触れてはいけない記憶

 カティは目を見開いたまま、微動だにできなかった。ただ見知った顔の人たちが次々と死んでいく。どこからともなく現れた兵士たちに、一方的に虐殺されていく。やがてカティの父や母も、全身を蜂の巣にされた上に火炎放射器で焼き尽くされた。年の離れた兄は、果敢にもヴァシリーに向かって行ったが、身体を二つに割かれて殺された。姉はナイフで後頭部から口の中まで貫通され、死ぬまでレイプされ続けた。


 もう一人の兄は、近付いてきた屈強な兵士にナイフで首を切られ、脊髄ごと頭を引き抜かれた。そしてその兵士はカティに向かって「ほらよ」とその背骨付きの頭を投げてよこした。カティは胸に当たったそれを何と認識することもできず、ただ茫然と突っ立っていた。小さな妹は、兵士に投げ上げられた挙句、重機関銃によって木っ端微塵に粉砕された。血と肉片の雨が、カティの上にこれでもかと言わんばかりに降り注いでいた。


 わずか数分間。村の全ての家屋は爆破され、住民は皆殺しになった。


「君という存在が悪いんだ。恨むなら自分を恨むんだね」


 ヴァシリーは立ち尽くすカティの肩に手を置いて、優しい声でそう囁いた。


 カティ本人は、この虐殺の光景を明確に思い出したことは、社会に復帰して以来一度とて無かったが、ヴェーラとレベッカはその深層意識に触れてしまった。二人の中に流れ込んできたのは、ありえない光景、ありえない景色。だが、それは間違いなくカティの体験した事実だった。カティ本人はそれを自我防衛機制にのっとって忘れ去っていたに過ぎない。これは触れてはいけない記憶――間違いなくその類のものだった。


 ヴェーラとレベッカは顔を見合わせていて、おおよそ何が起きているのかを把握したカティは唇を噛んで俯いていた。その視線は二人の少女の靴先の辺りを彷徨っていたが、おそらく何も見てはいない。


「……ごめんね、カティ」


 ヴェーラは掠れ、消えてしまいそうな声で謝った。カティはしばらく硬直していたが、やがてゆるゆると首を振った。西日が赤い髪の毛を陽炎のように揺らめかせる。


「いいんだ」


 やっとのことで、カティはそう口にする。そして自ら進んで、その時の状況を、記憶になるべく忠実に話し出した。カティはわかっていた。敢えて話す必要はないと。何故ならヴェーラもレベッカも、自分のその記憶を読み取ったのだから。それがどんな芸当なのかはわからない。だが、カティは言葉に表せない不思議な感触を、胸の内に確かに感じていたのだ。


 カティがその時の出来事を話し終えた頃には、すっかり外は暗くなっていた。教室の天井灯たちが、寒々しく三人を見下ろしている。教室もすっかり冷えきっていたが、三人の誰もが「寒い」とは口にしなかった。できなかったのだ。


「見事に乗せられたのさ。バカだったんだ、アタシが」

「でも、カティさん」


 レベッカが胸の前で手を握り締めながら口を開く。カティはぼんやりとその眼鏡の少女を眺めた。


「カティさんが何もしなくっても、たぶん結果は――」

「かもしれない」


 カティは溜息をついて、ゆっくりと立ち上がった。ヴェーラとレベッカはそんなカティを見上げている。


と奴は言った。それだけははっきり覚えている。何のことかはサッパリだが」


 カティはカバンを持つと、二人を教室の出入り口へと促した。まもなく校舎が閉鎖される時間だったからだ。図書室の本は返却ボックスに入れておいて、明日手続きをすればいいかとカティは考える。


 三人は歩きながら会話を続ける。薄暗くなっている廊下に、声と足音がやけに響く。


「思い出したんだけど」


 ヴェーラが呟く。


「それ、例のユーメラ漁村襲撃事件だよね」

「……と、呼ばれているのか?」


 カティはその事件からは意図的に遠ざかっていたので、そんな風に呼ばれていただなんて知る由もない。もし目にしていたとしても、無意識のうちに忘却していた事だろう。


「目撃者はたった一人の女の子で、でもショック症状が酷くて、隔離病棟に収容された……」

「そうだな」


 カティはそれを短く肯定した。あの事件の後、たった一人生き残ったカティは軍によって収容されたのだが、極度の対人恐怖症と失語症に陥った。そのため、まともな事情聴取さえされることはなかったのだ。様々な方法でカティの記憶を引き出そうという試みも為されたが、カティはかたくなに思い出さなかった。


