008 セイレーン

80.06/早川書房

82.05/ハヤカワ文庫


【評】うな(゚◎゚)


● 拙く熱い魂を感じる処女SF作品集


 栗本薫はじめてのSF単行本である本作。と云っても、後述の『ケンタウロスの子守唄』などがSFマガジンに掲載されたのが先なので、初のSF作品というわけでもない。

 ともあれ、当時SFマガジンの編集長だった今岡清くんが、「SFなんて無理よ」とおびえる薫をだましだましに書かせ、おいしく原稿を頂戴した、そんな一連の初期SF作品です。今岡くんは薫先生本人をもおいしくいただいたわけですが、そういう下世話な話はあとにまわすとして。

 収録作は『セイレーン』と『Run with the Wolf』の中編二作。



『セイレーン』

 西暦二五八六年、あるスペースマン(という単語のなんと古さ懐かしさよ!)が宇宙でなぞの女の歌声を聞き、それを長年追い求めていく。

 一方、一九七八年の日本では、突如としてあらわれた新人歌手セーラが未曾有の大ヒットを記録し、人々はなにかにとりつかれたようにセーラを崇拝していく……

 現代日本と遠未来の宇宙とが、セイレーンの魔女によってつながっていく話……ではあるのだが、正直、つながってねええええええ! 未来の部分いらねえええええええ!

 テレビ局のADを語り部に、あらゆる詳細が不明な十代の少女歌手が芸能界をのしあがっていく様子は、その不気味さと神聖さとテレビ時代の軽薄さとが絶妙に交じり合い、「現代の巫女」としての歌手の姿をうまく描いている。

 具体的になにをしているわけでもないが、なにかが起きる予兆を感じる描写は栗本薫の十八番とも云えるもの。

 現代で描かれた因が遠未来で果として結ばれる……のならば見事な話だが、なんか謎の魔女が何千年も主人公を追いかけまわしていたという、何で追っかけているのか理由のまったくわからないオチになっているので、まったく釈然としない。

 いや、あるいは聞くものすべてにそう思わせる、という話なのかも知れないが、それだと未来の話が意味不明になるし、要するにわけわかんないです。

 雰囲気は悪くないんだけど、本当に雰囲気しかない。ある意味、栗本薫のSFを象徴するような話ではあるのかもしれない。

 それにしても、作中でセーラのデビュー曲の売上が三百万枚から四百万枚、場合によってはそれ以上、ということで異常さを強調していたが、これは今となってはちょっと虚しいというか……。まあ、この小説から二十年後、デビューしてすぐにアルバムを七百万枚以上売り上げる歌手があらわれて、それでも別になにも日本も音楽業界も変わらないなんて、予想できるはずないから仕方がないよね……

 ともあれ、この作品自体は新人が書いた、という点においては評価できる、というかこの後が期待できる一品ではあるが、いまとなってわざわざ読む価値があるのかと云うと、まったくもってないと云わざるを得ない、微妙な作品だ。



『Run with the Wolf』

 こちらの方も、完成度という点では数多ある国産SFの名作佳作の中で、敢えてとりあげる必要のある作品ではないだろう。が、こちらの方は新人らしい肩に力の入った、青臭い力作であり、自分はいまでもけっこう好きである。

 二十世紀、世界中で次々と異形の子供、デヴィル・チャイルドが生まれ、人々はデヴィル・チャイルド狩りを開始し、やがて巨大な壁をつくってその向こうへと姿を消す。デヴィル・チャイルドだけが生きる荒野の日本に取り残された海兵ルーと田村老人は壁を目指して歩きつづけるが、その最中にあまりにも巨大なデヴィル・チャイルド、モンスターベビーに出会い、かれらに対して理解を深めていく……という話。

 種とはなにか? その行く先とは? 進化とは? かつてSF界の巨匠達が幾度も挑んだ壮大なテーマに、若くして挑もうという気概がまず嬉しい。

 小松左京はおなじような頁数で壮大な名作『神への長い道』をものしたが、しかし生来の饒舌体というか冗長文体の栗本薫が、こんな壮大なテーマをこの頁数でおさめられるかというと、もちろんそんなことはなかった。

 廃墟と化した日本からはじまる語り口こそひきこまれるが、肝心のデヴィル・チャイルドやモンスターベビーの奇妙さや魅力に関しては薄口でありがちの域を出ておらず、クリーチャー好きとしてはまったく物足りない。

 テーマに関する部分も、登場人物の一人の、データもなにもない牽強付会にすぎる強引な屁理屈――というか、もはやうわごとに近いしゃべくりだけに終始され、説得力はまるでない。もちろん斬新さとかもまったくない。

 じゃあ駄作なのかと云うと、なぜか心を打つ作品ではあるのだから困ったものだ。


 そうだ――われわれは、そうとしか、できなかった。

 愚かしく、むなしく、小さく――だが、こうとしかあれなかった。

 こうさだめられ、そのままにそう在り、そして滅びまでを生きるのだ。

 わるくない――それもまたわるくはない。


 この数行からはじまるラスト。この希望と絶望とがともにあり、美しさをすら感じさせる終わり方は、妙に力強く感動的だ。先に挙げた名作『神への長い道』は生への力強さに満ちた終わりを見せるが、それ似て非なる感動を今作は与えてくれる。

 この感動がなにに起因するのかと云えば、それは「若さへのまばゆさ」としか云いようがない。その繊細さも大仰さも前向きも、すべて若さゆえだ。

 だからこそ、これぞSFだ、と思う。SFとはかつて若者のつくりあげた文化であり、若者の武器であった。少なくとも、この作品が発表された当時はそうであったろう。

 若き栗本薫が、そのつたなさや無知無謀を恥らうことなく、己のSFという武器をふりあげた。今作はそういう作品であり、だからこそ完成度こそ低くとも力強く感動的なのだ。ファンとしては愛さずにはいられない。

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