苛立ち

 空軍の上級高等部学生、すなわち空軍士官候補生たちの最終的な目的地といえば、四風飛行隊――エウロス、ノトス、ボレアス、ゼピュロス――に配属される事である。とはいえ、四風飛行隊は空軍の基地部隊からの選抜メンバーで構成されているため、士官学校からいきなり配属されるなどということは、古今例がなかった。名実ともにスーパーエリートと呼ばれる飛行士たちの集団、それが四風飛行隊なのだ。


 国民からの風当たりの強い軍部ではあったが、彼ら四風飛行隊だけは例外だった。一部の思想の人々を除いては、非常に高い支持を得ていた。実際問題、彼らの功績なしには国土防衛はままならなかったわけだし、有事の際にも彼らが。海軍や陸軍への追加予算はなかなか国会審議を通らなかったが、空軍、とりわけ四風飛行隊に関するものだけは、政治家のパフォーマンスにも使われつつも、順当に通過していくのだった。


 そしていつしか、四風飛行隊の戦いはテレビやネットで生中継されるようになり、国民たちはそれを映画でもみるかのようにリアルタイムに楽しむようになった。それもこれも、絶対的な安心感があるがゆえの娯楽である。そして同時に、文字通りに命を賭けた戦いを目にできるという興奮が、一種のドラッグのように作用していた。


 カティは食堂のテレビで今まさに中継されているゼピュロス飛行隊の戦いぶりを横目に見ながら、盛大に溜息を吐いた。つい十五分前まで例のシミュレータに乗っていたわけであるが、そこでカティはハルベルト相手に二週間で二十五という記録を樹立していた。


 ハルベルトの強さは、圧倒的を通り越して、もはやだった。十対一でも勝てないのだ。カティを撃墜できるのは、今のところはハルベルトだけだったが、カティとハルベルトの間にある空戦技術の差には、天と地ほどの開きがあった。


「くっそ、一体何なんだよ、あいつ」


 カティはサラダをつつきながら、珍しく不満を口にしていた。カティと差し向かいで座っているのは、目下三番手の実力を有するヨーン・ラーセンという青年である。柔らかそうな金髪を緩やかに撫でつけており、柔和な雰囲気を帯びた瞳の色は灰緑色。少し日焼けしたその肌と、ボディビルダーのように逞しい体躯は、偉丈夫という表現が実にしっくりと当てはまる。一見すると脳みそまで筋肉でできていそうな青年だったが、彼もまた大学出組の一人であり、十九歳にして天体物理学の博士号を有する秀才であった。文武両道、彼、ヨーン・ラーセンを表現する最も簡単な四文字熟語は、これであるに違いない。


「まぁまぁ、落ち着いて食べようよ」


 ヨーンは静かにそう言う。見かけに似合わない柔らかな声音は、カティのささくれた気持ちをなぜだか落ち着かせる。


「でもさ、そうは言うけどね、メラルティン」


 ヨーンはカティの事をファーストネームで呼ばない。


「僕らから見ればさ、君もクライバーも同じようなものだよ」

「……天地だろ」


 カティはミニトマトを口に放り込んで、唸る。ヨーンは笑いながら言う。


「なら僕らは、さながらモグラさ」

「モグラだって? お前とアタシはそんなに差はないだろう。いつ追い付かれるかと気が気じゃない」

「それは謙遜し過ぎだよ。いや、僕を買い被っていると言うべきかな」


 ヨーンの皿はもう空で、彼はコーヒーを飲んでいる。


「ま、僕はさ、君にもクライバーにも、到底叶わないよ。僕らモグラにとっては、君は雲。クライバーは、もしかしたら月くらい離れているのかもしれないけれど、それでもどっちにもどうやったって手は届かないと思うんだよね」


 ヨーンはそのがっしりし過ぎるほどにがっしりした体格に似合わず、話し方がとても柔らかい。礼儀作法に関しても完璧に仕込まれていて、テーブルマナーも言わずもがなだ。とにかく、そこにいるだけで気品を感じるような、そんな雰囲気を纏った青年だった。控えめに言ってもに属するカティとは、総じて真逆なオーラの持ち主である。


「でも、僕は君が羨ましいよ」

「何がだ」

「睨まないでくれないだろうか、メラルティン」

「……元から目つきが悪いだけだ」


 カティはポテトサラダを口に放り込む。その食べっぷりに、ヨーンは思わず目を細めた。笑った、というより、苦笑したという表現の方が正しいかもしれない。


「君は本当にすごいと思っているよ。僕はさ、小さいころから雁字搦がんじがらめに教育されてきてて、おかげでこんな体格なのにこんな所作さ」

「がさつな女で悪かったな」

「だから、そういうのじゃないって」


 ヨーンは頭を掻きながら、天井にぶら下がる灯りを見る。


「君は自由なんだ。その自由さが心底羨ましい。僕はきっとそう思ってる」

「自由さ?」


 カティはハンバーグを苦労して切り分け始める。一通りのテーブルマナーくらいはカティだってきちんと身につけている。だが、カティは生来、不器用なのだ。


「君はなんだか色々あってここにいるんだと思うんだけど」

「……かもな」


 カティの鋭く短いインターセプト。ヨーンはその一言の裏側にあるものを察して、追及をやめた。カティの心にある分厚い壁のようなものを感じたからだ。


「そうだなぁ」


 ヨーンは残り少なくなったコーヒーの水面を眺めながら少し思案する。


「そうだ、君はまるで、だよ」

「はぁ――!?」


 カティは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。食堂にいた他の学生たちが「なにごとか!?」と振り返ったほどの音量であった。ヨーンはニコニコしながら「なんでもないよ」などと言っていたが、当のカティはナイフとフォークを握りしめたまま、耳まで紅潮させて俯いてしまっている。


