接触

 図書室を出たヴェーラは、レベッカを背後に感じながら、食堂の向かい側にある売店の方へと足を向けた。「なんとなくそっちの方にいそうな気がする」程度の直感めいた何かによる進路選択であったが、結果としてその直感は正解だった。


 ヴェーラはレベッカの手を引いて、階段を下りて売店への曲がり角を曲がった。曲がればすぐそこに売店……というところで、「わきゃーっ」とヴェーラは派手に吹っ飛んだ。後ろに引っ張られていたレベッカは間一髪巻き添えを回避したものの、それでも大きくバランスを失った。


「ったく……前を見て歩けと習わなかったのか」


 そこにいたのは、ずば抜けた長身の持ち主の赤毛の女子学生――カティだった。ヘッドフォンを外して、尻餅をついたヴェーラを助け起こしている。その表情は、露骨すぎるほどに迷惑そうだった。


「えっへへ、ごめんなさーい」


 その一方で、ヴェーラには全く悪びれた様子がない。助け起こしてもらい、お尻をパンパンと払いながら、ヴェーラは改めて右手を差し出した。カティは頭上に「?」マークを複数個飛ばした。


「握手だよ」

「……なんのために?」


 カティは首からぶら下げていた小さな端末を右手で弄ぶ。ヴェーラはそれを目ざとく見つけ、背伸びをして顔を近付けた。


「あっ、A856だ。実物初めて見た」

「……形だけでわかるのか」


 A856とは五年ほど前にリリースされた携帯音楽プレイヤーの型番のことだ。少しレトロな外見と、見た目にそぐわぬ頑丈さが売りの端末である。もちろん、強力なオンライン連携能力も有している。


「へへん、音楽関係ならかなりマニアだよ、わたし」


 そう言って胸を張るヴェーラ。カティは「やれやれ」と自分の頬のあたりを人差し指で掻いた。


「ともかく、痛い所はないか? 怪我なんてしてないだろうな」

「お尻が痛いよ」


 ヴェーラは自分のお尻をさすりながら言う。カティは鼻で息を吐く。


「そこは見てやるわけにもいかない」

「ぶふっ」


 大真面目な顔で言われて、ヴェーラは盛大に吹き出した。その後ろではレベッカも微妙な表情で笑いをこらえている。


「……ったく」


 カティはなにやらぶつぶつ言いながらも、二人の少女の頭をぐしゃっと撫でまわした。驚いて目を丸くする二人に、カティはそっぽを向きながら言った。


「周りの目もある。お前らに怪我させたとか、そんな噂を立てられるのは御免だ」


 周囲には数名の学生がいて、彼らは例外なくカティの方をいぶかしげに見つめていた。


「……こういうのは本当に苦手だ」


 カティは二人の手を引いて手近なベンチに移動した。そして二人を座らせて、自分はその前で腕を組んで仁王立ちになっている。傍から見ると、カティが二人の美少女を相手になにやら説教でもしているように見えて、ますます心証が悪くなるのだが、カティはそのあたりの気配りには鈍感だった――というか、慣れていない。


「よし、大丈夫だな。それじゃ」


 カティはなおも突き刺さり続ける周囲からの視線を煩げに払い除け、二人に背を向けようとした。が、その途中で右手をヴェーラに引っ張られてしまい、半分振り返った妙な角度で行動を止めざるを得なくなる。


「……まだ何かあるのか」

「わたし、ヴェーラ・グリエール」


 いきなり名乗られて面喰うカティ。


「よろしくね、カティ」

「だから――」

「とにかくよろしく!」


 被せるようにヴェーラが元気よく言い放つ。カティは開いている左手でイライラと髪の毛を掻き上げて、ヴェーラの方を凝視した。カティはこういう手合いの人物と遭遇したことがなく、どういった対応をしたら良いのかわからなかったのだ。仏頂面のまま戸惑うカティの右手をしっかりとホールドし続けながら、ヴェーラが言う。


