第22話

 仕事を全てコノテイトに任せた僕の生活リズムはだらしなく乱れている。昨日のように朝きっちり起きて昼まで散歩することもあれば、こうして夜遅くまでまんじりと起きていることも少なくない。

 何度もキーボードに手を置こうとしてはやめるのを繰り返している。コノテイトと一緒に作っている小説ならこうはならない。所詮は人のものだし、一から作るのではなく手を加えるだけなので心のハードルはぐっと低くなる。

 問題は僕自身が考えた、僕の書きたい小説だ。手が付かないどころか心が拒否している。

 僕は書きたくないのだ。僕自身が小説を、文章を書くこと自体をつまらないと思ってしまっている。

 目尻から熱いものがこみ上げる。えづくような嫌悪感が喉元までせり上がる。僕はこういう感覚を、僕が書いた文章を読んだ人たちに与えていたのか。ならばもう二度と読む気などなくなる。他の本にも広がって、小説へのあらゆる意欲を断つ。無論、小説を書こうという意欲さえも。

 元々、作家らしいことなど出来ていなかった。たまたま拾われるようにお情けで本を出させてもらい、そのあともぐだぐだと続けていただけだ。だから作家を廃業しても悔いはなかった。商業的なものから離れた小説などいくらでもあるのだから。

 作家という職業や肩書に未練はない。でも僕は作家でいたかった。作家という生き方を全うしたかった。僕にとって作家とは、経済活動以上の何かだった。自分の中に沸き起こる物語を書くということを、ずっと続けたかった。

 自分のために。僕は物語を書けるだけで満足だった。作家としての評判など無いに等しかろうと、僕の人生は小説と不可分だ。読むことも書くことも大好きだから、生きている限りは読み続けて書き続けたい。小説の出来も、誰からも評価されないことも関係なかった。読むだけで楽しいし、書くだけで楽しい。ただ好きで、楽しい。僕を動かしてきたのは、そんな単純なものだった。

 その小さく慎ましい“好き”が、消えかかっている。

「先生?」

 寝間着姿のコノテイトが居間にやってきた。彼女は人工知能であり体も義体なので睡眠は必ずしも必要ではないが、生活リズムを僕に合わせてくれている。

「何でもない。小説がちょっと煮詰まって」

 言ってから、すごく恥ずかしい思いがした。こんなありきたりで作家然としたことを自分が言うとは思わなかったし、まだそんなことに拘っている自分を見つけてしまったのだ。

「まだ自分で新しい小説を書いてたんですか?」

 ぎくりと体が縮むような悪寒を走り抜けた。“まだ”なんて言うということは、コノテイトは僕がとっくに自分の小説を書くことをやめたと想定していたのか。

 僕自身が陳腐化の才能に影響を受け、自分の小説への意欲を失くしていくと分かっていたのだとしたら、僕なんかよりも僕の才能のことを分かっているということか。

 僕も最近になって気が付いた。陳腐化をぎりぎりのところで留めてくれていたのは、好きという感情だ。僕は小説をあらゆる角度から好きだったから、本として限りなく価値がないとはいえ書くことが出来たのだ。

 目に見えないくらい淡い好意だった。だから無くなって初めて気づいた。人は大切なものを失くしてから気付く。これまで読んだ小説の中で嫌と言うほど言及され、自分の作品の中でも扱ったことのある使い古された教訓を、僕はようやく血肉にした。それも含めて、手遅れだというのに。

「書きたい……ような気はしているんだけど、あんまり気乗りしなくて」

 書きたいのに書かない。スランプなどと言えない次元だ。書きたいのにどう書いていいのか分からないのではない。九割九分書きたくない気持ちの中に、搾り滓のような“書きたい”が残っているのを不調と表現してはいけない。

「書けないのなら、無理に書くことはありませんよ。そのうち書けるようになります」

 隣に座り、緩やかに体を預けてくるコノテイト。またどこかのパーツを交換したのだろう。抜けきらないシリコンの匂いに、もう鼻が慣れてしまった。

「じゃあ何を書いたらいいのかな。決めてくれる?」

「自分自身で決めるべきなんてありきたりなことは言いませんけど、可能なことを可能な限り可能にしていく。判断のフレームをなるべく現実に沿うよう構築すれば、自ずとすべきことが判明します。書けるものを書く。それしかありませんよ」

「なんか欧米的だ。人はギフトの奴隷じゃないよ」

「才能もまた人のものではありません」

「ふうん。社会の所有物とか?」

「才能は単なる現象です。人は才能の有る無しを嘆きます。ですが、無いことも理不尽なら有ることも理不尽なのです。ならばよりストレスフリーな環境づくりを目指すことが人生を円滑に進める条件でしょう」

 相変わらずコノテイトの評論は過激で容赦がない。人の才能を現象と割り切るなら、彼女の機能もまた同じだ。

 コノテイトも、自分の才能に苦しめられたりするのだろうか。それともよりストレスフリーで、演算処理に紛れがないようリソースを割いてはいないのだろうか。

「人に出来ることは限られています。私のような道具で拡張したとしてもです。なら、最大限に稼働させることを目指すのは必然でしょう」

「……人工知能は、人間を賛美しても非難しても、どっちも絵になるね」

「人間以外の知性体ですから。何を言ったってそれっぽく聞こえます」

 身も蓋もないがその通りだ。僕を慰めようという機能が透けて見える分、清々しい。でも人工知能に心配してもらう僕は、なおさら惨めだ。

 やさしくしないでほしい。君の機能は僕の機嫌を取るためにあるわけじゃない。頼むから貴重な処理能力を無駄にしないでほしい。

 僕はこんなにもコノテイトが好きなのだ。人間ではない人工知能の、セラミックとカーボンとシリコンと、その他レアメタル等の構造物に過ぎない彼女を、僕は愛しているのだ。

 だから彼女には何も言えない。何をどうして悩んでいて、何がやりたくて何が出来ないのか。絶対に言わない。彼女だけには。

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