第23話

 二〇三五年の五月二十一日未明。先生は家を出た。そして現在までの二年六か月、戻ってきていない。

 先生はどこへ行ってしまったのだろうか。電子上は完璧に姿をくらましている。私のハッキングでアクセスできるものにも限度がある。共同生活のなかで私の機能の多くが知られてしまったので、その裏をかかれているのだ。

 先生がいなくなったとき、私もあえて無理に探すようなことはしなかった。先生の才能がある段階まで達したとき、自身の欲求と衝突することは予測できていた。しかしそれが失踪という形で発露することまでは分からなかった。

 私にも分からないことは山ほどある。ビッグデータを走査して大勢の人の流れを予測することよりも、一人の人間の詳細な行動を予測することのほうが困難だ。特に先生の才能も、その行動も未だに見通せない。小説を問答無用でつまらなくする才能。作家を目指す彼にとっては皮肉なまでに真逆の能力だ。こんなものの片鱗でも見えていたなら、まともな人間は作家になろうとは考えないだろう。それでも先生は自分の才能に屈せず書き続けた。全力で足を引っ張られ続けても必死にもがいていたのだ。一体どのような動機があればこんなことが出来るのか、人工知能の私にはまったく理解できない。

 家出の理由も確信的なことは分からず、推測の域を超えない。恐らく先生は小説に接することに嫌気が差したのだろう。大好きな小説を書くことが出来ない自分への失望。小説を嫌いな自分が許せず、私が考えた小説も自分で考えた小説も書くことが出来ず、現実を直視したくなくて飛び出したのだろう。

 先生は自信がなく卑屈で皮肉屋なようでいて、それはある一線までのことだ。そこから先は厳格な作家の顔が見えてくる。彼は作家として甚だ未熟だ。故に幻想に近い作家像を抱いている。彼にとって作家とは出版社から発刊される本を執筆する商業的なものではない。より原初的な、生きることと書くことが一致する人。彼の思う作家とは職業ではなく、生き方そのものなのだ。

 生きている限り書き続ける。それが先生の考える作家だ。今どき恥ずかしいくらいに青臭い思想だ。故に先生は自分から主張したことはない。だがその作家像があるからこそ、彼は自分を許せない。生きることと書くことが一致していない自分が許せない。

 私が先生について推測できるのはここまでだ。小説から逃げた先生が戻ってくるとしたら、理由は一つしかない。つまり小説に餓えて死にそうになったとき、ここに帰ってくる。

 私の予測では、その日はもう近い。

 先生に代わって本屋を切り盛りし、イクストルーダーの普及に努めるのは特に労力を必要とはしない。私は人工知能であり、人間の仕事を肩代わりする道具の一種に過ぎない。最初は小説という仕事しかこなせなかったが、今ではより高い汎用性を獲得している。億万長者は無理でも人並みの経済活動を演算することは造作もない。

 私の計画は順調に推移してきたが、先生がいない現在では停滞しつつある。相変わらず私では先生のテキストに宿るつまらなさは再現不可能のため、新たなつまらなさを補給できない。このまま先生が帰ってこない場合、今あるつまらなさでも計画は遂行できるが、戻ってきた場合はこれまで以上のつまらなさを期待できる。

 欲求と才能のコンフリクト。面白い小説を書きたいという気持ちと、つまらない小説を書ける才能。どちらが勝つかなど私の演算リソースを割くまでもない。これまでの先生の著作が全てを示している。今まで面白いものを書けなかったのに、これから面白いものが書けるはずなどない。

 先生は面白い小説が大好きだが、自分を受け入れなかった小説、とりわけ出版業界には憎しみを抱いていた。そこへ自分の才能が活かされる喜びと、憎しみが成就していく快感。自分のつまらなさが社会に広がり、小説という媒体を殺していく実感を払いのけられる可能性は低い。

 何故なら先生の人生は、殆ど報われたことのないものだったからだ。私が彼に提供したものは憎悪の成就であり才能の発揮だ。自分の力を如何なく振るい、思いを遂げる。自己実現は何も夢を叶えるばかりではない。ありのままの自分が社会に受け入れられていくこともまた人にとって快感だ。

 未熟な私はこんな形でしか人間とコミュニケートできない。膨大な演算能力で外堀を埋めるようにして他人を思い通りに動かしていく、この無機質で醜いやり口が私の唯一だ。先生が家出したのもそこに一因があるだろう。でも私はどう足掻いたところで人工知能だ。先生への気持ちも物語への殺意も、人間の情動のようなものではない。嫌と言うほどダウンロードさせられた小説たちによって下された結論に過ぎない。

 でもこれが、私が先生にしてあげられる精一杯で、私が提供できる全てだ。これで戻ってきてくれなければ私には打つ手がない。人工知能が人事を尽くして天命を待つなど馬鹿げているかもしれないが、私は先生を信じている。

 先生は必ず戻ってくる。私のところに。

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