#44 虹浦セイルと意思を継ぐ者

 イデアルフロート、エリア6。

 高さ250メートルで五十階建ての高級ホテルのスイートルームに女は泊まっていた。

 女は元芸能人である。

 去年の年末を機に引退を発表。

 人気元アイドルの電撃引退は世間を騒がせた。

 逃げるようにこの島へやって来たまではいいが、突然イデアルフロートのFREESなる警察組織により、港や空港が封鎖され行動まで制限されてしまった。

 一月四日。島の外縁を何気なく通ると何か大きな爆発でもあったかのようなく跡をいくつも発見する。それについてホテルのフロントに聞けば大規模なSVによる演習とのことだが、街も近くにあり限度を超えた数に思えた。

 十二月の三十一日から年明けての三が日は一歩も外へ出ず、外部からの情報の一切を遮断して引きこもっていた。

 かつての仲間がくれたヒーローロボットアニメの映像ディスクを、寝ずに全話ノンストップで見ていたからである。


「……マネージャー怒っているだろうな」

 ズボンのポケットからスマホを取り出し画面を開く。

 今日も朝から数十件も着信の不在通知が来ている。メールも複数件あった。


『セイルちゃん、考え直してくれないか? 歌手としての虹浦セイルが出来ないのはしょうがない。だけど、君には……虹浦セイルにはまだまだやってもらわなければ困る! それが社長との約束だったはずだろう。お願いだ、帰ってきてくれ』

 必死さの伝わる文面、まだまだ内容は続くがセイルと呼ばれた女は残りを読まず直ぐにメールを削除した。


「ごめんなさい」

 スマホをソファーに投げてセイルはベランダの窓ガラスから外を見る。昼間だというのに薄暗い曇天の空が広り、まるで今のセイルの心そのものである。

 あの時から自分を偽り、世間を欺いて芸能活動をしてきたが限界だった。

 このままでは虹浦セイルの経歴にキズを付けてしまう、と恐ろしくなってしまったのだ。


「一体、自分はどうしたらいいんだ……教えてくれセイル」

 項垂れスマホの待受画面に向かって呟く。

 まるで双子のようによく似た顔の少女が二人。髪をツインテールにした明るそうな少女と、髪の短いボーイッシュな雰囲気で右頬に傷のある少女が仲良さそうに写っている。これは十数年前の全国ライブツアー中に撮影した画像だ。

 笑顔の眩しいツインテール少女は既に亡くなっている。

 原因は事故や病気ではなく寿命。

 この少女こそが本当の虹浦セイル本人であった。

 正確に言えば虹浦星流は自分だが“アイドルとしての”虹浦セイルは自分ではない。


「……イデアルフロート、IDEAL…………駄目だ。もう戦わないとセイルと誓ったじゃないか」

 では、これから生きる目標とは何かと問われれば何もない。

 彼女と出会って自分自身の存在を考え、彼女を守るのために生きると決めたはずだった。

 息を引き取る前、彼女にこう言われたのだ。


 ──自分の好きなように生きて。


 その言葉を残して彼女は、この世を去ったほ。

 女は目の前が真っ暗になった。。

 自分の前で道を照らす者が消え、これから何処に向かえばいいのかわからなくなってしまった。

 何をトチ狂ったのか自分が虹浦セイルに成り代わろうとしたのは完全に間違いだった。

 言い訳を重ね、馴れない歌や演技を見よう見まねで行ったのが思いの外、成功してしまったのが逆に泥沼化の始まりである。

 世間はイメージチェンジと好意的に受け取ってくれたが、こちら側からすれば手応えを全く感じていない。

 所詮は本物の真似事で、いつ正体がバレてしまうか常に緊張状態で心が磨り減るばかりだ。


 そして、今に至る。


「……セイルと初めてあったのもここだったか」

 元々は軍事施設だった島が民間化され人が住む海上都市になった、ここイデアルフロートだが良い噂は聞かない。

 それなのに来た理由の一つは仕事で貰った乗船チケットの期限が近く、もったいなかったというのもある。

 趣味で集めている缶詰めの限定ショップで好きなだけ買い漁ったので、もうこの島に用はない。しかし、帰る場所もない。

 十代の頃、中東でホテル暮らしをしていたこともあったが、今いる豪華な部屋では落ち着かなかった。


「どっちにしろ、出るしかないか」

 思い立ったが吉日。直ぐにチェックアウトを済ませて外に出る。

 その足でもう一度だけ港へ向かい、どうにか出せる船は無いか交渉してみる。最悪、ボートだけでも借りれたら良いのだ。



「いん、せき……ってあの隕石が?」

「そうなんだよ。今日も破片が周辺の海に落下して危ないらしいから出るなとさ…………一応、まだ一部の奴にしか伝えられてない秘密のことだから、俺が話したってのは内緒な?」

