教室の片隅にて

 レベッカたちは揃って講義室の最前列へと移動した。レベッカは教壇に立ち、電子黒板を使って今の講義の要点を的確にまとめていく。ヴェーラは生返事をしながらその様子を眺め、時々鋭い質問をしてはレベッカを困らせた。しかしレベッカも負けてはおらず、教授以上に難易度の高い問い掛けをヴェーラに繰り出しては、ひそかに勝ち誇ったりしていた。


 レベッカがサマライズを始めてから十五分が経った頃、ヴェーラは盛大に伸びをした。程よく眠気が到来したので、身体を目覚めさせようとヒョイと立ち上がって身体をぐるぐると回して――。


「あれ?」


 その時、ヴェーラの視界の隅に真っ赤な何かが写り込んだ。講義室の最後列に、炎のような真っ赤な髪の女子が座っていた。彼女はヘッドフォンで何かを聞きながら、を読んでいた。ヴェーラは一瞬で、その鋭利な雰囲気の女子に心を捕らわれた。ヴェーラは誰もが認める絶世の美少女ではあったが、この赤毛の少女は、まるで豹か何かのようなしなやかな獣性を秘めた美しさの持ち主だった。その燃えるような赤毛はもちろん、鋭い輝きを放つ深い紺色の瞳は、全ての光を吸い込んでしまうのではないかと思えるほどに深かった。ヴェーラを引き付けたのはその容姿だけではない。雰囲気――周囲全てを一切拒否しているようなオーラが、ヴェーラの目を釘付けにしていた。


「ヴェーラ何してんの。ちゃんと……ってどうしたの?」

「え、ん、ううん、別に」


 明らかに動揺しているヴェーラの視線を追って、レベッカもその女子に気が付いた。


「え……と?」


 記憶にない顔だった。ヴェーラもレベッカも、一度見聞きしたものは忘れないという特殊な記憶力を持っている。その二人が覚えていないのだから、実際に初めて見る顔なのだろう。


 事情通の女子が、その赤毛の女子をチラチラと見ながら言った。


「昨日だったかな、ユーメラの士官学校から転校してきたみたいだよ」

「なるほど、それなら知らないわけだ」


 ヴェーラは納得しながらも、赤毛のその人から目を離せない。その事情通の女子は、少し早口で情報を追加した。


「あ、でもいきなり評判悪いよ。挨拶もろくにしないし、不愛想だしって。上級高等部からはもう目を付けられたとかいう噂だよ」

「噂はどうでもいいんだけど」


 ヴェーラは無関心を装ってその事情通の言葉を中断させた。


「わたし、興味が湧いた」

「え、ちょっとヴェーラ。まだ途中なんだけど」

「続けてていいよ」

「ちょっと! もう、勝手なんだから!」


 レベッカの怒りの声も、ヴェーラの背中には届かない。ヴェーラはずんずんとその赤毛の女子の方へと近付いた。そしていざ声を掛けようというタイミングで、その女子はガタンと音を立てて立ち上がり、カバンを担いで足早にヴェーラの前を通り過ぎようとした。


「待って、赤毛さん」


 声を掛けられ、その女子は溜息をついて立ち止まった。ヘッドフォンは着けたままだ。


「何の用だ」

「わたし、あなたに興味が湧いたの」

「……なぜ?」

「興味が湧くのに理由がいる?」


 ヴェーラはその蒼い瞳でまっすぐに赤毛の少女を見上げる。


「……アタシと関わってもロクな事がないぞ」

「赤毛さん」

「カティだ。カティ・メラルティン」

「あ、うん。カティ、あのね」

「いきなり呼び捨てか」


 赤毛の少女――カティは知らず苦笑していた。そしてそれに自分で気が付いて、慌てていつもの仏頂面に戻す。


「わたしのことはヴェーラでいいよ。よろしく」

「……よろしくされるとは言ってない」

「どうして?」


 どうして?


 カティはその問いに驚いた。この流れなら、普通は「あ、こいつはヤバイ奴だから距離を置こう」となるものじゃないか。そして二度と話しかけてなんて来ないはずじゃないのか、と。


 だが、目の前にいるこの美少女は、何の疑いもなく、その疑問文を口にしている。こんな人物に出会ったのは初めてだった。


「で、ロクな事がないって言ってたけどね。それを決めるのはわたしたち自身だよ。カティが決めることじゃないと思うよ」

「えっと……?」

「だから、よろしくね」

「……ところで、もう行っていいか?」


 カティはやや狼狽うろたえながらも、それでもなんとか自分の対人防壁を守り切った。


「手ごわいね」


 ヴェーラはにっこりと微笑んで見せた。カティはぐっと喉を鳴らして仰け反ったが、それでも折れることはなく、カバンを担ぎ直すと速足で講義室を出て行った。ヴェーラはぽりぽりと後頭部あたりを掻きつつ、レベッカの方を振り返る。レベッカや他の女子たちは、ヴェーラとカティの遣り取りを見守っていたようで、何事も起きなかったことに安堵の表情を浮かべていた。


 ヴェーラは「ふられちゃった」と言いながら元の席に座り、レベッカに講義の続きを促した。


 レベッカのサマライズはそれから十五分程度で終わった。教授に代わって講義すればいいのにとヴェーラは思ったが、その後のやりとりがなんだかテンプレっぽくなりそうだったので面倒になって口にしなかった。


