#02-2:エレナとハルベルト

遭遇、浴場にて

 上級高等部へと進んで一ヶ月。さすがのカティもかなりの疲労の蓄積を感じ始めていた。昨日の接近格闘戦の訓練では、うっかり頬を切ってしまう怪我をした。ナノスプレーのおかげで表面の傷はすぐに塞がったが、触るとまだ痛い。かなり深く傷つけてしまったようだった。


 大きな鏡にはいつもの仏頂面が映っていて、少し視点を動かすと裸の上半身もよく見えた。白い肌が痣だらけである。


「さすがに、毎日はきついものだな」


 寮には大きな浴場が設置されている。時間によっては芋洗いの如く学生たちが群れているのだが、二十三時を回ろうかという現在、人の気配はなかった。カティは一人風呂が好きだったので、大抵この時間に入ることにしている。


 カティは服を籠の中に入れて、ガラガラと浴室への扉を開く。案の定誰もいないという事で、カティはホッと息を吐く。他人がいると緊張してしまって、ゆっくり湯船にかっていられない性分なのだ。


 シャワーで全身を流すと、膝や肘の小さな切り傷に染みた。大した傷ではないが、痛いものは痛い。カティは舌打ちしながら、その傷の周辺をそろりそろりと洗い流す。


「髪、少し切ろうかな……」


 鏡を手で拭いて、前髪を摘んでみる。前回切ったのはいつだったかと記憶を探ってみるが、どうにも思い出せなかった。自分の容姿に関することも、ほとんど関心がないのだ。むしろ、この目立つ赤毛と鋭すぎる目つきに、鬱陶しささえ覚えている。もちろんその百八十五センチを超える長身にも、だ。


 そんなこんなして髪を洗い始めると、浴室のドアが開いた音がした。


 誰か来た――!?


 慌てて髪の毛を洗い流して、カティは近付いてくる足音の方を見た。そこには栗色の髪をした学生が立っていた。距離はすでに至近。見覚えはあったので、同じ上級高等部の一年だろう……というところまではわかった。


「こんばんは」


 彼女は声をかけつつ、わざわざ隣に腰をおろした。


「ほかにも洗面台はあるだろ」

「私、エレナ。エレナ・ジュバイル。覚えていた?」

「……顔だけ」


 カティは露骨に嫌がりながら、それでも会話をする努力はしていた。エレナはクスクスと笑いながら、シャワーで全身を洗い流す。


「私は覚えているわよ、カティ・メラルティン」

「そうか」


 カティは仏頂面でそう返すと、立ち上がって湯船の方へと向かった。


 湯船に浸かること数分。隣に人の気配が現れて、カティは驚いて目を開けた。


「……アタシになんの用? 一人でゆっくりしたいんだけど」

「私は少しお話したいのよ」


 素早い切り返しに、カティは早くもうんざりし始めている。


「で、なんだ。さっさと用事を片付けてくれ」


 アタシの楽しみを邪魔するんじゃない。


 カティは心の中でそう吐き捨てている。


 が、エレナはそんな様子を完全にスルーして、カティに少し近付いた。カティはその倍の距離離れようとする。


「カティ、私とお友達になりましょう」

「友達?」


 カティは思わず目を見開いた。その様子に、エレナはケラケラと声を立てて笑う。それがカティには何故か無性に腹立たしく感じられ、仏頂面に拍車がかかる。


「同級生同士。そして、あの潜伏訓練の一発合格者同士。仲良くしましょうよ」

「……お前も潜伏訓練に合格していたのか」

「もちろんよ」


 見た目によらない。


 この時、カティは初めてエレナに関心を持った。


「さすがに蜘蛛を食べる羽目になるとは思っていなかったけど」

「南に連れていかれたと思ったら、いきなり山の中だからな」


 カティは肩にお湯をかけながら、その時の地獄絵図を思い出す。参加者三十名中、合格点をもらえたのはわずか三人。そのうちの二人が、今、この風呂に浸かっているというわけだ。


 カティは横目でエレナの顔を見る。エレナは目鼻立ちがくっきりはっきりとしたやや童顔の持ち主だ。怜悧な栗色の瞳は、まっすぐにカティの横顔を見詰めている。体格的には身長百七十センチ程度と長身ではあったが、総合すると華奢な部類に入るだろう。身長も肩幅もあるカティと並ぶと、男子であったとしても華奢に見えるというのもあるが。


