主観的な未来予報

 傲慢――?


 レベッカは自分が何を言われたのか、しばらくの間、理解できなかった。それはまるで、いきなり横面を張り倒されたくらいの衝撃。記憶にある限り、ヴェーラからこんな言葉を浴びせられたのは初めてだった。


「君はさ、傲慢なんだよ」


 確認するように、ヴェーラは繰り返した。レベッカは口を動かすこともままならない。そんなレベッカを冷たい色の瞳で見つめながら、ヴェーラはなおも言う。


を寄せ集めて編集して、自分視点の現状をそこに組み込んで。それによってが得られると、君はなぜか信じてる。自分以外の誰か、たとえばわたしの行為、関与……言ってしまえばを勝手に解釈してる。自分本位に理解した気になっている。違う?」


 区切るように一語一句を強調しながら話すヴェーラに対し、否定も肯定もできぬまま、レベッカは唾を飲み下す。


「それはね、ベッキー。それは予想でも計算でもなんでもない。ただの期待、なんだ。ものすごく主観的な未来予報なんだ」


 主観的な、未来予報……。


 ヴェーラによって投げつけられたその直球は、レベッカの臓腑をえぐる。レベッカの口は、喉は、何の言葉も紡げない。


「……ごめん」


 青ざめて俯いたレベッカを見て、ヴェーラはハッと我に返った。


「ごめん、ベッキー」

「ううん」


 レベッカは首を振りながら、絞り出すようにそれだけ言った。それしか言えなかった。


 二人はベンチに座ったまま、寒空の下ただぼんやりとグラウンドの中心部分を眺めていた。そこには学生たちが整列させられていて、その前ではアケルマン軍曹とクロフォード中佐が何やらやりとりをしていた。だが、その声はヴェーラたちの所までは届いてこない。激烈な運動から解放された学生たちは、しかし「休め」の姿勢をとることは許されず、ふらつく足腰を叱咤しながらなんとか「気をつけ」を維持しているような印象だった。


 それからさらに数分が経過した頃、アケルマン軍曹が敬礼を一つして、その場を立ち去った。


「まだ二十分くらいあるのに」


 校舎に取り付けられた巨大なアナログ時計を見て、思わずヴェーラが呟いた。だが、その後聞こえてきたクロフォードの大音声に、二人は顔を見合わせることになる。


「軍曹がいなくなったからと言って気を抜くな! 俺はお前たちをとは思っていない。だが、ついてこられない奴らは以下だ! 覚悟しろ、気合いを入れろ! 我が軍はお前たちにはエリートであることをこそ求めている。並の将校など要らん! 名実ともにエリートでいられないのであれば、だ! ただちに退学させて二等兵として最前線に送ってやるぞ!」

「イエス・サー!」


 学生たちが一斉に応じた。クロフォードは後ろに手を組んで怒鳴った。


「解散!」

「イエス・サー!」


 学生たちは一斉に後者の方へと向かって走っていく。だだっ広いグラウンドには、ヴェーラとレベッカ、そしてクロフォードだけが残った。クロフォードは肩を回しながら二人の少女へと近付いてくる。


「軍曹に何があったんだろう?」

「さぁ……」


 レベッカは寒さに耐えきれずに立ち上がり、その場で足踏みをし始めた。ヴェーラもそれを無意識に真似する。


「二人もご苦労」


 クロフォードは生真面目な表情を作ってそう言った。だが、その目はどこか楽しんでいるような光を帯びていた。


「いやぁ、一度言ってみたかったんだ、め! って奴をね」

「えっ……?」


 思わず聞き返すヴェーラ。レベッカは足踏みを続けたまま、ぽかんとした表情を浮かべている。


「巷で評判のアケルマン軍曹のアレを直接目にしたら、居ても立っても居られなくなってね。で、バトンタッチしたわけだ。まぁ、軍曹はこれからデスクワークに回ってもらおうと思ってるんだがね、年齢も年齢だし」


 つらつらと良く喋る人だ。ヴェーラたちは同じことを考える。だが、その表情は、ヴェーラたちの観察眼をもってしても正確には読み取れない。やはり「底の知れない人だ」という印象である。


「ところでクロフォード中佐」

「なんだい、グリエール」

「あなたのような英雄が海軍を不在にしていて大丈夫なんでしょうか?」

「ふむ」


 クロフォードは二人を校舎へと導きながら頷いた。


「まぁ、現場は大変だろうな。ざまあみろ、だ」

「ざまあ……!?」


 思わぬ表現にレベッカが右の眉を跳ね上げる。


ふねを取られたのはさすがに面白くないからな。無能な上官をぶん殴った程度で」


 いや、軍法会議モノだと思うんですけど――。


 ヴェーラとレベッカは一字一句違わず、同じことを考えた。


「ま、ついでにさ、この士官学校の伝統とかそういった旧態依然的なものを引っ搔き回してやろうと思って、意気揚々とやってきたというわけさ。一刻も早く俺を海に戻したくなるようにな」