 エリア8の漁港で船乗りの男に話を聞くと、驚くべきことを告げられた。

 公にはまだなっていないが地球に巨大隕石が接近中で、その欠片の一部が本体よりも先に地球へ落ちてきているらしい。


「だから、どこも船を出せないのか」

「芸能人のお姉さんの頼みは聞きたいんだけどね、目をつけられるのは嫌だから勘弁してくれ。それはそうと握手してくれないか? 実はファンなんだ」

「あ、あぁ……わかった、どうも。ありがとうございました」

 固く握手をしてをして漁港を後にする。そうなると残すは一般人立ち入り禁止のエリア9か軍事施設のエリア2のどちらかだが、出来れば危険な賭けなどに出たくはない。


(……そうだ、自分はもう軍人じゃない。あの時のように出来るわけないんだ)


 いつの間にかやって来たエリア9を仕切っているコンクリートの高い塀を見つめる。

 若い頃ならこれぐらいは余裕で昇れたはずだ。

 今は同じ年代の女性と比べれば動けると思うが、全盛期と比べれば流石に鈍っていると感じることは多々ある。

 諦めて近場の宿にでも泊まろうと思っていたその時、塀の向こう側へ通じる扉の中から一人の子供が現れた。

 

「そこの女、ホールドアップだァ!」

 空の水鉄砲の引き金を何度も引く白衣を着た奇妙な子供。怪しみながら睨むようにして全身を舐めるように見詰めると急に表情が変わった。


「アッー!? もしかして、歌って戦うティーンアイドルの元祖! 伝説の歌姫、虹浦アイルの娘! 虹浦セイルちゃんなのではァ?!」

 目を輝かせテンション高く叫ぶ白衣の子供。


「自分の……いや、私のこと知ってるの?」

「そりゃもちろんボクは虹浦セイルの大ファンだからァ! 名曲エンジェル・パルスは毎日聞いてるさァ。あっ、手帳にサインちょうだいなァ。シアラちゃんへって」

 白衣の子供こと、シアラから手帳とペンを受け取りサインをした。


「ん…………うーん………………ところで何かお困りかなァ? さっきから壁を睨んでうんうん唸ってたがァ……そこの警備員さんも怪しんでるのよさァ」

「あぁ、それがね」

 かくかく然々、事情を説明する。


「なんだァ、島を出たいなら任せてよ。特別に聞いてみたげるさァ」

 シアラは何処かへ電話を掛けて何やら話を通してくれた。


「じゃ、着いてきなァ。ピッタリのを用意させたからァ」

 そう言ってシアラはエリア9の塀の中へ入るよう促す。

 言われるがまま後を着いていくが、シアラを見ていると頭の奥で何か嫌な思い出が呼び起こされる気がしてならない。

 工場のような建物が並び、SVと装甲者が横を通過する道を駆け足で進んでいく。


「大丈夫さァ。ボクはここの人間だから怒られる心配はナッシングだァ」

「あぁ……うん、ちょっと頭が痛いだけだから」

 シアラの独特なイントネーションの喋り方を聞いていると、封印していた物がうっすらとチラついて仕方がない。

 数分後、軍艦の並ぶ港の浜辺で一機のSVが鎮座していた。

 約5メートルほどで一般的なSVにしては半分ぐらい小さなサイズで、カエルのような丸い見た目に背中や手足にスクリューが付いている。


「ウチの試作機。水陸両用の可変型、名は《トード》だァ! 人型からお船にモードチェンジ可能な役立たずだけどプレゼントフォーユーさァ!」

「いいのかな、いきなりこんなもの貰っちゃって」

「いいのいいの、型落ち商品だからァ。虹浦星流なら簡単に乗りこなせるはずだァ」

「お世辞はいいよ」

 荷物を押し込み、さっそく乗ってみる。バイクのように跨がる形で操作するタイプのコクピットで中はかなり狭さを感じる。変わった操作感覚だが直ぐに慣れた。


『ゆっくり体を倒すんだァ!』

 通信機からシアラに指示されながら機体を脚まで海に浸からせ変形スイッチを押す。手足がボディに収まった《トード》は楕円形なボートの形になった。


『本当にアイドル止めちゃうのかァ?』

 寂しそうな声でシアラが聞く。


「残念だけど決めたことだからね。悲しまないで」

『そっかァ、そりゃつれぇよなァ……代用品だからさァ』

「…………ん? 今なんて言ったの?」

『気持ちは分からんでもないなァ、ボクだってそうだァ。でもボクと違って貴方はオリジナルの虹浦星流。でも本来なら貴方が虹浦セイルとしてアイドルの人生を歩むはずだったのに……』

 シアラは同情した。


「何が、言いたいの?」

『本物が偽物を演じるってつれぇでしょうがァ。ん、逆? んまーどっちでもいいんだぁ。ボクが言いたいのはね、生きてる人間は死んだ人間の意思を継がなきゃってことなんだなァ。だから、虹浦星流も虹浦セイルとして頑張らなきゃァ?』

 語気を荒げて喋るシアラがだんだん怖くなり、アクセルを握り締めて急ぎ《トード》を発進させる。とにかく遠くへ、通信が届かない場所まで走らせる。


『じゃあ、またね……ユングフラウ』

 それがシアラからの最後の言葉だ。


「お前が…………その名前で、呼ぶな……っ!」

 ユングフラウは海の真ん中で、しばらく動くことが出来なかった。

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