ベルヴェルク

 広大な執務室の奥、一つしか置かれていないデスクにて、青年――ジョルジュ・ベルリオーズは目を閉じて頬杖をついていた。眠っているわけではない。その表情は楽し気にも見えたが、どこか昏い雰囲気も纏っていた。ベルリオーズの放つ退廃的なオーラが、客観的にそう見せているのかもしれないが。ベルリオーズはふと薄く目を開けた。その左目が不規則に赤く明滅している。


「そう――」


 ベルリオーズはゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと腕を組んで、背後にある窓のようなものの方を向いた。


「無事に接触できたわけか」


 ふむ、とベルリオーズは頷き、窓のようなもののを見ている。そこにあるのは虚空であり、つまり、闇だった。月も星もない夜空よりさらに暗い、あらゆるというものから隔絶された部屋――それがベルリオーズのいる場所だった。


「滞りなく、ねぇ」


 彼はどうやら何らかの報告を受けているようだった。だが、電話をしている様子もメールをしているようなそぶりもない。全ては彼の脳内で処理されているようだった。


「……ということは、彼女はミスティルテインにはなり得ない、ということが確定したわけだ」


 ベルリオーズは再び椅子に座り、背もたれに身体を預けた。


 響応統合構造体オーシュとはいえ。


 ベルリオーズはその姿勢のまま、少し思案した。


 やはり、たちに期待することになるのか。初代で巧く行けばという期待はあったのだが、こうなることも想定の内ではあった。そのための鍵はもうすでに準備してあることだし。ただ少し遠回りになっただけだ。


「どっちにしても、簡単には、いかないか」


 それはそうだろうな、とベルリオーズは思う。あの悪魔にティルヴィングを与えられたとはいえ、そう易々と事が運ぶとは思えない。なぜならそれでは、あの悪魔的には「面白くない」からだ。


 だが、その悪魔を出し抜く手段はある。


 ベルリオーズ自身が『ヴァラスキャルヴ』の領域から外に出て、要素たちに直接的な干渉を行えば、或いは事は簡単に運ぶかもしれなかったし、おそらくたぶんそうなるだろうなという感触が彼にはあった。ただそれは、彼自身が禍を引き起こす者ベルヴェルクとしての役割を演じなければならないということであり、それは彼自身の目的とはそぐわない。だから、なるべくならばそのカードは切りたくないというのが彼の本音だった。ベルリオーズとしては、自分は常にオーディンの館ヴァラスキャルヴの中にいるべきだと考えている。願わくば、最後まで。


「ギンヌンガの奈落は目前に開いているというのに」


 青年は一人呟く。


「肥大化したイミルは、僕らを堕落させるだけなのだが」


 なぜ人はそれに気付かない?


 なぜそれに対して肯定も否定もしない?


「僕は――」


 青年は複数の視線を感じて、天井を見上げた。


「僕はね、オーディンなんかにもなりたくはないのさ。の意には反するのだろうけど」


 しかし事態は着々と進んでいく。進められていく。


 その現状に抗うためにベルリオーズが目を付けたものこそ、響応統合構造体オーシュであり、歌姫セイレーンという概念だった。


「僕は世界の創造をしたいわけじゃない。世界の再生を見たいんだ。わかるだろ」


 ベルリオーズが語り掛ける先は、天井という名の虚空だ。そしてその答えは彼にのみ届く。その答えを聞き届け、ベルリオーズはやれやれと首を振り、わざとらしく肩を竦めた。


「僕はその態度が気に入らない。世界、意志、そして僕たちを、君たちはそうやって使い捨ててきた。めしいたファウストをそうしたようにね。でも」


 ベルリオーズの左目が一層強く輝いた。


「僕は君たちを見つけ出した。だから、僕は君たちの好きにはさせない。ティルヴィングを僕に与えたことを、君たちはきっと後悔するだろう」


 そう言い捨て、ベルリオーズは広大な部屋の中央に、立体設計図のようなものを映し出した。それは戦艦のような形をしていた。


「女神よ、怒りを歌いたまえ……か」


 ベルリオーズは『イーリアス』の一節を抑揚なくうたった。

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