「い、委員長? 何してるんですか?」

「あ、五行くん。おはよう」

 体を小さく丸め込んで、存在感を消すように体育座りしていた彼女を見咎める人はいなかったらしい。

「私、緊張して早く着いちゃって。このままいたら五行くんにまた気を使わせちゃうな、と思ったんだけど、今更帰るわけにもいかないし。それに周りを見てたら、私の格好って浮いてないかなって思って」

 どうやらまた落ち込みモードに入ってしまったらしい。制服姿しか見たことがなかった委員長も今日は当然私服なわけで。黒のワンピースが背の高い彼女をさらにスタイルよく見せている。

「そんなことないですよ。とっても似合ってます」

「……本当?」

「本当ですって。ほら、早く行きましょう」

 僕は笑って彼女の手を取る。やっぱり少しも持ち上がる気配はない。でも委員長自身が自分の力で立ち上がるまで、僕は手を引き続けるのだ。

「いつもいつもゴメンね」

 見下ろしていた顔が一気に頭上へと上っていくのを見ると、やっぱり羨ましいと思ってしまう。委員長は僕のことを眼下に見ながら、きっと同じことを思っているのだろう。

 急に周りの視線がこちらに集まってくる。

「背高いね、あの人。スタイルいいし、モデルさん?」

「よく見たら隣の女の子も可愛い」

「おい、ちょっと声かけてみようぜ」

 うーん、なんだかクラスにいるみたいな空気がする。これはなんというか、騒動が起こる前触れのような。

「委員長、ちょっと急ぎましょう」

 握ったままの手を強めに引く。

「え? どうして?」

 わからない、という委員長の目は大きく見開いていたけれど、今は無視させてもらった。走り出したせいで余計に目立ってしまったけれど、そんなことは今更だ。

 先入観のせいで人とうまく付き合えない。委員長はそう言っていたけど、僕も知らず知らずのうちに委員長に勝手なイメージを持っていたのかもしれない。学校での姿を知らない人達にとって、雨宮瀬里という人間は美しい姿をした女の子でしかないのだ。

 都合よく二人分の席を確保して並んで座った僕らは、じわりと額に浮かんだ汗を拭って一息つく。さすがに追ってくる人はいなかったようだけど、ここでも周りからの視線が刺さっているように感じる。

「どうしたの、五行くん?」

「いえ、僕たち目立ってるなと思って」

「しょうがないよね、五行くんって可愛いから」

 そう言いながら、委員長は僕の頭を撫でる。生徒に見られる心配もないからか、あまり遠慮がない。それを見た乗客の一部から小さな歓声が上がるけど、それが自分に向けられたものだと委員長はつゆとも思っていないらしい。

「いえ、委員長もなんですけど」

「やっぱり根暗そうとか、デカくて悪目立ちしてるかなぁ……」

 そういうわけじゃないんですけど。委員長が美人だからなんて言っても少しも信じてもらえなさそうだ。

「カップルとかと思われてるんですかね?」

 無難な答えで話題を逸らす。委員長はちょっと考えた後、僕に向かって満面の笑みを見せた。

「たぶん女の子同士だと思われてるんじゃないかな? もしかしたら姉妹かも」

 そうですか。そんなに中性的な服を着ているつもりはないんだけど。下は飾り気のないデニムだし、上も七分丈の薄い紫のワイシャツだ。お出かけにしてはラフすぎるかもしれないけど、今日は散策するわけだし。

「可愛い子を連れてると、こんなに違うんだ。なんだか楽しい」

 すっかり委員長の機嫌は直ったみたいで。これならもう落ち込みモードに入ることもないだろう。僕はまた小さな心の傷を増やしたけど、今回はいいことにしよう。

 遊園地、カラオケ、ボウリング。色々なアミューズメントが増えた時代だけど、自然公園にもそれなりに人は集まっていた。土曜日ということもあって家族連れが多いみたい。普段は人工的な道路やビルに囲まれて生活している僕達にとって、一面に広がる芝生はすぐにでも転がりたくなるような魔力を持っている。あちこちに花壇があって、きちんと剪定された木々が並んでいると、それだけで吸い込む空気が何倍も価値あるもののように思えてくる。

「心が落ち着きますね」

「そうだねぇ」

 木陰のベンチに二人並んで深呼吸。上がってきた気温がむしろ心地いいほどでまどろんでしまいそう。

「お昼ご飯は有機野菜を使ったビュッフェがあるらしいから、そこにしよっか」

「そうですね。まだちょっと時間があるけど」

 いつの間にかベンチと一体化してしまったみたいだ。僕の体はどんどん軽くなっていくのに、自由はなくなってしまう。目は開いているのにどこを見ているのか自分でもわからなくなってしまいそうだ。