「じゃぁ、アケルマン軍曹は……」

「ああ、さっきのか?」


 ヴェーラは肯いた。クロフォードがアケルマン軍曹に何を言ったのかは聞こえていなかったが。


「別に軍曹を処分するつもりはないよ。ここのOBの将校連中によろしく頼むと言われてきているくらいだからな。無数の教え子たちを敵に回すほど、俺はバカじゃないさ」


 そう言っておる。


「ただ、軍曹はもう引退して悠々自適にやっていただいても良いくらいの功績を残している。あとは本人の意向次第だが、本校に残ってデスクワークを担当してもらうか、軍に戻って教官をやってもらうか、或いは郊外に家でも構えてもらって悠々自適な引退生活をしてもらうか……」

「人望あるんですね、アケルマン教官は」

「絶大なものだよ」


 三人は玄関のドアをくぐる。着替え終わった学生たちが、疲労を色濃く浮かべた表情で三人の前を敬礼しては通り過ぎていく。


「君たちは軍にとって特別な学生だ。知ってると思うが、二十四時間監視がついている」


 やっぱり?


 ヴェーラとレベッカは顔を見合わせる。意外な気はしない。そもそも、士官学校に来る前だって二十四時間監視がついていたのだし、今さら窮屈さは感じない。


「まぁ、そんなことはどうでもいいが、怪我だの病気だのは勘弁してくれ。転んで膝を擦りむいただけでも、上層部の機嫌次第では報告書を書かねばならない」

「へくしっ」


 そのタイミングでヴェーラがくしゃみをした。クロフォードは「ジーザス……」と天を仰ぐ。そしてヴェーラの方に、その日焼けした顔を近付けた。


「風邪じゃないよな?」

「わ、わかりま――」

「今のは誰かが噂をしただけだ、いいね?」

「えっと……?」

「いいね?」

「ふ、ふぁい」


 返事をしてから、またヴェーラはくしゃみをした。クロフォードは大袈裟に耳を塞ぎ、少し大きな声で言った。


「あー、俺は別に何も聞いてない。というわけで、着替えてきたまえ。また会おう」


 そしてスタスタと歩き去ってしまった。二人の少女は、その後姿を呆然と見送る。


「……ヴェーラ、風邪?」

「噂話じゃない?」


 二人は更衣室へと向かいながら、そんな事を言って小さく笑った。


「あのさ」


 ジャージを脱ぎながら隣で着替えているレベッカに声を掛けた。


「さっきはごめんね、ベッキー」

「え? ……ううん」


 レベッカはブラウスのボタンを留めながら首を振る。

 

「カチンとは来たけど、でも、あなたの言うことが正しいんだと思う」

「ありがと、ベッキー」


 ヴェーラはジーンズを穿き、ベルトを締める。


「でも、さっきはあんなこと言っちゃったけど、ベッキーはね、変わらなくて良いと思う」

「どうして……?」


 不思議そうにレベッカは尋ね、そして思い出したようにハンカチを使って眼鏡のレンズを拭いた。


「わたしたちが二人いる意味。これは多分安全装置フェイルセイフ的なものだと思うんだよね。偶然か必然かは知らないけど」

「安全装置……」

「だから、わたしたちは常にでなきゃならない。さっきのは。だから、ベッキーは自分の言葉で自分の想いを伝えられるというのなら、その考え方はきっと正しい。他の誰が、たとえ私が間違えていると指摘したとしてもね」


 超然とした様子のヴェーラは、レベッカの目から見ても美しかった。ヴェーラは時々こうして急に高踏こうとうした様子を見せることがあり、そんな時レベッカは「ヴェーラが手の届かない人」になっていることを認識するのだ。


「ベッキーは、わたしと一緒の考え方なんてしなくていい。わたしの言葉を無理矢理受け入れる必要もないし、そうならなきゃダメだと思う必要だってどこにもない。仮にわたしたちが、どうしても相互に受容し難い言葉と場所に立つことになったとしても、ね」


 その言葉はレベッカの心に冷や汗を生じさせる。まるで何かを知っているかのような口ぶりに、レベッカは寒気を覚える。


「でも、たとえどんな事態になったとしても、わたしの一番はベッキーなんだ。だから、それは変わらないから」


 ヴェーラはすっかり着替えを完了して、そしてジャージをしまったカバンと、自分の授業用のタブレット端末を持ち上げた。レベッカも同じようにして、ロッカーの扉を閉める。


「だからこれからも、わたしとたくさんお話をしよう」


 ヴェーラはいつもの笑顔を浮かべ、レベッカの手を強く握った。


 主観的な未来予報――か。


 レベッカは手を握られながら、さっき言われた言葉を反芻する。


 でも、私は考える。確かにそれは、自分に都合の良い考えになるかもしれない。でも、私は考えるだろう。考え続けるだろう。最高の結果を得るための方程式を、探し続けるんだろう。


 相互に受容し難い言葉と場所――。


 それはいったい、どういう状況だろう。そもそもどういう意味なんだろう。


 レベッカにはヴェーラの心の中が見えなかった。あまりにも深すぎて。

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