理解している。端的に言えば、どれだけ効率よくかを計画することだ。カティの記憶によれば、「アンドレアルフスの指先」と称される撤退戦の天才、エディット・ルフェーブル中佐の率いる参謀部第六課だけは、話が少し違ったはずだったが。


 難しい顔で考え込んでしまったカティを見て、クロフォードはわざとらしく肩を竦めた。


「参謀と言えば憲兵の次に嫌われるポジションだからな。君の反応はもっともだ」

「いえ、そういうわけでは――」

「私の人物評価はとりあえずどうでも良い」


 フェーンは厳しい表情でクロフォードを一瞥し、そしてそのままの表情でカティを見た。カティは自分の背中に流れた冷たい汗を意識した。


「おっと――」


 そこでクロフォードが掌をポンと合わせた。


「そういえば俺のことは知っているんだっけ」

「教練代表主任のクロフォード中佐というところまでは」

「あっ、そうか……」


 カティとクロフォードの会話と言うのはこれが初めてだ。クロフォードの方はと言うと、度々報告を受けたりシミュレーションの映像を見たりしていたために、勝手に知り合いになっていると誤解していたのだが。


「教練代表主任と、海軍と空軍の教練主任……?」


 カティは隣にやってきたヴェーラに囁いた。ヴェーラはこともなげに肯いた。


「これから実験が――」


 その言葉をフェーンが継いだ。


「どうしても君と一緒にやりたいと言い出してな」

「そうなのか?」


 カティは二人の美少女に尋ねる。二人は揃って神妙な顔をして肯いた。


「今日の結果次第では、今後も協力をしてもらうことになる。今、我々は君に協力を要請しているという立場だが、一度でも本プロジェクトに関与したならば、最後まで協力してもらう必要がある」

「少佐、質問よろしいですか?」

「言ってみたまえ」


 フェーンはその鷹のような目を細めて頷いた。カティは一度唾を飲み下してから、両隣りに立つ少女たちの肩に手を置いた。


「そのプロジェクトというのは」

「そこの二人を中心としたものだ。君はその二人に付随する形での参画ということになる。君単独でどうこうということはない予定だ」


 フェーンの無感情な口調を受け、カティはヴェーラとレベッカを交互に見た。二人はまっすぐにカティを見上げ、無言で頷いた。カティもそれに頷き返す。


「承知しました、フェーン少佐。この二人のためということなら、喜んで協力させていただきます」

「すまないな、正月早々」


 クロフォードは、フェーンの後ろにあった戦闘機用の筐体に背中を預けながら言った。パウエルもその隣に立っている。


「いえ。自分も暇を持て余しておりましたので」

「結構」


 やや食い気味に、フェーンは頷いた。


「だが、これからは忙しくなる。覚悟して当たってくれ」

「はっ、了解です」


 カティは目を逸らさずに頷いた。


「それで、いったい何の実験なのでしょうか?」

「セイレネス」


 カティの質問に、フェーンは短くそう答えた。

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