「お疲れだね、五行くん。でもちょっと頑張って、もっと癒し空間に行こう」

 駅とは逆に委員長が僕の手を引く。簡単に僕の体は立ち上がってしまって、委員長は少し不満そうだ。

「当然だけどやっぱり軽いよね、ずるいなぁ」

 フォローの言葉も見つかるわけがない。乾いた愛想笑いを浮かべて、僕は手を繋いだまま引かれるがままに委員長に従った。

 遊歩道を二人並んで歩いていく。一応山には分類されるけど、それほど高くも険しくもないから登るのはお手軽だ。すれ違う人達も同じように軽装でフィトンチットをこれでもかと吸い込んでいる。

「この先に植物園があるらしいの。ビニールハウスとかじゃなくて、自然そのままの」

 委員長はさっきまでよりさらに楽しそうな表情でそう言った。

「好きなんですか、植物園?」

「うーん、植物園が、ってわけじゃないけど、本を読んだ後って実物が見たくなるの。動物系なら動物園だし、法律系なら裁判傍聴に行ってみたり」

「科学部もそのために?」

「まぁそうかな。本だけ読んでわかった風になるのって一番もったいないと思うの。せっかく知ったんなら実際に試してみないとね」

 そう思わない? と委員長は僕の顔を覗き込む。普段演じているクールな姿なんて微塵も残っていない。高校生よりもさらに幼い女の子の表情だ。

「そうですね」

 つい言葉に詰まってしまう。きっと委員長は学校でもこんな顔をしたくてしょうがないんだろう。でもそれが出来ない。誰かに言われたわけでも強要されているわけでもない。きっと受け入れてくれる人だっているはずだ。それでも彼女自身が怖くてそれが出来ないのだ。

 脇道が現れて、看板には『植物園はこちら』と書かれてある。ちょっと覗いた先には丁寧に区画された花が咲いているのが見えた。奥まった先は地面も土のままで委員長の言ったとおり、自然そのままを重視しているみたいだった。わくわくする心を二人で共有して、進もうとした瞬間、後ろからまさかと思える声がかかった。

「あれ、七海。偶然ね」

 武道の達人でもなかなか出来ないであろう神速の振り返り。その先には今朝ちゃんと振り切ったはずのなずなの姿があった。幻覚でも偽者でもない、本物がそこにいる。

「な、なず、なんでここに?」

「たまには気分を変えて遠出したいときもあるのよ」

 朝、家の周りをウロウロとしていたはずなのによく言うよ。と心の中では言ってみるが、いったいどうやってついてきたのか、全く気付かなかった。

「本当に偶然ね、香取さん」

「あら、雨宮先輩と一緒だったんですか? 七海も隅におけないわね」

 今初めて知りました、という嘘くさい顔をして驚いたように口元を覆う。なずなは委員長と仲良くしたいと言っていたけど、妙に張り合うというか、攻撃的な気がしてならないのだけれど。

「五行くんとは幼馴染なんだっけ? 今日はお借りして悪いわね」

「いえいえ、そんな。そうだ、せっかくだから私もご一緒していいですか?」

「悪いけれど、お断りするわ。あなたの性格じゃ植物園なんて趣味じゃないでしょ?」

 委員長は目線でこれから入ろうとしていた植物園の看板を指す。確かになずなならものの数分であくびをし始めるに違いない。同じように自然公園に来ていても、なずなに似合うのはランニングコースをひた走る姿だ。

「そんな、決め付けないでもらえます? 私だってそれなりに興味はありますよ!」

「そう? それじゃあお先にどうぞ」

 委員長におだてられるままになずなは一人脇道のほうへ入っていく。

「なんか見たことない花ばっかり。七海、これなんて言うの?」

「説明読めばいいじゃない」

 仕方ない、となずなに続こうとした僕の手を委員長が掴んだ。

「五行くん、今のうち」

 なずなに聞こえないように小さく呟いて、僕の手をとったまま委員長は走り始める。なずなは正直に立て看板の説明を読んでいるらしく、こちらに気付いたような気配はない。

 下り坂を転がるように走り抜けた。雲が後ろに流れている。空気が顔に張り付いて、横に滑っていくのがわかる。途中で何人かのお客さんを追い抜いたけど、皆微笑ましそうに笑っているばかりだ。足の回転と鼓動がどんどん早くなる。ここ最近は逃げてばっかりだなぁ、なんて考えは途中で置き去りにしてしまったみたいだ。遠くで大声で怒鳴り散らすのが聞こえた気がするけど、聞かなかったことにしよう。

 遊歩道の入り口近くまで戻って、座っていたベンチを横に見て、僕らは管理室近くのレストランに駆け込んだ。まだまだ空調は冷房が強く利いていて、汗が浮かんだ体には少し冷たい。