「まぁまぁ」


 ヨーンはぷるぷる震えるカティに両手を広げて見せながら、一つの予言を披露した。


「まだ君は本物の空は飛んではいないけど、きっとね、君は将来、なんて呼ばれるようになるよ」

「空の女帝だって? なんだいその『暗黒空域』や『異次元の手』を食っちまいそうな二つ名は」

「ははは」


 ヨーンは軽く笑ってかわしたが、実は彼の予言は、数年後に見事に的中することになる。勿論、ヨーンがそんな未来を知っていたわけではない。彼は純粋に、だけである。


「君はすごいと思うよ。自由なのに、強い。何をしていても、君の顔にはパワーが溢れてる」

「……よくもそんな恥ずかしいセリフを、本人を目の前にして言えるもんだな」


 ハンバーグをようやく口に入れながら、カティはヨーンの灰緑色の目を直視する。ヨーンはその鋭い眼光から視線を逸らそうともせず、どころか、その視線を全面的に受け入れようとでもするかのように、カティを見つめ返した。たまらず目を逸らしたのはカティの方である。


「君とジュバイルは、もう四風飛行隊を確約されたようなもんだと思うよ」

「それは言い過ぎだ。アタシだってエレナだって、実戦じゃ――」

「君たちがなれないなら、僕らはもう絶望的ってことだよ」


 ヨーンはやや強い口調で割り込んでくる。カティはムスっとした表情を浮かべ、瞬く間にハンバーグを食べつくした。


「そもそもだ。まだシミュレータは使い始めたばかりじゃないか。先は長いし、お前だって他の同期連中だって、どんどんレベルが上がってるじゃないか。差が縮まるのだって時間の問題だとアタシは思ってるけど。努力次第でいくらだって逆転可能じゃないのか」

「努力……か」


 ヨーンは残りのコーヒーを喉に流し込んだ。その所作はやはり上品だと、カティは思った。ヨーンの家が上流階級であるということは、言われないでもそうとわかる。嫌味のない優雅さとでもいうのだろうか、そんなオーラがヨーンの全身を包んでいるかのようだ。


「努力すれば。頑張れば。僕はこの十数年、ずっとそう言われてきたんだ。巧くいかなかった時は、僕の努力が足りなかったからだって、皆はそう言ったし、僕自身だってそう思っていた」

「……そうか」


 カティは考え込むようにして、冷めたコーヒーに口を付けた。そして顔をしかめてクリームと砂糖を放り込む。冷めてしまったコーヒーというのは、どうしてこう無駄に苦みが増すのだろうかと、カティはひとり憤慨していた。


「でもさ、士官学校に入って、十代で博士号持ってることがそんなに特別でもない所に来てみてさ」

「いや、特別だと思うけど」


 カティは至極もっともなツッコミをしたが、ヨーンは意に介することなく続けた。


「大学出組の半分は修士なり博士なりさ。中途半端な都市から出てきた僕にしてみれば、それはそれは大きなカルチャーショックだったもんだよ。僕の故郷じゃ、僕はちょっとした有名人になれたくらいには、頭が良かったんだ」

「その話にクラクラする。アタシ、学歴とかそういうの一つもないからな」


 カティは溜息をつきつつ、椅子に身体を預けて腕を組んだ。


「で、話を戻すけどね。僕はここにきてわかったわけだ。努力や頑張りでは、どうにもならないことがたくさんあるってことをね」

「どうにもならない?」


 カティは右の眉を跳ね上げた。


「自分の中で勝手にどうにもならないと決めつけちまうのか? そうと悟ったら何もしないってのか? 諦めるってことか?」


 カティの矢継ぎ早の問いに、ヨーンは穏やかな微笑で応える。カティは首を傾げて説明を求めた。


「最初はね、僕もそう言う事かと思って悩んだよ。でも、そうとわかったから何もしないってのは、単なる怠慢なんだ。どうにもならないと思っても、実際はどうにかしていかなきゃならない」

「今日はとりわけ口数が多いな、ヨーン」

「はは、そうかもね」


 ヨーンは笑う。


「僕はね、そういう時は支える側に回ろうと決めたのさ。僕にできないなら、できる人が確実にそれをできるように、僕は支えようと決めたのさ」

「それって、アタシに言わせてもらえば諦めてるだけのようにも聞こえる」


 カティは厳しい表情でそう言い放った。ヨーンははっきりと首を横に振った。


「いや。僕は君を追い抜く努力は欠かさないつもりだ。さしあたり僕は、君が四風飛行隊に入ることができるように、なんだってするつもりだ。できることは少ないけど。でも――」


 ヨーンはまたカティを直視した。カティは金縛りにでもあったかのように、身動きを封じられた。


「その過程で僕が君を追い抜くなんてことのなるのなら、僕はこの決定を撤回するよ。でも今は、これで良いと、最良なんだと思っているよ」

「哲学だな」

「そうかな?」


 ヨーンはゆっくりと立ち上がった。カティもつられて立ち上がり、食器を乗せたトレイを持つ。ヨーンも同じようにトレイを持ち、カティと並んで返却口へと歩き始める。


「いや、哲学とか、そんな高尚なものじゃないね。臆病で優柔不断なだけさ」

「そうか」


 カティはうーむ、と唸りながら、食器を軽くゆすぎ、そして返却口の棚に乗せた。


「ヨーン」

「なんだい」

「アタシは、ヨーンの中の評価基準には関心はないよ、これっぽっちも。でもね、アタシはさしあたって、あのハルベルトの野郎を撃墜するためのをするさ」

「喜んでお供致します、女帝陛下」


 間髪入れず、ヨーンがおどけながらそう言った。カティはもう、苦笑するしかなかった。











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