最初は勢いから始まったこのお弁当会も、一週間も経つとだんだん馴染んでくるもので。

 僕はいつものようにクラスメイトの目を盗んで小さな包みを抱え、昇降口に急いでいた。

「ちょっと遅れちゃったかも。委員長、また慌ててないかな?」

 このところでわかった委員長のこと。

 心配性、自己嫌悪、寂しがり屋。

 先に待っていると、だんだん約束を反故ほごにされた気分になって。さらにはそれが自分のせいだと思い込んで。僕が現れると急に謝りだしたりする。

 今まで遠目から眺めていた時は、そんなこと想像もしなかった。いつも冷静な委員長があんな風に慌てふためいている姿なんて。

 僕は階段を踏みながら、小さくリズムを刻んでいく。

 上履きの底がまだきれいな床面を蹴って、独特の音が鳴った。

 ぱたぱた、ぱたぱた。

 他の生徒からも同じ音。この音が聞こえるのは休み時間と放課後だけ。朝は遅刻した人の音が騒がしすぎるし、授業の間はみんなどことなく疲れて重い音になる。

 だから僕は急いでいるのに、少しだけこの音を聞いていたくなる。

「でも、そんな場合じゃないんだよね」

 階段を下りた先は二年生の下駄箱。三年生のそれはもう少し遠い。

 僕は不思議な音の上履きを脱いで、スニーカーを手に廊下を駆け抜けた。

「ごめんなさいっ! 待たせました?」

 誰もいない三年生の昇降口。もしかして委員長も遅れてる? そう考えたのはただの願望で。

「……大丈夫」

「うわぁ!」

 いつもは見上げるばかりの委員長が、靴箱の隅に寄り添うように体育座り。外の陽気とは対照的な真っ暗じめじめの落ち込みよう。

「すみません。授業が長引いちゃって……」

「いいの。私が早く来すぎただけだから」

「そんなことないですって……」

 ここは男らしく励まさないと。そう思って、僕は委員長の手をとって、ぐいと引っ張り上げた。

 重い。でもそんな失礼なことは口に出せなくて。

 そりゃあ、僕より背は高いけど、僕だって男の子なわけだし。無理はないはず!

 一向に動かない委員長に、自分の無力さが情けない。そんな時。

「……なんだか散歩に行きたがってる子犬見たい」

 そんなキラキラした目で言われても嬉しくないです。

 かくして立ち直った委員長と一緒にいつもの駐車場へ向かうのだった。

 なずなはあれ以来、特に何も言ってはこなかった。でも、それとは別に妙に僕と距離を離しているようにも感じる。

 図書部の活動はその創設理由とはかけ離れて至って真面目で、明日の金曜日には初の部活動としてそれぞれが読んできた小説について語り合う会があるらしい。ほとんどが兼部だからまとまった活動は週に一回だけらしいけど、おかげで図書室の書籍貸出数は一気に増えて、先生たちは喜んでいるらしい。

 明日、参加してみたほうがいいかな? なずなの様子も気になるし。

 僕は今日もお母さんに作ってもらったお弁当箱を開きながら、そんなことばかりを考えている。その様子を不思議そうに委員長が見つめているけれど、それはいつものことだから気にしたところでしょうがない。

「元気ないね?」

「そうですか?」

「うん。その、悩み事なら聞くよ。五行くんはせっかくできたお、お友達だし」

 それはとてもありがたいけど。

「ありがとうございます。でもこれは委員長にはまだ話しづらくて」

 現在あなたと対立している図書部の部長が、実はあなたのことが好きです、なんて言えないです。

 そう心の中で謝りながらおにぎりを一口。梅の酸っぱさが口いっぱいに広がる。

「そっか。それじゃあね」

 そう言いながら委員長は持ってきていた雑誌を僕に開いて見せた。

「こういうのはどうかな?」

 何枚も貼られたカラフルな付箋の中から一つが選ばれている。ページは秋の行楽特集。紅葉がきれいな山間部の自然公園の紹介のようだ。

「えっと、どういうことでしょう?」

 今の文脈から委員長の真意はわからなかった。それは僕が鈍感だからなのかもしれない。

「悩み事はちょっとの間、忘れてみればいいんじゃないかな? 少し時間を開けると意外といいアイディアが浮かんだりするんだよ」

 載っている写真はきっと去年のもの。九月といってもまだまだ暑くて、校庭に並んで植えられた木々もほとんどが青々と葉を茂らせている。

 でも、それもいいと思えた。

 みんなが頑張っている時に、一足先に次のステップに進む。それはなんだかせっかちで慌てているようだけど、とても勇気のいることだから僕はそんな紅葉も素敵だと思う。

 今ならきっと観光客も少ないだろうし。

「いいかもしれませんね」

「ホント?」

 ほんの少し前まで自分で立ち上がれないほどだったのは誰だったんだろう。今僕の目の前にいる委員長はそのまま空に浮かびあがりかねないほどに浮ついた笑顔を見せている。

「それじゃ、い、いつがいいかな? 今週末だっていいんだけど!」

 お弁当を花壇の端に放り出して、僕の頭を撫でながら委員長が迫る。急にじゃない。琵琶湖が年々北上するくらいゆっくりと。なんだか目もギラついていて、とっても怖い。だから、

