試験勉強の方法論

 深夜の浴場で度々顔を合わせる仲になったカティとエレナだが、CQC近接格闘対決の話はまるで立ち消えになったかのように話題にも上らなくなっていた。カティも敢えてそれに触れるような事はしなかったし、エレナは全く関係のない噂話や芸能情報を持って来ては、カティとの話の肴にしたりもした――カティはこの手の話には全く興味がなかったのだが、ひたすら聞き流していくうちにすっかり芸能通になってしまった。


 そして二人が会話するのはこの深夜の浴場だけであり、学校では遭遇してもほとんど挨拶すらしなかった。実はカティは、ヴェーラたちにもエレナの件は伝えていない。その理由は本人には判然としていなかったが、端的に言えば、なんとなく気恥ずかしかったから、ということになる。


『今日も試験勉強?』


 誰もいなくなった教室の後ろの窓際の席で、カティは携帯端末を耳に当てていた。


「あぁ、うん。来週からだからな」

『空軍は大変だねぇ』


 電話の相手はヴェーラである。海軍と空軍に分かれてしまって以来、顔を合わせる機会は極端に減ってしまったが、それでも週に一度くらいのペースで長電話をしている。長電話と言っても喋っているのは主にヴェーラで、カティは相槌を打つか、訊かれたことに答えるくらいしかしていないのだが。だが、これはカティにとっては必要な時間だった。ヴェーラと会話していると、訓練の疲れも吹き飛ぶような気がしているのだ。


 ヴェーラ依存症――。


 そんな言葉を脳内で作り上げて、カティは思わず微笑した。


『わたしたちで助けられることがあったら言ってよ。なんでも手伝うよ!』

「ありがとう。でも、ここから先は独力でやってみるさ」

『わかった。カティは言い出したら聞かないもんね。じゃぁ、わたしたちは癒し担当で頑張るね♡』

「それだけで十分だ」


 答えながら窓の方を向いたカティは、自分が気持ち悪いくらいにニヤニヤしていたことに気付き、慌てていつもの仏頂面に戻した。誰かに見られたら恥ずかしいどころの騒ぎではないからだ。


『試験終わったら連絡して。また喫茶店行こう!』

「そうだな、そうしよう」

『ひゃっほう、ケーキケーキ!』


 はしゃぐヴェーラの後ろ側で、レベッカが「こら暴れるな」とかなんとか言っている。二人はいつでも一緒にいる。カティはレベッカに少しだけ嫉妬した。


 電話を終えると、また空間が静かになった。廊下からもほとんど音は聞こえてこず、教室も前半分は電気を消してある。十七時を過ぎた今、外はもう真っ暗だ。教室内の暖房も切れ、室温は急激に下がってきていたが、カティはこの雰囲気は嫌いではなかった。


「あと一時間、頑張るか」


 カティは教科書を広げ、タブレット端末のスリープを解除した。ついでに紙のノートも広げなおす。カティは育ってきた環境が特殊だったためか、少しアナクロなところがある。紙のノートを使う学生というのはもはや希少種で、文房具屋ですらノートを置いていない店舗があるくらいだった。紙媒体の筆記用具といえば、付箋やメモ帳といったものがほとんどだった。必然的に紙のノートの値段は高くなる。今やちょっとした高級品である。


「あら?」


 いざ勉強再開と思った直後に教室に顔を覗かせたのはエレナだった。教室や廊下に誰もいないのを確認してから、カティの所へと近付いてくる。


「勉強熱心ね。航空力学の試験対策?」

「そうだ。来週一発目だからな」

「そういえばそうだったわね」

「……余裕だな」


 カティはエレナをチラッと見上げて言った。エレナは優雅に腕を組んで、カティの持つペン先を目で追っていた。


「だってほら、私は航空力学の博士号持ってるもの。試験も免除よ」

「そうか。確かセプテントリオの」

「そうそう。よく覚えてたわね」


 エレナは許可も求めずに、勝手にカティの隣に椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。


「勉強、教えてあげようか?」

「遠慮する」

「どうして?」


 心外だと言わんばかりにエレナは食い下がってきた。カティはペンのお尻でこめかみあたりを掻き、身体を四十五度回転させてエレナの方を見た。


「自分で勉強したいんだ」

「でも――」


 エレナにとっては、それは予想外で面白くない反応だった。誰もがエレナが教えようかというと諸手を上げて歓迎してきた。拒否されたことなどなかったのだ。


「私なら満点とれるのよ、当たり前だけど。私はどんな問題が出されるのかも予想できる。航空力学は最高難易度の試験って言われてるけど、私の力があれば楽々クリアできるわよ」

「ダメなら追試で良いと思ってる」


 カティは少し苛ついた調子で答えた。


「私があなたを手伝えば、その浮いた時間で他の事ができるじゃない?」

「そうだな……」


 カティは教科書を眺めながら生返事をする。その態度に今度はエレナが苛ついた。


よ、カティ。あなたに反則をしろだなんて言ってない。ただ、ほかの勉強に時間をけるでしょって――」

だよ」


 カティはエレナの言葉に割って入る。


「主義……?」

「アタシの主義。上級高等部に入ってからは、独力で頑張ろうって決めたんだ」

「論理的じゃないわね」

「アタシにとっては十分論理的だ」


 カティは視線も上げない。その言動に、エレナのプライドが大いに傷付けられる。


「ま、まぁ、高等部上がりのあなたには、正面突破くらいしかやりようがないかもしれないけれど」

「そういうことだ」


 被せるようにして言うカティ。それがエレナの怒りにますます油を注ぐ。しかし、当のカティは全くの無自覚だった。このあたりの言動こそ、カティの人付き合いの経験値の低さを如実に表していると言えるだろう。


「あなた、私の話が理解できてる? 正面突破しか能のないあなたに、別の戦術を教えてあげるって言ってるの。この私が!」

「要らない」


 カティはようやく視線を上げた。カティの紺色の視線と、エレナの栗色の視線が、二人の中央でぶつかり合う。


「……いいわ。でも、あとで泣いて頼んできても知らないから」

「了解」


 カティはまた視線を教科書に戻し、エレナは大股で教室を出て行った。


「ほんと、面倒な性格なのね」

「んっ!?」 


 すぐ後ろから聞こえた声に、カティは反射的に振り返った。だが、カティが座っているのは一番後ろの席である。壁と自分との間には一メートルほどの距離しかない。当然、誰かがいるはずなどない。


「……気のせい?」


 きっとそうだろう。だってそもそも男の声なのか女の声なのかも、まるきり記憶に残っていないじゃないか。だからきっと、何かの音を声と聞き違えたのだ。


 そんなふうにして、カティは自分を納得させたのだった。


 







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料