陸に上がった潜水艦キラー

 リチャード・クロフォード――。


 ヴェーラは脳内の人物名鑑から、その名前を大急ぎで検索した。そして二秒とせずにそれを発見する。


「潜水艦キラー! 第七艦隊所属戦術機動分艦隊!」

「さすが、いい記憶力だ。いかにも、俺がそのクロフォードだ。今日付けでここの教練代表主任なんぞに異動させられてしまったが」


 関心したように小さく拍手して、クロフォードは応じる。レベッカも当然その名前と功績は知っていた。先の海戦でも、クロフォードの分艦隊がSLBM発射体勢にあった潜水艦部隊を撃破するという実績を挙げている。無論のこと、彼がこの作戦に失敗していれば、ヤーグベルテ本土に弾道ミサイルが降り注いでいた……ということだ。


「あれ、でも、クロフォード中佐はその功績で第七艦隊の軽空母遊撃隊に異動になったはずじゃ……?」

「ははは、その予定だったんだがね」


 クロフォードはばつが悪そうに黒髪を掻いた。


「上官をぶん殴ってしまって、栄転はパー、昇格も白紙撤回。挙句にふねも奪われて士官学校の教官のまとめ役、という大役を仰せつかったというわけさ」

「上官を、殴った……?」

「そうだ。ええと、グリエール……でいいのかな」

「あ、はい。名乗り遅れて申し訳ありません。ヴェーラ・グリエールです」

「わ、私はレベッカ・アーメリングです、中佐」

「うむ」


 クロフォードはなおも罵声を飛ばし続けるアケルマン軍曹の方を呆れたように見遣りながら頷いた。


「第七艦隊の司令官どのを三発ばかりぶん殴ったわけだ。常識的に考えて、この温和な俺に殴られる方が悪いというのに、まったく軍隊ってところは非常識極まりない」


 心の底から憤慨している様子のクロフォードに、ヴェーラはなんだかニヤニヤしてしまった。クロフォードもそれに気付いて口角を上げる。レベッカだけはそんな二人を見ながらも気が気ではない。


「将官を殴ったのですか、中佐」

「まぁな」


 と言って、クロフォードはグラウンドの中央、つまり、アケルマン軍曹の方へ向かって歩き出す。


 クロフォードの背中に視線を送りながら、レベッカが呟いた。


「軍曹の訓練だって、私たちの実戦を思ってのことってくらいはわかるの」


 アケルマン軍曹は、絵に描いたような「鬼軍曹」である。学生たちに等しく恐れられる存在ながら、二十年近くもの長期に渡って、多くの将校を育て上げてきた。学生の時分には恐怖の対象でしかなくても、いったん実戦を経験した卒業生たちは、アケルマン軍曹を一転、崇拝するようになるという。まことしやかに囁かれる噂としては、「飲みに誘われる教官」ナンバー1でもある。


 レベッカが何を言いたいのかを悟って、ヴェーラは白い息を吐いた。


「わかってても、ね」

「ええ」


 割り切れないものもある。だが理解はできているのだ。アケルマン軍曹のしごきなど、最前線の様相に比べればのだ。だが、その現実に直面してもなお、生き抜く力を与えるために、アケルマン軍曹は敢えて鬼教官を演じているのだ、と。しかしそのスタンスは、学生たちには憎まれ、嫌われるものであるのは間違いない。そんな芸当ができるのか? レベッカは自問してみるが、答えは「ノー」だった。その一時の非難に、耐えられそうにないからだ。


 とはいえ、二人はいずれは「指揮官」になる。だから、いつかはそのスタンスを取らなければならない日がやってくる。二人とも、それについても理解していた。


「でもさぁ、わたしはやっぱり軍曹のようにはなれないだろうなぁ」

「うん?」


 ヴェーラの呟きに、レベッカは顔を向ける。寒風に当てられた首筋が、少し熱くなってきた気がする。寒さが一周して、身体が温かくなってきたのかもしれない。


「だってさ、わたし、そんなに器用じゃないもん」


 ヴェーラはベンチに座り、その上で膝を抱えた。レベッカも今になって立ったままだったことを思い出して、ヴェーラに寄り添うようにして腰を下ろした。


「もし」


 レベッカは一瞬躊躇う。だが、眼鏡に一度手をやってから、曇天を見上げて言葉を続けた。


「私が同じようなスタンスに立ってしまったら、きっととんでもなく冷たい人だって言われると思う。それ、なんかイヤだわ」

「イヤだねぇ」


 ヴェーラはまた口を丸めて白い息を吐く。それは雨が降り出しそうな空に向かって昇り、消えていった。


「イヤだけどさ、いざ戦闘になったなら何人かは確実に死んじゃうことになる、現実的には。まして指揮する側になったら、その作戦でを前提に計算していかなくちゃならないよ」