「僕も今週なら空いてますよ」

 と言うしかなくて。

「やった」

 心の底から嬉しそうな笑顔。委員長は本当はこうして笑っているのが一番いいと思う。自然体でいられる場所が学校にはほとんどないというのなら、もしかするとなずなの存在はとってもいい刺激になるのかもしれない。

 そんな幼馴染を思い出して、ふと思う。

「えっと、それで他に誰か来るんですか?」

「えっ?」

 キョトンとした返事。そんなこと頭の隅にもありませんでした、と言わんばかりの目をまん丸に開いた顔がある。

「さすがに、二人は気まずいかなぁ、って」

 そんな他人でもないけれど。

 知り合ったのはもう一年以上前だけど。

 こうして二人でご飯を食べ始めたのはたったの一週間前。

 それを週末に時間を合わせてお出かけなんて。

 なんだか、その。デートみたいで。

 あぁ、自分の中で呟いてみても恥ずかしい。

「そ、そうかな?」

 浮かんでいた表情はまたの急降下。でも今度は落ち込んでいるというよりも、自分に考えが甘かったことを後悔しているみたいで。

「でも私、五行くん以外に友達なんていないし……」

 特大のハンバーガーよりずっしりと重い言葉を食べさせてくれた。

 今日のお弁当は残っちゃうかもしれない。

「わ、わかりました。この間からなずなが色々迷惑かけっぱなしだし、一緒に行きましょう」

 カビが生えてきそうなほど落ち込んでいた背中に一気に太陽が降り注いだようで。僕の一言に一喜一憂する姿は僕よりよっぽど子犬のような純粋さがある。

「じ、じゃあ今週の土曜日ね。約束だよ!」

 本当に子犬なら耳がピンと立って、尻尾がちぎれるかというほど振り回されているんだろうなぁ。

 そんな委員長の姿に苦笑しながら、僕はまた一口お弁当に手を伸ばした。

 放課後のチャイムは解放の旋律。なんてカッコよく言ってみたくなるほど、金曜日の放課後は格別だ。一週間分の疲れがどこかに吹き飛んでどこかへふらりと出かけてみたくなる。

「七海、ちょっと今日付き合ってくんない?」

 それは青春の汗をサッカーに流す彼も例外ではないらしい。特別外に出ない僕がそうなのだから、正常な男子高校生である塔馬くんは尚更なんだろう。

「どうしたの?」

 くるりと斜め上を振り向くと、塔馬くんはいつものスポーツバッグじゃなくて、今日は新品同然の学生かばんを持っている。

「ちょっと秋物見に行きたくてさ。遊びに行こうぜ」

「いいけど、僕ってそういうの疎いよ?」

 服なんて着ることができればそれでいいって思ってるから。有るものを変な色合いにならないようにだけ気をつけてるだけで。

「まぁまぁ、いつどこで未来の彼女が見てるかもしれないんだしな」

 ふふっ、と小さく鼻を鳴らす。

 別にそんなところにまで気を配らなくても大丈夫だよ。すでにかっこいいパラメーターのゲージは振り切ってるから。

「七海だって、あの委員長と休みにどっかで会うかもしれないしな」

「うん……って、何で知ってるの?」

 くるりと頭を捻った先で、塔馬くんがニヤリと笑っている。

「昼休み、二人きりで弁当食ってたじゃん。昼休みに練習してたんだけどさ、ゴール外してついてないな、と思ったけど、いいことあったってわけよ」

 グラウンドと駐車場は校舎を挟んで反対側。でも中庭を縦断するくらい塔馬くんのシュートならありえるわけで。

「いつから?」

「昨日くらい?」

 クラスで何も言わないでいてくれたのは幸いかな。ちょっとそんな話が出ようものなら委員長の命が危ないからなぁ。

「生徒会書記、もう一人の我が校のアイドルに続いて今度はクールな図書委員長とは。七海意外と守備範囲広いな」

「茶化さないでよ。そんなのじゃないよ。……それで、口止め料ってこと?」

「そういうこと。七海とデートなんてそうそう出来ないからなー」

「普通に友達同士の寄り道にはならないんだ……」

 こういうからかいも含めて口止め料なのかも。とっても機嫌がよさそうなところを見ると、最近は忙しくて遊べてなかったこと気にしてたのかな?

 先に歩き始めた塔馬くんの背を追うように僕は教室を出る。図書部の部会、行けなくなっちゃったな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます