スタンス

 ヴェーラとレベッカは、グラウンドの片隅にあるベンチで身を寄せ合って座っていた。季節は十月の半ば、ヤーグベルテ統合首都においてはもはや冬の入口である。


 白いジャージ姿で凍える二人の目の前を、ヘロヘロになった同級生たちが走り抜けていく。


「ねぇ、ヴェーラ。ここでこうして凍えているのと、一緒になって走らされるのと、どっちがいいと思う?」

「そ、そうだねぇ」


 ヴェーラは息をほう、ほう、と二度吐いて、三度目は両手に吹きかけた。


「走る方は罵声付きだからなぁ」

「そうよねぇ」


 二人はグラウンドの中央で腕を組んで仁王立ちしている初老の軍人に視線を送る。彼は「士官学校にこの人あり」と言われ、ある意味名物となっている教官、ヨセフ・アケルマン軍曹だ。士官学校上級高等部の学生は、先ずその基礎教程に於いて、必ずこのアケルマン軍曹から罵声を浴びせられることになっている。もはやこれは伝統のようなものだ。


「罵声が無ければ、一緒に走らされたいところだね、今日は」


 ヴェーラは髪の毛をクルクルと弄びながら言う。レベッカも同意した。


「……風邪ひいちゃいそう」

「来週には特別カリキュラムができてるでしょ。さすがに真冬に見学は無理だぁ」


 ヴェーラは如何にも寒そうな灰色の空を見上げて言った。そう、二人はこの体力トレーニング関連の教程は全て免除となっていた。正確には「参加を禁止する」という通達が出されていたのだ。理由は特に明記されてはいなかったが、要は「物理的に怪我をさせるようなことがあってはならない」という事だろうと、関係者たちは勝手に納得している。そこで学校側は慌てて二人のための通年の特別カリキュラムを一つ作ることになったのだが、今回はそれが間に合わなかった。そこで学校側は仕方なく、二人に「見学」の指示を出したというわけである。


「でも罪悪感しかないわね。また陰口言われるのよ、特別扱いされやがって、とか」

「言わせておけばいいんだよ、ベッキー。そういう陰口でも悪口でも、わたしたちに向けられるものならあながち的外れとは言えないじゃない。それにさ、そういうネガティヴなものだったとしても、それを口にする事で、少しか楽になれるっていうのなら、わたしたちはただ黙って頷いていれば良いんじゃないのかな」


 ヴェーラはまた手に息を吹きかける。レベッカもそれを真似した。少し暖かくなって、すぐにその倍くらい冷たくなる。仕方なく手を擦り合わせてみるが、やはり冷たくなってしまうのでまた息を掛けて温めて――。


「ヴェーラはちゃらんぽらんに見えるのに、そういう所は芯が通ってるのよね」

「ちゃらんぽらんってヒドっ! わたしだって考えてるんだよ、いろいろと」

「知ってるけど――」


 レベッカはポケットに両手を突っ込み、「うー」と唸って震えをやり過ごした。そんなレベッカの肩をポンと叩いて、ヴェーラは顎でグラウンドの中央付近を指し示した。


「そら、説教タイムが始まったよ」

「あー……聞きたくない」


 レベッカはそう言いながらも、アケルマン軍曹の方を見るのだった。


 アケルマン軍曹は肩で息をしている学生たちを冷然とした表情で睨みつけていた。学生たちは座り込むわけにもいかず、全神経を緊張させて完璧な整列を見せていた。だが上がってしまっている息だけはどうしようもない。


 アケルマン軍曹は汗だくで荒い呼吸を繰り返している学生たちを一人一人凝視して、そして突然「貴様ら!」と大声を出した。


「この程度で音をあげていて、何が上級高等部だ! その程度で士官候補生とは全くお笑い草だ。貴様らはさしずめ二本足の野郎だ!」


 その罵声のボリュームは凄まじく、グラウンドの端の方にいるヴェーラたちにも一言一句漏らさず届いていた。


「よく聞け、ども! 海軍候補生だか何だか知らないが、貴様らはだ! どれだけエリートなんだか俺は知らないし、の生い立ちなんぞには興味もないが、ただこれだけは言える。貴様らが軍隊に配属されることがあったとしても、貴様ら程度のはクソ以下だ。のクソ以下だ! 海の上でクソにまみれてくたばるのがオチだ! わかったか!」


 圧倒されて何も言えないでいる学生たちを睨み据え、アケルマン軍曹は再び怒鳴った。


「どうした貴様ら! でもイエス・サーくらいは言えるもんだと思っていたが、やはり貴様らはのクソか!」

「の、ノー・サー!」


 学生の一人が言った。小柄な女子学生だ。


「ノーか! ノーと言ったのか、この女が!」


 アケルマン軍曹は軍靴でその学生に砂を蹴り飛ばした。


「他の奴らはなんだな!?」

「ノー・サー!」


 何人かが声を上げた。アケルマン軍曹はギロリと学生たちを睨み回した。


「今ノーと言ったヤツは前に出ろ!」


 五名の学生が前に進み出る。


「貴様らがではないことを証明してみせろ! 腕立て百回!」


 一も二もなく彼らは地面に手をついて腕立て伏せを始めた。総計十キロ近く走らされた直後である。きついのは言うまでもなかった。


「よし、それ以外のども、もう一度走ってこい! 行け、どうしたども! 言葉もわからなくなっちまったか!?」

「い、イエス・サー!」


 大勢の学生たちが隊伍を組んで走り出す。最初の女子学生だけは腕立てもランニングも免除された格好だ。


「ひぇぇ……」


 その光景を目を見開いて見ていたヴェーラは、そんな声を出した。レベッカが「しっ」とたしなめる。


 アケルマン軍曹は相変わらずグラウンドの中央で腕を組んで仁王立ちして、全速力でのランニングを行っている学生たちを鋭い視線で見詰めていた。


「免除されてよかった、かも」


 見ているだけで寒さも忘れようというものだ。


「まったくだな」

「ほわっ」


 突然後ろから聞こえてきた声に、ヴェーラとレベッカは揃ってそんな変な声を出した。そして襟の「中佐」の階級章を見て、慌てて立ち上がる。


「あぁ、いやいや、そのままで」

「しかし中佐殿」


 レベッカは振り返って形式通りの敬礼を行った。ヴェーラも脇をつつかれてそれを真似する。中佐と呼ばれた男は、ニヤリとしながら礼を返す。黒髪に褐色の瞳で、目鼻立ちのはっきりしたその顔は、全体的に日焼けしていた。海の男、という感じがする。年齢的には二十代後半といったところだろうが、それは「中佐」という階級を考えると相当に早い出世をしてきたということでもある。レベッカは思わず階級章を再度確認したくらいだ。全体から受ける印象は理知的で冷静……なのだが、少し角度を変えると飄々として掴みどころのない人物像であるようにも思えた。一言で言うと。そんな不思議な将校であった。


「キミたちがアレだな、うん、アレだ」


 男はそう言って一人でうんうんと納得している。二人の少女はわけがわからないまま、思わず見つめ合った。


「えと、あの、中佐殿?」

「うん? あぁ。俺はクロフォード。リチャード・クロフォードだ」


 何でもない事のように、男はそう名乗ったのだった。

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