「わかってるけど――」

「軍曹はさ」


 ヴェーラはレベッカの介入を阻止して、それからグラウンドの中央でなにやら話し合いをしている大人二人を見る。


「アケルマン教官は、指揮官に引き算されてしまったとしても、何とかして生き延びる力を与えるために、何年も何年もああやってやって来たんだと思うよ」

「わかってるわよ、そんなことくらい」


 レベッカは唇を尖らせる。本気で不愉快になっている表情だった。


 ヴェーラはレベッカの感情を読み取りはしたが、特にそれには何の感慨も抱かなかった。どころか、少し冷たい視線でレベッカを見詰めて、こんなことを言った。


「ベッキーはさ、優しいんだよね」

「な、何よいきなり」


 レベッカの頬が少し赤くなる。「でも――」と、ヴェーラは目を伏せた。


「だから、不器用なんだ」

「……そうよ。不器用よ」


 数秒の間を置いて、レベッカはその指摘を受け入れた。


「でもあなただって」

「わたしは」


 ヴェーラは視線を上げ、レベッカの新緑の瞳を真っ向から捉えた。


「わたしは違うよ」

「違わ――」

「わたしはね」


 レベッカの否定を打ち消して、ヴェーラはレベッカの左手を握った。


「わたしはね、全部手に入れる。そして、手放したくないものをみすみす手放したりはしない。やってみて、どうしてもダメだってなったら、その時に考える。精一杯守りに守ったとしても、やっぱり失うものはたくさん出てきてしまうんだろうけれど、仮にそうなる確率が限りなく高かったとしても、それが明らかだったとしても、わたしはやる前に諦めたりはしない。失う前に我慢したりなんてしないんだ」


 それは本当にスタンスの話なのか。それとも決意表明のようなものなのか。


 レベッカには判断が付きかねた。狼狽するレベッカを横目に見ながら、ヴェーラはなおも言い募る。


「ベッキーは賢いよ。だから頭の中だけでいろんな答えを出せる。でも、だから、そうしていつまでも悩む。まぁ確かに、実際に行動しない限りは、脳内でいくら失敗したとしても誰も傷付かないしね」

「何かする前にそれの妥当性を考えるのは必要な、ううん、必須のプロセスよ。リスクを洗い出し、抑制できるだけ抑制してから、物理的に行動に移すか否かを決定する。だって私たちが扱うのは人の――」

「わかってるよ」


 ヴェーラは冷たい調子で言った。


「わかってるけど、だから、わたしは諦めないって言ったんだ。でも実際にやってみなけりゃわからないなんて事、たくさんあるんだよ。シミュレーションっていうのは、言うなればだ。それを起点にしている限り、何かを始める前から、一定数の喪失を是認しているという事に他ならないんだ」


 ヴェーラのその空色の瞳は、とんでもなく深い淵のようだった。レベッカは時々それが恐ろしくなる。見えないのだ、底が。ヴェーラの中心にある何かが見えないことに、レベッカは時々、焦燥のようなものすら感じている。


「でもヴェーラ、実際にはどうやったって死傷者は生まれるでしょう? リスクを詳細に生み出してその結果の犠牲なら、まだ説明もつくでしょうけど」

「犠牲者の家族にしてみれば、そんなこと知ったこっちゃない、だろうね」


 ヴェーラはレベッカの主張を一笑に付した。その笑みはかすれていた。


「綿密にシミュレーションした結果、あなたの隊は敵の十字砲火に晒されます。頑張ってね。戦死してもそれは計画通りだから」


 ヴェーラはそんなことを言う。レベッカは落ち着かなさげに眼鏡を外し、ジャージの上着の裾でレンズを拭いた。


「でも、シミュレーションしなかったら、ほかの部隊も危険になるかもしれないじゃない」

「だったら、シミュレーションして死刑宣告する方が正当だって?」

「……そうじゃないけど」


 レベッカは口をつぐむ。


「ベッキー、わたしは君の考えが間違えているとは思っていないよ。むしろ軍としては正しい。でも、わたしはそれにアンチテーゼを突き付け続ける。だってさ、そもそもね、悩んだって何したって、計算通りのジ・エンドを迎えられる事なんて、きっと本当に少ないんじゃないかなって」

「でも」

「わたしは考えナシの無鉄砲なのかもしれない。でもね、ベッキー」


 ヴェーラはレベッカをまた真正面に捕捉した。レベッカは金縛りにでもあったかのように動けなくなる。目も逸らせなくなった。


 ヴェーラは静かに言った。


「ベッキー、君は、傲慢だよ」





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