第17話

 最近、街を歩いていると至るところで見かける機械がある。ATMほどの大きさのものがコンビニや駅に行けばまず置いてあるそれを通りかかった人がさっと操作し、下の取り出し口に出てきたものを取って歩いていく。

 その人が持って行ったのは、一冊のハードカバーだ。僕はそれを悠々と見送り、ベンチにゆったりと腰かけて再び読書に没頭する。

 この機械が見えるところで本を読むのが、僕の秘かなマイブームだ。ここで本が印刷されるほど、僕の口座にお金が入ってくる仕組みとなっている。

 機械の名前はイクストルーダーと言う。コノテイトが発明し、コノテイトが名付け、コノテイトが普及させた。つまりこれは、彼女が物語を殺すための凶器の一つだ。中身は大きな簡易製本機でしかない。僕としては自動製本機とかのシンプルな名前にしてほしかったが、コノテイトがクールでキャッチーじゃないとだめだというのでこのネーミングになった。

 イクストルーダーの役割は電子書籍をその場で製本することだ。今やこれが一つのブームとなっている。未だに紙の本が持つ高級感や普遍性は消えていない。しかし電子書籍も徐々に浸透しつつある。混在期にしか存在を許されない徒花だからこそ、今の時代に嵌まった。

 表向きは電子書籍だけの作家にも製本のチャンスが与えられ、小説の裾野が広がるという名目で受け入れられたが、それはとんでもない誤解だ。これはより直接的な競争状態に作家を叩きこむものだ。イクストルーダーが普及すればするほど、作家の評価はダウンロード数イコール発行部数となる。出版社が予め見込みで部数を決める必要がなくなれば、無駄な発刊も在庫もなくなる。作家の力量は出版社の見込みを失くした、より純粋なダウンロード数で比較されるようになる。

 そして出版社と世間は、真に対価を払うべき作家は意外なほど少ないということに気づき始めている。

 経済的なメリットが大きければ、新興であろうとインフラに食い込める。十年も経たずに携帯電話が前提の世界が出来上がったように、携帯電話からスマートフォンへ三年と経たず移行できたように。

 本屋以外にもコンビニ、駅ビル、遊園地。ATM大の装置は置き場を選ばない。中には電車からスマホで印刷を予約し、下りた駅ですぐに受け取るといったスタイリッシュな使い方をする者もいる。彼らがイクストルーダーを使ってくれればくれるほど、僕とコノテイトの活動資金が潤沢になっていく。

 イクストルーダーを開発提供しているのは、その名も株式会社イクストルーダー。イクストルーダーのためだけにコノテイトが作った会社だ。僕もコノテイトもこの会社の役員ということになっている。とはいえ彼女は偽名を使っているが。

 人工知能に株式運用などの経済活動をさせる試みは昔から行われていたが、実地で人間社会に溶け込んだコノテイトは、既に会社経営のノウハウも学んでいる。おかげで僕は一種の不労所得階級になれた。実家の本屋すら開店休業にして昼間からのんびり散歩して、好きな時に小説を読んで過ごしていられる。

 コノテイトが会社を立ち上げて三年。日本の総書籍発行部数は七億を割った。ちょうど七十年代辺りがこのくらいの発行部数だったのだが、実売総額はそのころの十分の一の約五千億まで低迷している。とはいえ少し前までは、新刊部数が伸びているのに実売総額が下がるという歪な状態だったから、両方下がるようになって健全化されたとも言える。この効果をもたらしたのもコノテイトの手腕だ。

 市場が健全化されれば自ずと縮小する。純粋な競争状態は個々人の力量を高めるだろう。当然のように作家と認められるためのハードルも引き上げられていく。作家に相応しいものはより相応しく、相応しくないものは容赦なく切り捨てられる。

 つまりは質のために量を犠牲にしている段階だ。この価値観が多様化した現代で、それは致命的な限界だ。如何に村上春樹が人気作家でも、日本中の書籍を席巻することはできない。多くのスマッシュヒットを放つ百田尚樹も、全てのジャンルでベストセラーを書けはしない。誰だって池井戸潤も読みたいし、宮部みゆきと綾辻行人では同じミステリーでも作風が違うし、長谷敏司の先鋭的な未来観に痺れ、森見登美彦の煙に巻くような語り口に翻弄され、横山秀夫の圧倒的なスケールのサスペンスを前にして自分を見つめ直したい。

 作家の絶対数を縮小し、創作の質を高めていく。日本の出版業界はそのような方向へシフトしている。決して間違いではない。だが消費者はそんなものでは満足出来ない。そして忘れてはならないのは、今の消費者の中から次代の作家は生まれるのだ。人を減らし、多様性を失くした業界の未来が大きく広がっていくなどという虫のいい話が、純粋な競争下に転がっているはずはない。

 加えてコノテイトが味わっているような、本当に純粋な競争に耐えられる人間というのは少ない。人間の社会はそれほど単純ではなく、殺伐ともしていない。情緒もへったくれもない実に人工知能らしい無機質なやり方で、コノテイトは発信される娯楽の絶対数を減らそうとしている。

 さらにはget seriousを中心としたブログやツイッターによる若者の潮流を、娯楽の拒否へと向かわせている。こうしたネットを介しての扇動は彼女の真骨頂だ。彼女が流すテキストの全てに、僕のつまらない要素が入り込んでいる。何もかも陳腐化する僕のつまらなさがコノテイトの技術によって糊塗され、売れて、買われて、読まれて――感染していく。

 僕の文が読まれていく。小説が大好きで、何も報われず憎んでいるつまらない文が人々に沁み込んでいくと思うと、僕の自己顕示欲はぱんぱんに膨れ上がって今にも破裂しそうだ。

 コノテイトと僕のテキストが徐々に日本を侵していき、get serious運動もますます広がりを見せ、小説の衰退は目を覆わんばかりである。僕が主に世話になっていた秋川出版は、ドル箱だった笹野を失い一年と経たず倒産。作家たちは他の出版社に拾われていった。しかしそういった連中は他のレーベルでも活躍している、言わば平均的作家階級であり、荷物どころか重石にも使えやしない僕のような底辺作家は、大手どころか零細にすら引き取りを拒まれてしまい、晴れて作家廃業となった。

 あれほど憧れていた職業だったのに、そうではなくなってみても落胆は少なかった。コノテイトのおかげで私生活が充実しているというのもあるだろうが、商業小説というジャンルに僕自身が魅力を感じなくなっていた。

 これこそコノテイトの言っていた憎しみなのだろう。日本の出版業界で僕の小説は受け入れられなかった。必死にしがみついてきたけれど、何も報われなかった。自分が時間と精魂を込めて作り上げたものがつまらないと否定され続けたのだから、いい加減嫌にもなるというものだ。

 だがそれは仕方ない。覆しようのない事実なのだから。僕の書く文章はつまらないのだ。それは言語学的な研究においても証明されたのだから納得するほかない。納得したうえで、僕は僕の文章をばら撒いてる。見るに堪えず、読むにも堪えぬつまらない文章を――

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