十年前の記憶

 それはちょうど十年前、二〇七一年の晴れた夏の日だった。


 当時八歳のカティは、辺境の小さな漁村に住んでいた。その日は雲一つない快晴で、轟然と降り注ぐ陽光に、砂浜も家々も海すらも焼かれていた。大人たちはその暑さに辟易していたが、カティら子どもたちは、いつものように元気に海岸線を走り回って遊んでいた。カティはとりわけ二つ年上の兄、そして一つ年下の妹と遊ぶことが多かった。その上にも年の離れた姉と兄がいたが、二人はもう大人扱いをされる年代だった。


 村の規模は人口三百人程度で、戸建ての家は海岸線に密集するように並べられていた。どの家も築五十年以上で、老朽化が傍目にもよくわかるほどだった。一言で言えば、枯れた雰囲気の村だった。かろうじて公営のバスが都市部とのパイプを形成してはいたが、それも一日に僅か二往復しかしておらず、孤立集落と言っても差し支えのない不便さだった。


 そして地形学的には、宿敵であるアーシュオンの本土に最も近く、沿岸に双方の軍の軍艦が見えることすら度々あった。海戦が行われた結果、大量の死体が流れ着いたなんてことも、ここ十年だけ見ても、一度や二度ではない。そんな物騒な位置にあり、海軍兵士の死体で埋め尽くされた海岸の写真なんかもネットに出回ったりしている村に、新たな移住者が出てくるはずもない。そんな事情で、村はびれる一方だった。


 その日の二日前にも、村から二百キロほどの場所で小規模な海戦が発生していた。多くの遺留品が流れ着き、その中にはもちろん亡骸も多数あった。大人たちはカティら子どもたちに、「しばらくの間は海岸には近づくな」と強く言いつけたのだが、好奇心に突き動かされる年代の子どもたちにとっては、それは「行ってこい」というのとさして意味は違わなかった。


「待ってよ、お兄ちゃん」


 カティは棒切れを振り回して先を行く兄の背中を追う。そのカティの後ろを七歳の妹が転げまわるようにして追いかけてくる。それは珍しくもない、いつもの光景、いつもの行動だった。


「あれ?」


 でもその日は何かが違った。猛烈な日差しの向こう、焼かれた砂浜の上に、誰かが座っているのが見えた。カティの兄は棒切れをまるで剣のように構えながら、慎重にその人影に近付いていく。


「お兄ちゃん、あれ、アーシュオンの軍服じゃない?」

「そうだな」

「お父さんたちにしらせに行こうよ」

「いや、逃げられたら困るじゃないか」


 十歳の少年は棒切れを振り回しながら主張する。カティはその兵士から目を逸らさず、だが、兄に反論する。


「お兄ちゃんじゃまだ兵隊には勝てないよ。お父さんたちのところへ行こうよ」


 口論が始まろうとしたその時、座り込んでいたアーシュオンの兵士が立ち上がった。しまったと思った時にはもう遅い。ここは身を隠す場所もない砂浜だ。逃げるにしても百メートルも離れていない。カティ達は所詮は子どもだ。簡単に追い付かれてしまうだろう。


「気付かれたよ、どうするの」


 カティは妹の手をしっかりと握りながら、兄を責めた。兄はバツが悪そうな表情をしながらも、手にした棒切れを離さない。ちょっとした木刀くらいの長さと重さのある棒切れは、まともに使えば武器にはなるだろう。だが、それが兵隊相手に通じるかと言えば、カティには甚だしく疑問だった。


 その兵士はゆっくりとカティ達の方へ顔を巡らせ、一歩、二歩と近付いてきた。カティの兄は棒切れを構え、「近付くな!」と叫んだ。あわよくばその声が村の方まで届いてくれればと思ったのだが、男が五十メートルの所まで近付いてきても、家からは誰も出てくる気配がない。この暑い日の真昼間だ。大人たちは締めきった家の中でエアコンの冷風をたのしんでいる頃だろう。