 そのうちに人権派団体がカティの軟禁状態を嗅ぎ付けて、それらの試みをして二次的な虐待であると主張を始めた。彼らが声を上げ始めた直後に、カティから情報を得ようとすることは断念され、人権派団体も即座に鳴りを潜めた。それから七年間にもおよぶ闘病生活の末、カティはようやく言語を取り戻し、失われた七年間を猛然と取り返してきた。あの事件の記憶は封印したままで。


 その後わずか一年の勉学とリハビリを経て、ユーメラの士官学校に入学し、そしてさらに二年が経過して今に至っているのだ。


「それはそうと、あの事件の頃って、お前たちはまだ赤ん坊、せいぜいが幼児じゃないのか?」

「うーん」


 カティの疑問に、ヴェーラは首を傾げた。


「小さい頃のことってよく覚えてないんだよね。気が付いたらベッキーと一緒にいて、何年も隔離されて育ったから。ネットで外の世界の事は知ってたけど。その事件の事も、ネットで知ったんじゃないかな。なんか覚えてた」

「そうか。お前たちも複雑な事情がありそうだな」


 カティはフッと息を吐く。ヴェーラとレベッカは顔を見合わせて、なんだか微妙な表情を浮かべた。カティはそれに気が付いたが、それ以上の追及はしなかった。してはいけない気がしたからだ。


 ヴェーラは前を見たまま、ぽつりと言った。


「でもさ、あの事件って結局アーシュオンの局地的な襲撃事件とかそんな幕引きがされたけど、本当にそうだったのかな……」

「ヴェーラ、その話はもういいでしょ」


 二人の少女が口論を始めそうな様子になったのを眺めつつ、カティはその辺の情報を脳内でかき集め始め、低い声でその検索結果を披露した。


「確か、アーシュオンの階級章を持っていた死体があったからとか」


 そしてたぶん、その持ち主は兄だろう――カティは首を振る。背骨が付いたままの兄の頭部。それは写真のように鮮烈に記憶に焼き付いていて、いつでも自由に呼び出せるくらいだった。ここ二年くらいは思い出すこともなかった記憶だが、今になってもやはり鮮明過ぎるくらいに鮮明に思い出せた。家族の死に様をどれも明瞭に記憶している自分の記憶力が、カティは相当に恨めしいと思っていた。だが、それらがあまりにも鮮明であり過ぎるからなのか、再生するにつれてリアリティが薄くなり、やがてまるで他人事であるかのように感じ始めていたというのもまた事実だ。


 そういえば、自分を助けてくれた軍の人の事もなんとなく覚えている。金髪で綺麗な女性兵士が、自分を抱いて泣いていた気がする。たぶんそれは正しい記憶なのだろうが、カティの中では夢のように脆くて儚い情報になっていた。無論、その人の名前など知らないし、階級章の模様すら覚えていない。


「カティは、その事件があったから士官学校に?」

「いや」


 カティは明確に首を振った。


「それ以外、生きていく方法がなかったからだ」


 結局、流されるまま生きている。カティは荒んだ笑みを浮かべた。


 そんなカティを振り返り、ヴェーラはカティの右手を捕まえた。


「え?」

「わたしね」


 ヴェーラは立ち止まり、カティを見上げた。その声は大きく震えている。


「痛い。すごく痛い。こんなこと、今まで感じたことない」

「痛い……?」

「心が、痛い」


 ヴェーラは自分の胸に掌を重ねて訴えた。カティは戸惑い、レベッカはそんなヴェーラの肩に軽く触れた。


「昨日、カティを初めて見た時から、を感じていた。それがこれだったんだって、やっとわかった」

「そ、そうか」


 そうとしか言えない。二人がカティの記憶を読み取ったことは何となくわかっているが、理解できているわけではない。そんなことはどちらかと言えばオカルトの部類に入るんじゃないかと、カティは今に至っても密かに思っている。