「私はセプテントリオの大学で航空力学を専攻してたの」

「大学出か」

「そうよ」


 エレナは少し顎を上げた。その目は勝気そうな光をたたえている。


「アタシは高等部からここにいる」

「知ってる。評判だもの」


 エレナは目を細めてカティを見て、そして湯船の内側にも視線を遣った。


「打ち身がすごいわね。私も人のこと言えないけど」


 エレナはカティの肩や首筋の内出血を指でつつこうとし、カティは無意識に回避行動をとって、触れられる寸前に回避する。エレナも首や背中は内出血だらけだった。基本的に防護服を身に着けているとはいえ、この程度の怪我は当たり前のようにするのだ。


「痛むのは勘弁してほしいが、それでも潜伏訓練に比べればなんてことはないな」

「違いないわね」


 エレナは首のストレッチをしながら同意する。カティもつられて首を横に倒したり上を向いたりと、凝り固まった筋肉をほぐし始める。


「それで、エレナ。大学出の中途参戦者さんが、アタシなんかに何の用?」

「興味があっただけよ。あなた、かっこいいし、強いし。なにより高等部からの叩き上げとは思えないくらいに座学も優秀じゃない?」

「……褒めても何も出ないぞ」


 カティは無表情にストレッチを続けている。エレナは今度は肩のストレッチに移行する。無防備な脇がカティの視界に入ってきて、何故だかカティは目を逸らした。そんなカティの様子に気付き、エレナは小さく笑う。


「他人に慣れてないところも、素敵だと思うわ」

「だから――」


 褒められることにだって慣れてないんだから。カティは少し角度を変えて、エレナ自身が視界に入らないようにする。が、エレナはすぐに目の前に回り込んでくる。


「なんだよ」

「今度ね、勝負して欲しいのよ」

「勝負?」


 エレナはその栗色の目を細めて、肯いた。


「たぶん、座学では私はあなたに負けない。でも、CQC近接格闘では不利な予感しかしないわ。でも、負けたくないのよ、あなたに」

「大学出組のプライドか?」

「まぁね。私たち大学出の中途参戦者はと揶揄されてる。だから、見返してやりたいのよ。叩き上げの超エースとも評判のあなたを倒すことで」


 ふむ、とカティは考える。


 こいつは面倒なことに巻き込まれたぞ、と。


 負ければただでさえ鼻持ちならない大学出の連中がつけあがるだろうし、勝てば勝ったで彼らの不興を買うだろう。負けても勝っても面倒なことになる。となると、応えはひとつだ。


「嫌だね」

「あら」


 その返答に、エレナは少し口角を上げた。予想していたのだろう。エレナは挑発的に肩を竦めつつ訊いてくる。


「逃げるの?」

「逃げる?」


 その挑発に思わず反応してしまうカティである。 


「アタシに返り討ちにあったら、それこそ大学出組の恥じゃないのか」

「返り討ちにあっちゃったらね」


 エレナはまた肩を竦める。その動作にカティは無性に苛立った。


「いいだろう。諸々はそっちが適当に決めると良い。試験前以外なら受けて立ってやる」

「うふふ、了解したわ。しばらく時間をもらいたいけど、いいかな?」

「……好きにしろ」


 カティは溜息と共に言い、エレナは満足そうな微笑を浮かべて先に風呂から出て行った。


「面倒なことになったもんだ……」


 まんまと挑発されてしまったという自覚はあった。だが、こうまで露骨に敵愾てきがい心を見せつけられたのも初めてで、むしろそこにわくわくするような何かを感じてしまったのは事実だった。挑発にも、という表現をする方がより正確だったかもしれない。


「エレナ・ジュバイル、か」


 カティは濡れた髪を後ろに撫でつけながら、エレナが消えて行ったドアの方を眺めている。そもそもカティに積極的に話しかけてくる学生は少ない。いや、事実上皆無だ。ヴェーラとレベッカくらいしか、まともな会話が成立した記憶がない。だから、エレナは三人目ということになる。


「明日からはちょっと注意して見てみるか……」


 なんとなくだが、カティはエレナに興味を持ったのだった。




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