「そこで止まれ!」


 カティの兄は棒切れを振り回しながら怒鳴った。カティは妹を後ろに隠す。しかし兵士は立ち止まることなく、両手を軽く上げながらも近付いてきた。


「敵意はない、のかな?」


 兄が疑問文を投げかけてくる。が、そんなことはカティにわかるはずもない。武器を持っている可能性だってなくはないし、相手がナイフの一本でも持っていれば、その時点で詰んでしまうだろう。


 兵士はなおも近付いてきて、その距離は十メートルほどにまで縮まった。そこまできて、ようやく兵士は立ち止まった。兵士は痛んだ軍服を着ていたが、その様子から察するに怪我らしい怪我はしていないようだった。栗色の髪に、緑の目、そしてどこか捉えどころのない表情をしていた。


「ここはどのあたりだ?」


 兵士は流暢なヤーグベルテ公用語で話しかけてきた。カティたち辺境に住むヤーグベルテ人の言葉なんかよりも、はるかに洗練された発音だった。カティの兄が答える。


「ユーメラのアイジス村」

「ユーメラか……」


 兵士は目を細めて繰り返した。ユーメラというのは、ヤーグベルテ国家群を形成している国家の一つであり、アーシュオンからの国土防衛の要となる軍事強国である。


「アイジス村というのは?」


 兵士の問いに、カティの兄は砂浜に簡単な地図を書き、その一部に丸印をつけた。


「この辺」

「……とすると、俺たちが戦ったのがこの辺か」


 兵士は海の部分に右足の爪先で×印を書く。


「敵でしょ、おじさん」

「確かにアーシュオンの兵隊だけど、武器は全部流されてしまったよ」


 確かに、武器を隠す余地はなさそうに見えた。が、相手はそれほど屈強ではないとはいえ兵士。十歳の少年が棒切れを持っていたとしても勝負にならないだろう。カティは兄のシャツの裾を引っ張る。


「お兄ちゃん、お父さんに報せようよ」

「でも」

「俺の捜索隊が来るまで黙っていてくれたら、お礼をするよ」

「お礼?」


 兄はたちまち好奇心を刺激される。兵士は柔和な微笑を見せて、頷いた。


「俺のこの階級章とか、捜索隊の持ち物からも何かあげよう」

「お兄ちゃん、ダメだよ、大人に報せないと」

「でもカティ、この人は武器もないし、大丈夫だと思う」


 カティの兄は好奇心に負けていた。カティは妹を背中に庇いながら、とても懐疑的な視線を兵士に向ける。兵士はまた両手を上げて、敵意がないことをアピールしている。


「隠れるのに良い場所なんて知らない?」

「えっと」

「お兄ちゃん!」

「うるさいなぁ、カティは」


 カティの兄は煩げに棒切れを振った。カティはムスッとして口を閉ざす。そうこうしている間に、兄は兵士を連れて、村はずれの空き家へと案内してしまう。カティ達が物心ついた時にはすでにその地区は軒並み空き家だったので、外壁も窓もボロボロだったし、庭には雑草が生い茂っていた。早急に取り壊す必要もなかったことから、また村の予算の都合から、まるで幽霊屋敷のような佇まいであるにも関わらず放置されているというありさまだ。周囲にはそんな家が十件近くも立ち枯れている。隠れ家とするにはもってこいの場所だった。


「これはいい場所だね。しばらくはここで過ごせそうだ」


 食事や水の問題は、その空き家の庭にカティの兄が作っていた「秘密基地」が解決した。そこには漂着してきた保存食や長期保存用のボトルに入った水の類が大量に備蓄されていたからだ。


 さしあたりの生活が可能だということが分かり、気を良くした兵士は、自分の襟章をカティの兄に渡したのだった。


 とりあえず危険な人物ではなさそうだし、第一この人と揉め事を起こしたら、「助けに来る」人たちが村に何かをしないとも限らない。事が起きてからヤーグベルテの軍が派遣されたとしても、おそらく間に合わないだろう。カティは幼いながらも、そんな風に考えた。カティが導き出した結論は、「おとなしく言うことを聞いて、何事もなく立ち去ってもらうのが最善だ」ということになった。


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