「うまく言えないけどね、この能力については」


 心を読み取ったように、ヴェーラが言う。レベッカも頷いていた。カティは「まいったね」と髪の毛に手をやって肩を竦めた。


「でもね、わたしは強く思ってる」


 ヴェーラはカティの手を放し、代わりにレベッカと手を繋いだ。二人の美少女が並んで手を繋ぎ、カティの前に立ち塞がっている……ようにも見えた。


「わたしは、戦争を無くす。こんな悲しいことは起こさせないようにする」

「きっと、そのために私たちはいるんだと思うんです」


 間髪を置かず、レベッカが継いだ。カティは微動だにせずに二人が繋いでいる手を見つめ、そして「そうだな」と口元を綻ばせた。


「そうかもしれないな」


 そう言ってから、カティははたと思い出した。


「お前たち、まさか歌姫……?」

「歌姫、かぁ」


 ヴェーラはレベッカと顔を見合わせる。


「『歌姫防衛構想』の一部だっけ。ちょっと前に発表されたヤツ」

「うん、それだ」

「……まぁ、『歌姫特別措置法』なんて法案もあるくらいだしね。凍結中だけど」


 そうだそれだ、とカティは肯いてみせる。ヴェーラはその白金プラチナの髪を一掴みして後ろに流し、レベッカは眼鏡のフレームの位置を何度か直した。


「ま、仮にそうだとしても、そんなこと以前にさ」


 ヴェーラはそこで言葉を区切り、カティを凝視しながら言葉を探す。


「そんなこと以前に、わたし、カティのために何かしたいなと思ってる」

「アタシの? 会って二日目の?」

「二日だろうが一ヶ月だろうが関係なくて」


 ヴェーラは微笑んだ。白金の髪に縁どられたその微笑には、人間離れした美しさがあった。だが、そこには体温があって、それがカティには心地よかった。


「あんなことを聞いて、ううん、見ておいて、じゃあサヨナラってわけにはいかないよ。だからわたしたちは、先ずはカティのために何かしたい」

「そ、そうか」


 その言葉の迫力に押されて、カティは何度かカクカクと頷いた。そして、


「そうだな――」


 と、歩き始めながら思案する。


「じゃぁ、お前たちが歌姫だったとしたら、いつかアタシのために何か歌ってくれよ」

「歌姫って、そんな呼び名だけど、だよ、たぶん」


 ヴェーラが言う。レベッカも頷いて同意している。


「カティのために歌ったら、カティが爆発しちゃうかも」

「それは困るな」


 カティは笑った。その笑顔を見て、ヴェーラとレベッカも笑う。


「さ、学校に閉じ込められる前に出るぞ」

「あと二分しかないわ」


 レベッカが時計を見て慌て始める。カティはヴェーラを右に、レベッカを左に手を繋ぎながら、速足で玄関を目指した。なおこの三人の位置関係は、今後何年間も維持されることになる。


 カティは繋いだ両手から伝わってくる温もりを感じ、同時に胸の内に鋭い痛みも覚えていた。


「……アタシなんかのために、妙な体験させてしまって、すまん」

「どうして謝る?」


 ヴェーラは少し怒ったような口調で訊いてきた。カティはヴェーラと視線を合わせぬまま、答える。


「アタシは……そんなたいそうな人間なんかじゃないし」

「カティさん」


 カティの言葉に割り込んでくるレベッカ。カティは思わず口を閉ざした。


「それだけの経験をしてきたんです。仕方ないと思います、そういう考え方」


 レベッカは、カティがこれから語ろうとしたことを先回りした。そこにヴェーラがさらに被せてくる。


「そういう考え方、しちゃいけないとは言わないよ。でも、時々にして」

「時々?」

「うん、時々」


 ヴェーラは静謐せいひつな声でそう言った。カティは黙って頷く。


 三人はかろうじて玄関の施錠前に校舎から脱出し、そのまま寮の方へと向かった。


「あれ、お前たちも同じ寮なのか?」

「ううん、寮から迎えを呼ぶの。わたしたちの寝泊りしてる場所は部外秘なんだ」


 へぇ、とカティは白い息を吐きながら応じる。空には月の姿こそ見えなかったが、いくつもの星が燦然とその存在を主張していた。


「十年、かぁ」


 ふと、ヴェーラが白い息を吐きながら呟いた。


「十年後、わたし、何してるんだろ」


 立ち止まってそう言うヴェーラの表情は、冷たく、固い。


「なんかね、見えちゃう気がするんだ」

「見える……?」

「なんとなく、ね」


 ヴェーラは「はぁ」と息を吐いた。白い霧がふわりと舞って、夜の闇に消えて行く。


「カティは、その頃までには……自分のことが好きになれていたらいいね」


 ヴェーラは沈鬱な調子でそう言い、それきり黙り込んだ。


 時は西暦二〇八一年。


 これは二人の少女による初出撃の、七年前の出来事だった。

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