「さて、と」


 女子たちが一足先に講義室から出て行ったのを確認して、ヴェーラは立ち上がって軽く屈伸をする。今日はさっきの講義で最後であり、あとは寮に帰るだけだった。ヴェーラはレベッカの方へ顔を向けて首を傾げた。


「気になる、よね?」

「べ、べつに?」


 レベッカはその質問の意図を察すると同時に、両手を振って否定した。だが、ヴェーラはその表情の奥を読み取っていた。


「……気になってんじゃん」

「なってないわよ。明日だって同じ講義受けるんじゃない?」

「やっぱり気に」

「なってないってば!」

「それじゃぁ探しに行こう!」

「え、ちょっと、私の話聞いてた!?」


 ヴェーラはいつもこんな調子だ。誰もがこうして強引にペースに乗せられてしまうのだ。しかしレベッカは、なんだかんだで乗せられてしまう自分がそれほど嫌いでもない。ヴェーラが暴走し、レベッカがブレーキを掛ける。二人はいつしかそんな具合に互いをにしていた。だが、レベッカが踏んだブレーキがヴェーラを止められた前例は今の所、ない。


「んじゃ行くよ、ベッキー」

「ちょっと、探すって言ったってどこを探すのよ? もう帰っちゃったかもしれないじゃない」


 講義は全て終わっているのだ。多くの学生は寮に帰っていることだろうし。


「帰ってないんじゃないかなー」

「何を根拠に……」

「紙の本持ってたんだよね、カティは」

「カティって人なんだ?」

「カティ・メラルティンって」


 ヴェーラはカティの鋭利な表情を思い出しながら言う。レベッカは未だ釈然としていない。二人は荷物をまとめると、講義室から出た。


「紙の本って言ったって、図書室とは限らないじゃない」

紙媒体ペーパーメディアの書籍って、基本的には学校からは持ち出しできないでしょ。だからどこかで読んでると思うんだよね、図書室とか食堂とかで」


 さしあたってヴェーラが向かっているのは図書室だ。学校から出る前に、絶対に一度は寄るはずだからだ。ヴェーラは図書室に顔を出すなり、傍にいた女性司書の一人に訊いた。


「すみませーん、赤毛の学生さん来ませんでした?」


 声を掛けてきたのが小さな少女だったことに驚いて、司書は目を見開いた。


「ひょっとして、あなたがヴェーラ・グリエールさん?」

「そうですー」


 ニコニコとヴェーラは肯定する。そして司書は後ろに立っていたレベッカにも声を掛けた。


「とすると、そちらはレベッカ・アーメリングさんですね」

「はい。すみません、なんか……」

「いえいえ」


 司書はにこやかにそう言ってから、「あ、そうだ」と最初に受けた質問を思い出す。


「赤毛の背の高い女の子のことですよね」

「そうそう。すごく背が高い」

「まだ返しに来てませんねぇ」


 司書はデスクの方に戻って、一応返却履歴を確認してくれた。が、やはりヒットしていないらしい。


「昨日編入してきたみたいですけど、何か気になることでも?」

「ううん、探してるだけ」


 ヴェーラは「そっかー」とか呟いてレベッカを見た。


「その辺探して来よう」

「えーっ、ここで待っていればいいじゃない」

「待ってるのつまんないし」

 

 ヴェーラはそう言うと、鼻歌交じりに図書室を出て行ってしまった。


「あ、ちょっと待ってよ!」


 レベッカは司書に頭を下げつつ、親友の後ろ姿を追った。司書はその少女たちが見えなくなるまで出入り口の方を眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。


「あの子たちが……」


 経緯は全く知らないが、とにかく特例尽くしで編入されてきた少女たちだ。そもそも士官学校に十歳そこそこくらいの子どもが二人も同時に編入されてくる時点で、違和感しかない。一介の司書に過ぎない彼女にも、そのくらいはわかった。


「そ、あの子たちがかの有名な天才少女たちだよ」


 司書の背後、貸出カウンターに一人の若い将校が立っていた。軍服を着てはいたが、ひょろりとした体型で、おおよそ軍人らしくない。ぼんやりと色の抜けた黒髪と、同じような色の目をした、これといった特徴のない風貌の青年だった。


「あら、ブルクハルト中尉、久しぶりです」

「たまには古典技術書でも読もうかとね」


 カウンターの上には、分厚い技術書が三冊、置かれていた。


「校舎外への持ち出しは出来ませんよ?」

「研究室で読むからさ」

「返却予定は?」

「明後日くらいでいいんじゃないかな?」

「……その量を?」

「一冊二時間もあれば読み終わるでしょ」


 ブルクハルトは何でもない事のように言ったが、その書籍はそれぞれちょっとした辞書のような厚さがある。二時間で読み終われる代物とはとても思えなかった。


「僕は読むのが早いからさ」


 ブルクハルトはさらりと自慢すると、書籍を持参してきた紙袋の中に丁寧にしまった。


「それじゃ、また明後日」


 ブルクハルトは右手を上げて軽く振ると、珍妙な鼻歌を歌いながら立ち去った。


「さすが技術士官。変人だわ……」


 司書はそんな具合に、偏見に満ちた呟きを発したのだった。だが、ブルクハルトへの評価としては、それは至極真っ当なものだったかもしれない。

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