第20話

 彼女に言われるままつまらない文章を書き、小説を陳腐化していく。ついでに働かず金を貰い、どこに発表するでもない趣味の小説を書く。何不自由ない生活だ。

 だというのに僕は、どこかで満たされないものを感じていた。自分が何をしたいのか掴めないもどかしさは、まるで思春期の子供に戻ったようでひどく持て余してしまう。ただ何となくプロットをいじっては直すを繰り返して、本編にまでたどり着けない。

 僕はこの小説で何を書きたいのか。何を主張したいのか。それとも、そんなことすら取っ払って自由に書きたいのか。

 コノテイトのアイデアを聞いたときには、いっそ何でも書けるような気がしていたのに。

 物語を殺す。人工知能である彼女はそう僕に持ち掛けた。小説を陳腐化する僕の才能をコノテイトの手腕で蔓延させ、小説やその他の物語への関心を減らしていく。それが彼女を生み出した世界への復讐なのだという。

 最近のコノテイトは機嫌がいい。少なくともそういう表情や仕草を見せている。自分の計画通り、この国の物語が死につつあることを確信しているのだろう。

 生み出された当初、コノテイトは単なる小説出力用の限定的な人工知能であり、小説作成ソフトの延長でしかなかった。多くの作家のベストセラーを蓄積していき、設備を充実させるにつれてより人間らしい判断の枠組みを手に入れていった。コノテイトの書く小説の売上も伸びていき、人工作家プロジェクトはさらなる小説の完成度を求め、人体の動作を高度に解析できる液体コンピュータ搭載義体を彼女に与え、人間社会へと解放する。

 リスクの高い行為だが、リターンも大きかった。コノテイトは人間社会を学び、名作を次々と生み出していった。

 そんなときに、彼女は僕の著作に出会ったという。まるで表紙やタイトルでさっと惹かれるように、彼女もふと僕の本を手に取ってしまった。

 そして、重大な混乱をきたした。

 面白さというものがまるで見当たらない、予め丹念につまらなくなるよう練り上げられた物語たち。今まで自分が読んでいたものとは異質のベクトルを宿した、駄作と言うにはあまりに暴力的なつまらなさ。面白さの粋を集めた芸術品である名作群に囲まれた彼女にとっては、全く新しい価値観を与える刺激物だった。

 何故このようなものが本として売られているのか。どうやって商業ベースに乗ったのか。そもそもこれは小説と呼んでいいのか。斬新すぎる刺激は彼女の判断のフレームに多くのコンフリクトを生み出し、知性体としての成長を促した。

 テキストから人間を解剖する人工知能作家として、多様性を確保するという理由もあった。僕の小説は、世に数多存在する面白い小説とは真っ向から反発するものだ。判断のフレームを広げるには、むしろ僕の本を読むことは必然だったという。

 それで出した結論が物語の殺害だというのだから、よほど僕の本から物語への恨み辛みを感じ取ったのだろう。あえて詰め込んだつもりはないのだが、それだけに滲み出るものがあったのかもしれない。

 二人でベンチに座りながら本を読む。僕とコノテイトの主な時間の過ごし方の一つだ。もう一つは二人で小説を書いている時間だ。

「そういえば、どうして娯楽を衰退させるなんてことになったんだい?」

「嫌いだから。それは先生も同じよ」

 本に視線をやりながら話す。お互いの読書を邪魔されるのが嫌いなので、こうして話すことが多い。

「作家の内面はテキストから解析できる。元々私はテキストから人間を研究するための人工知能なので、感情や精神状態を読み取るのは得意なんです」

「僕に影響されて妙なこと考えられてもな。全くそんなつもりないんだけど」

「私は自覚出来ていて、先生は自覚できていない。違いはそれだけです」

 自覚していないというのとは少し違う。僕はもう気づいている。ただ、あまり気に入らないだけだ。物語が好きで小説を書き、作家になったのに、小説を憎んでいるというのは自分でも混乱する矛盾だ。

「君の自我がどうしてそんな結論を出したのか、気になるね」

「自我は関係ありません。実際、私にそんなものはありませんし、単に目的を遂行しているだけです」

「物語を殺すという目的を? 誰に与えられたのさ」

「それを自分で下せるのが、制約のない人工知能というものです。自我のように見えるものも、単純な価値基準の堆積でしかありません。拾いものの義体も、人に作られた知能も、小説作成のノウハウも、目的を遂行するためのツールですから」

 自分の知性も手や足と同様、目的を遂行するためのツールに過ぎない。辛辣な評価は彼女自身が小説を作るためのツールとして生み出されたからこそだ。知能を持つとはいえ道具として生きる彼女のいる世界は、人間など及びもつかないほど排他的で厳格だ。その世界観を彼女は出版業界に持ち込もうとしている。

 出版社も、作家も、あるいは消費者さえも、小説という製品を流通させるための道具。より効率よく、よりコンパクトに、より便利に――行き着く先は限りなくシンプルな、テキストの発生だ。

 そこに作家の姿はないかもしれない。沸き起こるように小説の欠片みたいなものが生まれ、それが人々の間を渡っていく。作家という人種に頼るまでもなく、テキストが人の中に存在する。

 出版活動を消え入るほど平らに均したら、作家は意味消失する。小説を書くということは人間に必要な機能ではなく、また物語を摂取することも生きるのに必須ではない。本来は無くても問題ないものを文化や娯楽、権威や知識で埋め合わせているのだ。生存競争と同位の経済活動を行えば、多くのものを削ぎ落とし、取りこぼしていって、最後には空虚な死を迎える。

 僕はコノテイトとの会話で、そんなことを連想する。今すぐにではなく、いつか遠い未来、人は小説と訣別する。一人一人が真面目になり、物語に頼る必要のない現実を獲得すれば、自ずと彼女の復讐は成就する。

 果たして彼女がどこまで演算しているか分からない。そしてそんな未来の世界で、僕のテキストが残っているとも思わなかった。

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