第25話

 居間が暗い。もう夜になっていた。それを自覚できないほど、私の感覚はこの本に没入していたのだ。

 このような事象は初めてだった。読み終えて嬉しくなる、その世界観に囚われるのが怖くなるほどのめり込む物語。まだ読みたいようなそうでないような、不思議な心地の作品である。

 解析結果のみを言えば、これは面白い作品だ。これほど私の知性を虜にしたことから言って間違いない。しかし客観的に見れば特に秀でた部分はない。ストーリーも平凡なSFと言えるし、言い回しや比喩も秀逸とは言い難い。ドラマティックな展開もなく、地の文は登場人物の感情や葛藤よりもストーリーを追うことに終始している。

 あらゆる面白さを陳腐化する、先生の作品の特徴を確かに受け継いでいる。不可解なのは陳腐化の特徴を有していながら、私が面白いと判断している点である。だがこれまでの先生の作品よりも進化している部分は多い。私でさえ不可解なほど読みづらかった文体も解消され、読み進めるうえでの引っかかりやつまづきが少なくなっている。描写が少ないとはいえ登場人物も生き生きと描かれている――あくまで以前の先生を基準にした場合に限られるとはいえ、驚くべき進歩だ。 

 これ以上の考察は私には難しい。私は先生の作品に対しての受容体が開かれ過ぎているのだ。好きな作家の新刊を義務的に買うように、内発的動機付けの回路が強力に構築されている。それを私の知性が『面白い』と認識しているのではないだろうか。

「……先生。これ、は」

「素直な感想を聞かせてほしい」

 ずっと傍にいて私を見てくれていたのだろう。 

「面白い、です。これは、面白い小説です」

「そんなはずはない。これは僕が書いた小説だ。面白いはずがない」

 いやらしく、嬉しそうに笑う。私も先生と同意見だ。彼が面白い小説を書けるはずがない。それも幾多の名作を解析してきた私の眼鏡に適うものを生み出すなどあり得ない。

「でも私は、私の知能はこれを面白いと認めている」

「それは何故だろうね」

 自分で煎れたお茶を啜りながら訊ねる。やはり先生はこの作品を私に解析させたいらしい。

「まず総合的な読みやすさが向上しています。ストーリーやギミック云々ではなく、スムーズに読み進める読破感は今の人気作家と比べても遜色ありません。キャラクターも生き生きと描かれています。もう少し主人公だけでなく、他のキャラクターの背景も説明できれば、より説得力が生まれると思います」

「そういう技術的なことだけかい?」

 受容体云々の話をするか迷う。これは作品ではなく私に対しての考察だ。しかし今の私が感じている面白さという意味では確かに存在する要素だ。

 私は先生のほぼ全ての作品を読破し、彼のつまらなさを解析していく上で構築されたであろう動機付けの回路によって疑似的に面白く感じてしまっているということを、言葉を尽くし、甚だ迂遠に伝えた。

 先生は私が無駄に言葉を重ねる様を、それは嬉しそうに聞き入っていた。

「受容体か。面白い表現だな。やっぱり人工知能は違う」

「先生はどう思われますか?」

「ん? 何が?」

「この『作家絶滅』という小説を」

「好きだよ。気に入ってる。最後以外は」

 やはり先生自身もあの最後には納得していないのか。わざとそうしたのか、構想が足りなかったのか。先生のことだから恐らく後者だろうけれど、自分の欠点を利用しているというのも有り得る。

「どうして最後はあんなふうにしたんです? 主人公が作った小説が受け入れられてハッピーエンドというのはダメだったんですか?」

「それでもよかったんじゃない? でも初めて書いた小説がいきなり万人を感動させるってのはちょっと現実味がない。とても僕にはリアリティを持たせて書くことは出来そうになかったから」

