三人の関係性

 あれ?


 カティはいつの間にか階段を下りていたことに気が付いた。確かに日常的に通る道だから、ぼんやりして歩いていることはある。だが、教室を出てからここまでの数分間、ずっとなんだかぼんやりしている。自動的にも程がある、とカティは心の中で苦笑した――表の顔は相変わらずの仏頂面である。


 カティはここに至るまでに、一体何を考えていたのかを思い出そうとする。だが、全く何も思い出せないのだ。カティは記憶力にはそこそこ自信がある。ぼんやりしていたといっても、ここまですっぽり抜け落ちてしまっていることには、いくらかの気持ち悪さを覚えざるを得ない。


 携帯端末を取り出して、時間を確認してみるが、さほど時間が過ぎているわけでもない。ヴェーラから連絡を受けてから、まだ五分程しか経っていない。


「試験疲れかな……」


 カティは呟きながら頭を振った。


 ん?


 カティは視界の端に違和感を覚え、足を止めて振り返る。そこには学生が数名歩いているだけで、特に不思議なものは見当たらない。なんだろう、今の――影みたいなもの?


「やっぱり試験疲れか……」


 カティは自身にそう言い聞かせ、ヴェーラたちの待つロビーへと再び歩き始める。


 それからの短い距離で、複数名の女子たちに話しかけられたカティだったが、その全てを「今ちょっと急いでいる」というフレーズでかわしきる。そういえばカティに声を掛けてくるのは決まって女子ばかりだ。高等部時代から現時点に至るまで、男子学生に声を掛けられたことは一度もないのだ。


 そんなことを不思議に感じつつも、カティはロビーの長椅子に座っている二人の美少女を発見する。ヴェーラは白一色のワンピースの上に厚手のデニム地のジャケットを着て、白いふわふわのベレー帽を被っていた。足元はファーの付いた濃いベージュ色のショートブーツである。レベッカは膝下まである深緑色のロングジャケットと、緑のベレー帽、そして黒の膝下までのブーツを着用していた。二人とも少し大人な雰囲気のファッションであった。


 二人はなにやら携帯端末を覗き込みながら、楽しそうに話をしている。周囲の学生たちは、直視こそしていないが、チラチラとその二人に視線を送っている様子だった。あの二人に教室の外で声を掛けるなどという勇気と胆力のある学生は、さしあたっては出現していない。二人もまた、カティ以外にはほとんど無関心であった。


「あ、カティ来た!」


 ヴェーラは携帯端末を手提げカバンにしまい、レベッカの手を引いてカティの所へ駆け寄ってきた。


「待たせた。あいつがちょっと強引でさ」


 言っていて不思議な気になる。


 あいつ? あいつって何だっけ?


「あいつって? 彼氏?」


 ヴェーラがとんでもないことを言い出す。カティは「いやいやいやいや」と大袈裟に首を振ったのだが、レベッカは眼鏡のフレームを摘みながらカティを掬い上げるようにして見つめている。


「彼氏さん、できたんですか?」

「何を言ってるんだ。アタシに声を掛ける男なんていないって」


 やや慌てるカティ。カティは小説を読むのが趣味なので、色恋沙汰についての理解もあれば、少しは関心だってある。だが、自分がそのになるというイメージだけは、どうしてもできずにいる。八歳から十五歳までの間、病院に篭り切りだったということもまた影響しているだろう。そのため、カティの中では、は小説や映画の中だけのものだった。


「あっ」


 そこでレベッカがなんだか素っ頓狂な声を出した。ヴェーラが思わせぶりに目を細める。


「いるの? 思い当たる人」

「いるいる」


 レベッカが何故か嬉しそうに肯いた。当事者であるカティだけが置いてきぼりである。


「あの大きな人のことじゃない? ものすごく背が高くて、グスマン教官くらいにがっしりしてる人!」

「あーっ、あの人かぁ! 優しそうなイケメンさん! 確か空軍の方だったよね!」

「でかくて優しそうなイケメン? 誰だそれは」


 カティは同級生たちを脳内で検索してみようとして断念した。ほとんど覚えていないのである。男子は芋、エレナ以外の女子は南瓜くらいの認識であった。


「またまたぁ。わたしたちに隠し事なんて、カティったらぁ!」


 ヴェーラがカティの鳩尾に拳を入れてくる。それは思いのほか効いた。


「結構キたぞ、いまの」

「ごめん! でも、隠し事するカティが悪い!」

「だから隠し事なんて……」


 カティは鳩尾をさすりながらぶつぶつと言う。が、二人の美少女は聞いていない。二人でなにやら盛り上がっている。


 ひとしきり騒いでから、ヴェーラが腰に手を当ててカティを見上げた。


「カティはものすごい美人だしかっこいいじゃない。そろそろ恋の一つもしてはどうかね?」

「だからぁ……」


 すっかりペースに飲み込まれているカティであった。


「で。って誰?」


 ヴェーラはなおも追及してくる。カティはその眼力に気圧けおされてたじろいだが、その様子を見て取ったレベッカがヴェーラの肩をトントンと叩く。


「カティが困ってるでしょ」


 助け舟かとカティは思ったが、そうでもなかった。


「続きはケーキでも食べながら聞きましょ」

「ケーキ、いいね!」


 ヴェーラはケラケラと笑いながら、さっそくカティの右手を掴んだ。レベッカは素早く左手を捕まえ「逃がさないぞ」と言わんばかりにカティを引っ張った。


「さっそくお茶しに行こう! 門限になっちゃう!」

「あ、ああ。そうだな」

「カティのおごりねー!」


 ヴェーラは楽しそうに言いながら、カティをぐいぐい引っ張っていく。両手を束縛されているカティは、黙ってついていくほかにない。


「ちょっとヴェーラ、割り勘よ」

「えーっ」


 唇を尖らせるヴェーラを見て、カティは今月の財政的余力はどれほどだったかを瞬時に計算する。


「あ、いや、だいじょうぶだ。ちょっとなら持ち合わせはある」

「やった!」


 大袈裟にはしゃぐヴェーラに、笑うカティ。その光景はまるで仲の良い姉妹のようでもある。カティの左手をしっかりとホールドしているレベッカは、「もう!」と口では言っていたが、少しだけ口角が上がっていた。


 カティの笑顔というのは、もうこれは奇跡なんじゃないだろうかとレベッカは感じていた。あれだけの体験をしておきながら、失語症からも回復し、その上こうして笑っている。カティ自身の力ももちろんあるだろう。だが、ヴェーラがその一助を担ったのは間違いないだろうなとレベッカは考えている。とても自分には出来そうにない芸当だ、とも。


「いやー、今月の予算使い切っちゃってさー」


 ヴェーラはそんなことを言っている。すかさずレベッカが指摘する。


「ヴェーラはお金使いすぎなのよ!」

「だってさ、カティの聴いてた歌とかさ、ほら、これ」


 ヴェーラはポケットの中から白色の音楽プレイヤーを取り出した。それはカティの持っているA856よりもだいぶ新しい機種だ。空中投影型のディスプレイを有するそれは、カティにとっては高嶺の花と言っても良い品物だった。


「Ax933か」

「そうそう! よくわかったね!」


 ヴェーラはカティから手を放すと、プレイヤーを操作して、空中にプレイリストを表示させた。カティのよく知っている古い曲が、ずらりと並んでいる。


「こんなに古いのをよくこれだけかき集めたな」

「手当たり次第にダウンロード!」


 ヴェーラは胸を張る。レベッカは額に手を当てて首を振っている。


「そんなことしてるからお金がなくなっちゃうのよ、ヴェーラ」

「ベッキーは聴かないのか?」

「ううん、聴きます」


 レベッカもポケットからメタリックグリーンの音楽プレイヤーを取り出してみせる。機種はヴェーラのと同じものだ。


「ベッキーったら酷くってさ! わたしが買ったのを聴いてから、買うかどうか決めるんだよ! ずるいよねっ!?」

「ちょ、ちょっとヴェーラ!」

「えっへっへっへ」


 耳まで真っ赤にしているレベッカに、カティの後ろに身を隠すヴェーラ。カティは二人に挟まれた状態で、どうしたら良いものかと狼狽えている。それはある意味、日常的な光景であった。


「ほらほら二人とも。早く行かないとケーキを丸飲みしなきゃならなくなるぞ」

「それは困る」


 ヴェーラは真面目な顔をしながら、再びカティの右手を掴む。


「いざ、行かん! ケーキがわたしを待っている!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ヴェーラ!」


 突っ走るヴェーラと、追いかけるレベッカ。そして二人に「やれやれ」とついていくカティ。三人の関係性は、常にそんな具合だった。




 

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