「走った、ねぇ。疲れた、疲れた」

 息も整いきらない委員長は僕を見て笑っている。

「ホント、急に走り出すからびっくりしましたよ」

 落ち着いた僕は、また新しい委員長の顔を見てしまった。

「ちょうどいいからご飯にしよっか」

 不思議そうに僕らを見ている店員を愛想笑いでごまかして、少し早めのお昼ご飯にすることにした。


 併設されているというにはあまりにも豪華すぎる植物園を出ると、もう空は赤く色づき始めていた。初めはこんな変わり始めた木々を見に来るはずだったけど、暑さの残る今の時期では青々と茂った姿しか見ることが出来なかった。遊歩道に置かれた休憩所に僕らは並んで座り込む。

「さすがに疲れましたね」

「あんなに広いとは思わなかったなぁ。やっぱり本で読むのと実際に来るのは違うね」

 お疲れ気味の委員長はふぅ、と息を吐いた。人のことは言えないけれど、インドア派にはなかなかに厳しい道のりだった。これからまたこの道を下らないといけないんだけどね。

「私、友達とどこかに出かけるなんて初めてだから緊張してたのかな」

 委員長は独り言のように呟く。

「最初の一歩って大切だね。もしかしたらクラスの子達ともこうすることだって出来たのかもしれない」

 茜色に染まる空を見ながら、委員長は高校に入った頃のことを思い出しているのかもしれない。物憂げな横顔をぼんやりと見ていた僕を気遣うように、彼女は慌てて両手を振る。

「でも、今はいいの。こうやって五行くんと仲良くなれたわけだし、それならこの二年半も無意味じゃなかったから」

「今からでも、遅くないですよ。友達、たくさん作りましょう!」

 僕は少しでも委員長に近づくために背をうんと伸ばす。

「今、から?」

「そうです。僕が委員長の友達第一号。でもそれだけじゃなくて、もっともっと増やしていきましょう。大丈夫です、先入観なんていくらでも壊せます。仮にそれで疎遠になる人がいても、僕は委員長の友達ですから」

 今まで踏み出せなかった原因は孤独への恐怖。

 今の薄っすらとした関係でもなくなるよりは遥かにいい。そう思って躊躇う必要はもうないのだ。

「そう、だね。私、ちょっとだけ頑張ってみる」

「それじゃ、僕も協力しますね。まずは誰からかな?」

 図書委員、クラスメイト、それとも図書室の常連さんかな? でも皆委員長に固そうなイメージを持つ人ばかりだ。

「まずは五行くん。ううん、七海くんともっと仲良くなりたいかな? 委員長、なんてちょっと寂しいから」

 考え込んていた僕の頭に思いもよらない言葉が降ってくる。そういえばそうかもしれない。

「じゃあ、雨宮先輩?」

「私も七海くんって呼ぶから、名前がいいな」

「それじゃあ、瀬里……先輩」

 女の子を名前で呼ぶなんて、なずな以外では初めてのことだ。なんだか自分で言っていても恥ずかしくなってきて、全身が妙にむず痒い。

「ふふ、それでいいよ。なんだか嬉しくなってきた」

 頬が赤くなっているのは夕日の色が白い肌に映っているからだけなのだろうか。僕は余計に恥ずかしくなって、思わず顔を背けてしまう。きっと瀬里先輩の顔を真正面から見た人は学校にはほとんどいない。ましてやこんな笑顔なんて僕以外の誰も知らないだろう。

 だから、皆気付いていないのだ。彼女が僕なんかよりもっともっと可愛い正真正銘の女の子だということに。

「そ、それでいい、じゃなかった。瀬里先輩は仲良くしたい人とかっていますか?」

 変な質問だとは思ったけれど、今はなんとなく話題を作ってそこへ一刻も早く逃げ込みたかった。

「え? そうだなぁ、せっかくなら撫で甲斐のある子がいいなぁ。たとえば、書記の鈴姫さんとか」

「それはまた……」

 先日の塔馬くんとの一件を思い出す。打たれ弱い瀬里先輩と平然と毒を吐く鈴姫さん。相性はとても悪そうに思えた。

「ちょっとだけでいいから。七海くん、何かきっかけだけでも。お願い」

 そう言いながら瀬里先輩は僕の頭を撫でる。きっと鈴姫さんにもこうする未来を見ているのだろう。そう思うと、なんとかしてあげたいと思ってしまう。

「わかりました。でもそんなに期待しないで下さいね」

「うん、大丈夫。私にはもう七海くんがいるしね」

 くしゃくしゃになった僕の髪を手櫛で梳きながら、相好を崩す顔はもう幸せそうだった。


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