「それこそ小説の醍醐味でしょう。あるいは小説を書くことで世界を変える決心を固めるところで終わらせるとか」

「よくあるよなあ、そういうの。序盤の掴みが良ければ正直小説なんて尻切れトンボでいい。ただこれ、特に山場とかないし、ミステリーもサスペンスもコメディも叙述トリックもないし、SF的なギミックはあるけどそれも本当にギミックだけで、問題提起に繋がるような深いテーマ性があるわけでもない」

「じゃあ、何で書いたんですか?」

 先生の言い分を聞いていると、この作品の必要性そのものに疑問を抱いてしまう。確かにこの作品は一貫してとっかかりがなく、平坦でなだらかな作風だ。テーマもあるのかないのか不確かで、文の大半は主人公の青年がディストピアな世界と自分の至らなさに苦しむネガティブな一人語りだ。起伏のない陰鬱な雰囲気のまま後味の悪い最後を迎えてそのまま終わる。

「そりゃあ君に読んでほしいからだよ」

 最初から先生は何度も私のためだと言っていた。私だけに読んでほしい。私のために書いた。これは先生が私に宛てた、私のための物語。

「面白いって言ってもらってよかったよ。書いた甲斐があった」

 先生は安心したように深く息を吐いた。感じ入るように顔を手で覆い、項垂れる頭を支える。

「……小説の、創作の原点だな。人のために書き、読んでもらう喜びというのは」

 私の中に素直な驚きが沸く。これほど作家然とした台詞が自然に出てくるなど、私の先生像では在り得なかった。彼は自分の自分による自分のための、自分が本当に書きたい物語を作ることにしか興味を示してこなかった。それこそが純粋で真っ直ぐな作家のあるべき姿だと思っていたから。

「自分の中から湧き上がる物語ではなく?」

「物語は誰の中にもあるよ。問題はそれをどうして発露するのか、という動機だ」

 私が読み終えた本を受け取り、漫ろにめくっていく。

「元は北海道で人工作家研究所にいるときに思いついたアイデアで、get seriousの思想を先鋭化させたものを作りたかったんだ。その中で、創作という行為自体を問い直すようなことがしたかった。そんな大それたことはできなかったけど」

 確かに禁欲的で現実を重視するディストピアの底流には、既存の娯楽を拒むget seriousを取材した成果が見られる。今でも千代子が与えた影響があると思うと感慨深い。

「なるべく自分のために書いていたかった。そうするのが正しいと思っていたし……いや今でも思っている。でも、自分のための物語なんて誰にだってある。別に特別なことじゃない。何で、どうして形にするのかをきちんと見つめ直してから書きたかったんだ」

「よりプリミティブなものが描きたかった? つまり、小説として」

「自分にとってのね。そういうのを見つめ直すうえでいい作品だった」

 これもまた以前の先生なら考えられない発言だっただろう。実力もなくストイックなだけの彼ならば、自分を見つめ直すために小説を書くなんて姿勢は許さないはずだ。

「変わられましたね、先生。小説も、考えも」

「そうだね、変わった。自分のためじゃなくて、誰かのために書くことをようやく覚えたんだ」

 その違いが文体すら変えたというのか。俄かには信じがたい。あれほどつまらなかった先生の作品を、私が何故面白いと感じてしまったのか。彼のつまらなさと同じで、面白さもまた解き明かすことが出来ない。

 いや、信じがたいというより信じたくないのだ。先生が追い求めた面白さがこんなに簡単に手に入ってしまうのなら――

「人のために書いたから面白いなんて、あんまりです。それだけで面白い小説が書けるなら、作家なんて……先生の作家人生だって、一体何のためのものだったのか」

 先生が興味深そうに微笑んでいる。私の、まるで先生の境遇を慮り、憐憫し同情するような台詞と表情に高度な知的活動を見出しているのだろう。会った時からそうだ。先生はSFが好きだから、人工知能の私が示す人間的反応を非常に喜ぶ。

 私のことを気にする前に、先生は自分の境遇をもっと真剣に考えるべきだ。もっと真剣に、小説を書くということを考えるべきだ。

 でなければこの人は報われない。いくら書いたとしても、何も得ることは出来ない。

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