第4話

 自宅の本屋に帰ると、僕はカウンターに入ってパソコンを開く。僕の本職は父から継いだ本屋ということになっている。作家はあくまで兼業だ。

 バイトを雇う余裕もないので店は一人で切り盛りしている。僕は両親が四十過ぎてからの子供だったので、成人したとき両親はもう六十を過ぎていた。父はずっと本屋業だったが、五年前に膵臓がんを患って亡くなった。母は存命だが認知症を患い、東京郊外の療養施設に入っている。

 父の蓄えのおかげで母の医療費は心配ない。このまま地道に本屋を営んでいれば僕が食べていくのも何とかなる。暢気な一人暮らしの自営業ということだ。そんな余裕でもなければ、今ごろ作家なんぞに現を抜かす暇もなく働いていただろう。

 ウチの本屋は決して儲かっているとは言えないが、一定の需要がある。ここは複数の大学に囲まれる立地となっており、それらで使われる参考資料を主に取り扱っている。シーズンになると論文やテスト勉強を後回しにしていた物臭な大学生たちが、教授の指示した本を買い漁りに来る。その他にも大学生が好みそうな本を置くようにしているのでそれなりに売れている。普通の書店にはないコノテイトの本をわざわざ仕入れているのもそのためだ。

 そうした大学にもget seriousのサークルが存在する。大学生の動向は本の売り上げに直結するので調べざるを得ない。情報としては取り入れていたつもりだったが、まだまだ理解が足りていなかった。だが笹野と話したおかげで新たな着想があった。

 笹野に見せた原稿を置いて、僕は新しい小説に取り組むことにした。get seriousを題材にした近未来予測型SFが良さそうだ。get seriousの娯楽を否定している部分を発展させ、何の楽しみもないディストピア社会を描いてみたい。その中で人はどう振る舞うのか。そしてどんなドラマを生み出そうか。考えるだけでワクワクしてくる。

 この醍醐味があるから執筆はやめられない。だがそれも完成させるまでには生みの苦しみでのたうち回ることになる。

 いつものようにカウンターに設置したパソコンで執筆する。店番も兼ねているので、僕はもっぱらここで小説を考えたり書いたりしている。

 からんからんとドアに付けた鐘が鳴った。見れば女の子が一人、おずおずと入ってきている。ウチの本屋は店先を開放していない。ドアを着けたり内装を綺麗にしたり、一見するとカフェのようにおしゃれな雰囲気をしている。無論わざとそうしている。目に見える部分くらいは綺麗にしておかないと大学生が寄ってきてくれない。この女の子もそんな見た目に誘われて見てみようと思ってくれたのかもしれない。

 この辺りだと工学院大学だろうか。あまり気にかけても仕方がない。服屋のようにあれやこれやと訊ねるわけにはいかないのだ。静かに自分のペースで探してもらうのが一番いい。僕も小説のアイデアを出すのに集中できる。

 女の子は店内を見回ったあと、カウンターへ歩いてきた。

「すみません。『内包世界の外と中』って置いてありますか?」

 聞かれて僕は少し驚いた。女の子が探していたのはコノテイトの著作のなかで、僕が店頭に並べていなかったものだった。そして僕にとっては複雑な思いのある作品でもある。

 『内包世界の外と中』はいわゆる異世界ファンタジーなのだが、そこからミクロな世界に向かったり外宇宙から敵が来たりと、異世界とその他の世界が作用し合うギミックが組んである複雑な作品だ。

 これは僕が『異世界のせかいの異なるセカイ』でやりたかったこととほぼ同じだった。

 僕と同じようなアイデアを人工知能が選択したというのが興味深く、そして嬉しかった。パクられて悔しいという思いもないではないが、コノテイトが僕なんぞのテキストを取り入れているわけがない。単純に二人の作家が近い時期に同じような構想を得るに至ったのだ。しかもその片方は人工知能だ。僕のアイデアが機械に模倣される程度だとも言えるが、いずれにしろコノテイトが僕と同じような感性を持っていたというのが面白い。

 そういう思いから、何となく店頭には並べなかった。だが売り物としては仕入れてある。僕が奥からその本を持ってくると、今度は女の子の方が驚いていた。

「すごいですね。書籍化されているのは殆どある」

「よく売れるんで仕入れているんですよ。東京でこれだけ揃えているのは多分ウチだけでしょうね」

 確かにコノテイトの本をこれだけ揃えている本屋は珍しい。出版社を通していないので普通の書店ではまず置いていないのだ。

「あくまで研究機関の実験ですから。枠組みとしては自費出版なのでISBNコードもついてません」

「じゃあ国会図書館には入らないんですね」

 たまたま入ってきた一見様と思っていたが、認識を改めないといけない。この子、なかなかマニアックなことを知っている。結構な本読みに違いない。

 ISBNコードとはインターナショナル・スタンダード・ブック・ナンバーの略で、世界的な書籍管理番号だ。この番号が入っていない書籍は基本的に全国の書店には配本されず、通信販売もされない。無論、日本全国の書籍を保管している国会図書館にも保管されない。つまりコノテイトの書籍は流通系統としては雑誌や自費出版と同じ扱いなのだ。こうしたことは少し調べれば分かることだが、その少しがマニアックな本読みかそうでないかを分ける。

 女の子が中身を確かめるように本を流し読んでいると、妙なことを聞いてきた。

「もしかしてget serious運動をやられているんですか?」

 確かにget seriousに参加している者はコノテイトの本を好んでいるらしいが、コノテイトの本を読んでいればイコールget seriousということになるのか。案外、世間の理解と言うのはそういうものかもしれない。

「いや、そういうのには参加してないよ。学生運動に参加するような年じゃないんで」

「get seriousは学生運動とは違いますよ」

 女の子は少しむっとして言い返した。さっきの質問は僕のような年の男がget seriousに参加しているのかと小馬鹿にしているんだと思ってしまったが、どうやら穿ちすぎたようだ。むしろ彼女のほうがget seriousに参加しているのだろう。そこのところを聞いてみるのも面白そうだ。

「例えば、どこが違うんです?」

「get seriousはかつての学生運動のように革命を標榜したりしません。ましてや共産思想なんて眼中にもないし、デモ活動とかもしてないんです」

「なかには昔あったSEALDsとかと同一視する人もいるけれど?」

「現体制への不満は多分ありませんよ。少なくとも運動の原動力ではない」

「既存の娯楽の否定。それが君たちに主張だったね」

 女性は肩を竦めて首を振る。どうやら呆れられてしまったらしい。

「正確に言うと否定ではなく拒否です。私たちがそういうものを求めてないというだけ。本来は運動と言うほどのものではない、静かな主張なんですよ。元々西側諸国からの潮流を組む思想ですが、あちらでは運動などとは言われていませんよ。単なるトレンドです」

「何だか昔のスチューデント・パワーみたいだ。でも実際はロハスやミニマミストとかのスローライフ主義が衣を変えただけじゃないのか」

「遡ればそういうことなんでしょうが、日本では若い人に流行っている。水に合ったんでしょう、この主張が。虐げられた無気力な若者たちの静かな抵抗がこれなんです」

「虐げられた、ねえ」

 やはりこういう生の声を聞いてみるのは良い。本やネットで調べているだけじゃ分からない感触がある。それにしても水に合ったとは面白い言い方をする。虐げられた無気力な若者の感性にget seriousが適応した。活発に拒絶し否定するのではなく、こちらから何をするでもなく、ただ拒否する。そういうものはいりません。ただそれだけ。確かに運動でも何でもない。

「本屋さんもゆとり世代とか言われてたんじゃないですか。草食系だの若者の何々離れだのと、いまだにそんなものがニュースで取り上げられて、社会学者が真面目くさって論う。馬鹿にしているとしか思えませんよ」

 心底うんざりしているのだろう。普段から他の大人たちからも言われているのかもしれない。

 僕も確かに若いころは言われていたが、未だにその風潮があるとは思わなかった。実はゆとり教育が見直されてからの子供だが、それでも上の世代には関係ない。一括りにゆとり世代と言われてしまう。確かにその手の悪態には正直飽き飽きだった。若い奴らには覇気がないだの我慢が足りないなどといいながら、そういうものを奪っているのは言っている当の大人たちなのだ。

 若者人口が低下しながら、その若者の多くがワーキングプアと呼ばれる低所得層となり、あらゆる消費志向が減退していった。経済的な自由が奪われれば生活様式を縮小しなければならない。衣食足りて礼節を知るではないが、豊かな生活が出来ない状態では覇気も我慢も日々の生活の中ですり減ってしまう。

 get serious運動の根底にあるのは、こうした怒りかもしれない。それを表現するのにデモ活動などを用いないのは慎ましい美徳ということだろうか。彼らは既存のものに興味がない。社会がどう自分たちを見ているかなど眼中にないのだろう。協賛も非難もいらないのだ。

 笹野が気になっていたのはこの雰囲気かもしれない。激しい主張もなく普通に過ごしていく姿はより本質的で、人間性に素直な態度に見える。共感もできるし受け入れられるのだが、僕が大学生だったらそんなものに参加しなかっただろうと思う。自分の好きな小説の世界に閉じこもり、しこしこと気持ちの悪い二次創作を書いていたころだ。外の世界に目を向ける余裕などないので参加のしようがない。

 今でもやっていることはあまり変わらないが、若い時こんなに可愛い子とお近づきになれるのならホイホイとついていくだろう。大学生だから二十歳前後か。その若さを差し引いても魅力的な容姿だ。僕の好みというよりは客観的な分析である。眉毛と鼻の下で人の顔を横に三分割し、その比が1:1:1なら凡そ美人の黄金比に倣う。この子の顔の造りはそれに忠実に見える。他のパーツも特に破綻は見られない。アイドルやモデルにいても特に不自然ではないレベルだ。こういうシンボルになれる存在がいると興味も持ちやすいだろう。

「本来、無欲であることは良いこととされてきたじゃないですか。たくさんの童話や寓話で言われてますよ。私が納得いかないのは、そういうものを子供たちに言い聞かせてきた大人たちが、今度は違うことを言い出してるってことなんです」

 当たり前だが美人は怒っても美人だ。こんな小さな本屋の店主にも熱く主張する青い情熱とこの美しさに当てられたら、誰だって真面目になろうと自省してしまう。

「十年若かったら参加してたかもしれないな」

「大学生が多いからといってそれ以外の人がいないわけじゃないですから。どうです。参加してみませんか」

 言われて僕は少し思案する。確かにget seriousへの関心が高まってはいたが、まさか実際に参加しようとは思っていなかった。だが今は参加してもいいのではないかと傾き始めている。

 大勢で練り歩くようなデモは行わずとも、こういう草の根的な活動は行っているのだろう。ヘイトスピーチをまき散らしたり、歌に乗せて政治を非難してるよりよっぽど地道で好ましい運動だ。このように考える時点で、僕はget seriousに参加する気持ちを固めているのかもしれない。

「一度見てみようかな。けっこう共感できるところも多い」

「はい、ぜひ。私、冨野千恵子って言います。今度一緒に見学行きましょう」

 彼女は実に晴れやかに笑った。こうも喜んでもらえるとこちらも気持ちがいい。これでget seriousを取材できれば小説の構成も進むだろう。

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