第24話

 開店前の用意をしているとき、控えめにドアベルが鳴った。その様子をドア前の監視カメラと、私のカメラアイが同時に捉えた。面貌挙措プロンプトが確かに答えを出しているのに、判定アルゴリズムがビジー状態になりかけている。

「ただいま」

 突然のことに驚いて動けない。自分で自分を誉めたくなるほど人間らしい動作だ。

 たっぷり十秒は間を置いて、ようやく私は動き出す。

「おかえりなさい、先生」

 何とかそれだけ絞り出し、私は先生に駆け寄った。見れば相当やつれている。一体どこでどんな暮らしをしていたのか。

「どうして何も言わずに出ていったんですか。何か不満があったんですか。きちんと食べてたんですか」

 私の矢継ぎ早な質問に、先生はわざとらしく肩を竦める。

「驚いたふりをして。僕が帰ってくることは分かってただろう」

「もう三ヶ月は後だと思っていましたので」

「……それは僕のやっていたことが、君の予測とは違うからだよ」

 まるでこちらを見透かしたような物言いにどきりとさせられる。私の情緒も随分と進化したものだ。先生のこういう何気ない仕草にいちいちときめくことが出来ている。あるいは先生の雰囲気が私の情緒を大きく揺さぶるほど魅力的になっているとも言える。

 二年の隔たりを感じさせないほど自然でありながら、どこか達観しているように見える。それとも人間、二年も会わなければそう感じるものなのか。

 居間で先生と向かい合う。得も言われぬ充実感が私の有機メモリに記録される。再びこの才能が私の手元に置かれるのだ。予測されていたこととはいえ安心する。

先生の力は唯一無二だ。彼のような才能の持ち主は恐らく珍しくはない。だがそれと真っ向から反発する欲求を持ち、どれだけつまらないものを生み出そうと、どんなに自分がつまらない人間だろうと、決して諦めずに小説を書き続けた人間は彼一人だ。

 およそ今の社会ではいかなる評価もされることのない才能を、私だけが最大効率で運用できる。彼を受け入れなかった小説を壊すために。私を生み出した物語を殺すために。

 二人で居間に座り人心地つけたところで、先生は話し始めた。

「実は書きたいものがあって。ちょっと遠出したんだ」

「私に見つからないような場所で?」

「君に見つからないように。お寺で世話になったりとか、住み込みで働いたりとか、色々やった。君だけにこれを読んでほしくて」

 先生はカバンから一冊の本を取り出した。ハードカバーだ。表紙は真っ黒に塗られ、白字で『作家絶滅』と書かれている。恐らくタイトルなのだろう。まさか自分で小説を書いているとは思わなかった。帰還時期が私の予測と違ったのも納得がいく。

「知り合いの印刷屋さんに頼んで、この一冊だけ作ってもらった。僕の書き下ろしだ」

「じゃあ新作ですね。発表されるんですか?」

 先生はゆっくりと首を振り、改めて私に本を差し出した。

「君に。君だけに」

 読んでほしい。私以上に静かで感情のない瞳がじっと見据えている。

 私は既にこの本が傑作であることを確信した。先生がかつてこれほどの覚悟で著作に臨んだことなどないはずだ。恐らくこれまで以上に絶望的なつまらなさを満載しているのだろう。でなければ厭世的な彼が自信満々に読んでくれなどと言うはずがない。

 私は恭しく本を受け取り、開いてみた。

 書き出しは平凡でそっけなく、淡々と進んでいき――私の目は、突然眩んだ。

 思わずカメラアイを一時的にダウンさせたが、それでも信号の奔流は止まらない。刺激が勝手に入り込んでくる。まるで自閉症のようなパニック症状。機能がフリーズ寸前まで過剰にドライブしている。感覚器官が爆発するような衝撃を連続して記録している。

 私の視覚は一文字一文字を順に追うという動作をむしろ苦手としている。瞬次記憶のように画像として取り入れてから有機メモリ内で処理する方が効率的だ。つまり一旦文字情報を全てプールしている。並べられた文字の一体何がどう作用したのか分からないが、プールされていた処理待ちの文字情報が私の解析よりも早く意味を発生させたのだろう。

 カメラアイを再起動し、慎重に読み進める。先生が書き下ろした新作のあらすじはこのようなものだった。

 作家がいなくなった世界。小説も、その他の娯楽も忘れられ、消え去って久しい世界。人は目の前の現実を真面目に取り組み、人生を謳歌していた。しかしあるとき、一人の青年が思いついてしまう。こんなことがあったらいいのに。こんなことが起きないだろうか。しかし現実に満足せず、そこから逃げることは決して許されない。

 青年は少しずつ小説のようなものを作り始める。何もないところから手探りで、自分の中にあるものを信じ、ゆっくりと、拙く、物語を形にしていく。

 しかしそれは誰にも受け入れられなかった。誰も青年の物語を理解できなかった。青年は失意のなか、その小説を燃やし、自分が作りたかったものと作ったものとの乖離を嘆く。

 そこで終わりだった。山場らしい山場もなく、なだらかな上に半端なところで終わってしまった。

 私はほうと息をつく。終わりかたの半端さは納得いかないものの、とりあえずこの物語から解放されたことが嬉しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます