敵国人との交流

 それから三日もすると、カティもすっかりその兵士に心を許すようになっていた。兄を差し置いて一人で会いに行くなんてこともあるくらいに。


 兵士はヴァシリーと名乗った。その柔和な顔に、無警戒な笑顔を貼り付けて、ヴァシリーはカティに、アーシュオンについての様々なことを教えた。もっとも、十年後のカティは、この兵士から聞いたことはほとんど何も思い出せない……そんなレベルの他愛のない情報ばかりだったのだが。それでも、幼いカティにとってはそのことごとくが物珍しく興味深い話だった。カティは夢中で話をせがみ、ヴァシリーはその要求を一度とて拒むことなく、カティに様々な情報を提供したのだった。


 ヴァシリーによれば、あと一週間もすれば救出部隊がやって来る、ということだった。通信手段の一つも持たないヴァシリーがそんなことを知っているはずもないのだが、幼いカティはその話を疑いもなく信じた。何せ辺境の地に生まれ育った八歳の少女である。世間知らずなところがあっても、責めるわけにはいかなかっただろう。


 ヴァシリーと出会って五日目の夕方、太陽がほとんど西の山影に沈んだ頃合に、カティは一人、うきうきとした足取りでヴァシリーの隠れている空き家に向かっていた。つい二時間ほど前に、海岸でアーシュオンのものと思われる缶詰が大量に見つかったのだ。それを届けに向かっていた、というわけだ。


「あれ?」


 ベランダの破れた窓から中を覗いてみるが、人の気配がない。


 もしかしてもう救出部隊がやってきた後?


 そんなことを想像して、カティは少しだけ気落ちした。カバンに詰め込んだ缶詰を一つ取り出して、その見慣れない文字をしげしげと見まわした。せっかく拾ってきたとはいえ、ヴァシリーがいないのでは仕方ない。


「もう暗くなるし」


 と、カティは諦めて立ち去ろうと立ち上がった。家の敷地を出たあたりで、カティは別の空き家から出てきたヴァシリーと遭遇する。


「ああ、来てたのか」

「どこ行ってたの?」

「ん、ほかの家も見てきたところ。暇だったからさ」

「村の人に見つかるよ?」


 カティはそう言いながら、カバンから缶詰を一つ取り出した。


「はい、これ、拾ったの」

「ありがたい」


 ヴァシリーはそう言って、缶詰を受け取った。太陽を背にしていたので表情は良く見えない。


「まだたくさんあるよ」

「ありがとう」


 ヴァシリーとカティは二人で隠れている空き家へと移動する。その秘密の行動が、カティには楽しかった。大人たちに黙って敵の兵士を匿っている。そのことに、どこか背徳的なスリルのような高揚感のような、そんなものを覚えていた。


「ところで君は」


 家の奥から缶切りを持ってきて、ヴァシリーは言った。


「この村から出たいと思ったりはしない?」

「村から?」

「そう。もっと都会に、便利な場所に」

「そうだなぁ……」


 カティは夕陽を横顔に受けながら思案する。


「みんながいるなら行ってもいいかな? 一人だったらヤだ」


 みんな、とは、家族や友達のことを指していた。


 それを聞いたヴァシリーは、少し困ったような表情を浮かべながらも、黙って缶詰の蓋を切り開けた。中に入っていたのはビーフシチューだった。電子レンジの類もないし、火を使うわけにもいかなかったので冷たいまま食べるしかなかったが、それでも缶を開けた瞬間から漂い出してきたその香りに、カティは空腹を覚えたのだった。


 その様子を見たヴァシリーは、缶詰とスプーンをカティに差し出す。カティは遠慮がちにそれを受け取ると、初めて食べる軍用の糧食を緊張しながら口に運んだ。


「……美味しい」

「だろ。アーシュオンの戦闘糧食ミリメシは意外とイケるんだ」


 二人はカティが持ってきた大量の缶詰の幾つかを消費しながら、アーシュオンの都市部で流行している歌やファッションについて話をした。インターネットが普及している現在、(幼いなりに)「文化には国境はない」と思っていたりもしたカティだったが、実際にその文化圏の人物から話を聞くと、その流行の感じ方にはずいぶんと温度差があることがわかった。


「あ、そろそろ時間。帰らないと」


 つい夢中になって時間を忘れていた。気が付けば周囲はすっかりと暗くなってしまっている。両親が心配して探しにくるかもしれないし、もしかしたら兄がヴァシリーの事を話してしまうかもしれない。そう思って急に不安を感じたカティだった。


「気を付けて」


 ヴァシリーは真っ暗な家の中に引っ込みながら、カティに声を掛けた。カティは手を振りつつ、黙ってその敷地から出て、家路を駆けた。


 その途中、カティは何かが闇の中を追いかけているような気がして、何度も振り返った。走り慣れた砂の地面なのに、何度も足を取られて転びかけた。今までこんなに不安になったことは無い。周囲が暗くなってしまったとはいっても、この海岸一帯はカティにとって庭みたいなものだったからだ。


 ゾクっとするような、そんな視線を背中に感じて、カティはついに足を止めた。家まではもう少しだったのに、息が上がってしまって足を止めざるを得なかった。「この海岸、こんなに長かったっけ」と思ってしまうほど、家が近付いてこなかった。


 恐る恐る振り返った先には、ただ闇と潮騒があるだけだ。空には薄く雲がかかっていて、星はほとんど見えなかった。月の姿も見当たらない。


「だれ?」


 カティは震える声で闇に呼びかける。だが、それが返事などするはずもない。カティは目が回るような不安にのしかかられ、そしてこれが「恐怖」という感覚なのだと直感的に理解する。――それが確かに闇の中に潜んでいて、自分の事をじっと見つめているのだと。


 カティは身動きが出来なかった。指先すら動かせず、ただ膝が意志とは無関係に震えているのみだ。その金縛りのような状態を解いたのは、二歳年上の兄だった。


「カティ! こんな時間まで何やってんだよ!」

「お、お兄ちゃん!」


 カティは残る力を振り絞って、声の方向へと駆けた。兄の顔が視認できるところまでやってきた時、全身からべとついた汗が吹き出して、同時に涙も出た。


「ヴァシリーのこと、バレちゃうぞ!」

「ごめん」


 カティは泣きながら謝り、兄と共に言い訳を考えながら、今度こそ家路についたのだった。





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