「わたし、来年は海軍の上級高等部に行くんだけど、今年は一緒の講義も多いよね。昨日転校してきたんでしょ?」

「あ、アタシは空軍の上級高等部だ。だから今年限りということになるな。……って、お前らは本当に高等部なのか? いや、さっきの講義にいたということは、そういうことなのか」


 ぶつぶつと言っているカティを、ヴェーラはニコニコしながら見上げていた。その視線の直撃を受けていることに気付いて、カティはまた動揺してしまう。動揺だなんて、ここ十年は感じた事のない気持ちの悪い感覚だった。


「わたしとベッキーは、あ、こっちのメガネはベッキーって言うんだけど」

「ちょっと、ちゃんと紹介してよ」


 ヴェーラの脇をつつきながら、レベッカが唇を尖らせる。


「あ、私はレベッカ・アーメリングって言います」

「あ、ああ。カティ・メラルティンだ」

「さっきはその、すみません」


 ヴェーラ衝突事件の事を遠まわしに謝るレベッカである。カティは「それはいいんだけど」とまた口の中でぶつぶつと答えている。


「レベッカも海軍なのか」

「あ、はい。ヴェーラとはニコイチなんです」

「ベッキーで良いよ」

「ちょっとヴェーラ、どうしてあなたが私の呼び方を決めてるの」


 レベッカは眼鏡の位置を直しながら抗議した。その夫婦漫才のような様子を見て、カティは思わず表情を緩めてしまう。その変化を見逃すヴェーラではない。


「笑った!」

「わ、笑ってなんていない!」


 カティは仏頂面に戻そうとして失敗する。レベッカのレンズ越しの視線に圧倒されていたからだ。


「ほら笑ったー。やっぱり美人さんじゃないかー」

「な、なにを言い出す」

「ムスっとしてるより、その表情の方がいいよぉ。わたしは好きだなー!」

「ば、ばかっ、意味が分からない」


 カティは激しく動揺して、ヴェーラの手を振り払った。とにかくカティは、他人とこんなに近距離で接したことがない。少なくともこの十年間では記憶になかった。だから自然と挙動も不審になるというものだ。


「カティさん、私もその表情の方が良いと思います」


 今度はレベッカがカティの手を取った。カティの逃げ出したい欲求が、限界まで高まる。


「さん付けはちょっと、いや、でも、呼び捨ては……」

「カティ、ねぇ」


 構わず呼び捨てにするヴェーラ。カティはグッと息を飲む。


「何聴いてたの?」

「えっ?」

A856それで何聴いてたの?」

「べ、別にどうってものでも」


 と答えているうちに、ヴェーラは立ち上がり、カティの首から下げられているその端末を覗き込んでいた。A856は今時珍しいディスプレイ内蔵型で、そのモノトーンのディスプレイに再生している曲名が表示されるようになっている。


「へぇ! こんなの聴くんだ!」

「い、良いだろ、別に!」


 カティは慌ててA856を握り締め、ヴェーラから隔離する。ヴェーラは「にひひ」と笑う。


「それ、百年くらい昔のラヴソングだよね!」

「だ、だからっ」


 カティの白い頬が真っ赤に染まる。見開いた眼は、これ以上ないというほどの狼狽を物語っていた。


「そういうのが好きなんだ?」

「そんなの、いいだろ、どうでも」


 妙な倒置法で返すカティを見て、レベッカが額に手を当てて首を振った。


 まただよ……。


 レベッカは心の中で呆れる。こんな怖そうな人でもあっという間に無力化してしまうだなんて、ヴェーラはなんて恐ろしい親友なのだろうかと。


 レベッカの心の溜息をよそに、ヴェーラはカティの両手を掴んでぶんぶんと振っていた。カティはもうされるがままである。


「わたしは好きだよ、ラヴソング。まだ恋とか、たぶんよくは理解わかってないけど」


 真面目な表情で、やや目を伏せて言うヴェーラのその神秘的な様子に、カティは確かに目を奪われた。ヴェーラはそのプラチナブロンドの長い髪も相俟って、本当に天使が具現化したのではないかというほどに美しい少女なのだ。


「ラヴソングって、作った人の哀しさとか、苦しさとか、喜びとか……そんな経験がごちゃまぜになってると思うんだよね。楽しさだけじゃない。辛さだけじゃない。ラヴソングって、作った人の顔が、すごく立体的に見えてくる気がするんだよ」


 独特な表現で語るヴェーラに、カティは「お、おう」と頷くしかできない。


 ヴェーラとレベッカにとって、『音』というのは映像だった。二人は特殊な感性――と言っても良いかもしれないが――の持ち主で、『音』が色や匂い、場合によっては映像に見える。とにかく常人の何十倍もの情報量を持つものとして処理することができる。だから二人の少女にとって、『音』というのは、ましてそれが体系的に複雑に組み合わされた『音楽』というものは、とても重要なキーワードだった。


「歌が好きなんだね、カティは」

「どうしてわかる」

「このラヴソングに辿り着いて、そして聴いてるってことは、かなりの音楽情報通だってことだもん」


 ヴェーラの迷いのない断定に、カティはまた言葉に詰まった。それは事実だったからだ。


「……独りになるのが好きだからな」


 だから音楽を聴くことで、周囲から隔絶されていようとしている。


 その言葉を受けて、ヴェーラは何度か頷いた。カティはその意味が分からず首を傾げる。


「カティは人づきあいが苦手なんだね」

「……だろうな。って、なんでアタシは初対面のお前相手にこんなことまで喋らされてるんだ」


 我に返ったカティは、左手首の時計を確認した。


「今日はここまでだ。本を返さなければならない」

「えーっ」

「えーも何もない。図書室で調べ物もしなけりゃならない。徹夜は勘弁だ」

 

 レベッカは売店の傍にある大きなデジタル時計を見て、ヴェーラの肩に触れた。返却手続き窓口の閉鎖時間が迫っていた。


「ということよ、ヴェーラ。困らせちゃダメよ」

「だってさぁ、せっかくぅ」

「だってもなにもありません。ヴェーラ、行くわよ」


 レベッカはヴェーラの腕を引っ張った。が、ヴェーラは動かない。


「そうだ、せっかくだから図書室について――」

「あ、明日も一緒の講義があるだろ」


 ついてこられてはたまらないと、カティはヴェーラの発言に被せるようにして言った。ヴェーラは「我が意を得たり」とニヤリと笑い、サッと右手を上げた。


「じゃぁ、まだお話しよう!」

「お、おう……」


 勢いに押されて思わず了解してしまうカティであった。そして次の瞬間、その自身の失策に気付き、顔に手を当てて頭を振った。が、その手に隠された表情がどこか楽しそうだったのを、ヴェーラとレベッカは見逃さなかった。


「そ、それじゃ、明日な」


 カティは逃げるように背を向ける。ヴェーラは周囲の目も気にせず、ぶんぶんと右手を振った。


「またねー!」


 カティは振り向きもせずに右手を上げて去って行った。ヴェーラはその姿が見えなくなるまで手を振り続け、そして呟いた。


「かっこいいなぁ……!」

「そうね」


 レベッカも同意する。二人が接してきた大人や学生に、あそこまで芯の通った人物は早々見当たらない。そして二人はまた、カティの中にあるに薄々気が付いていた。普通の人ではまずありえないが、カティの中に朧げに見えていたのだ。


「それにしても、ヴェーラ」

「んー?」


 二人は手を繋いで寮に近い出口へと向かって歩き出す。レベッカはやれやれと頭を振りながら言う。


「あなたのあれ、才能よね……」

「なにがぁ?」


 ヴェーラはどこまでも自由奔放であった。

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