第2話

「なんだか最近、作家が減ってないか」

 原稿をしまっていると、笹野がそんなことを呟いた。

「そうか」

「お前ホント世間に疎いな。本屋に籠ってるからだぞ」

 好き放題に言われても言い訳はしない。その通りだと思っている。僕も本当に、作家が減っていると感じていた。実家の本屋に籠っている僕でも気づくのだ。売れ線作家の笹野が興味を持たないわけがない。

「ラノベ作家なら大体四、五年で半分になると言われている。全体だともっと回転が速い」

「今じゃ三年で殆ど残っちゃいないよ。昔は四年もやれば安泰って感じだったのに」

「出版業界の斜陽は今に始まったことじゃない。どんどん新人に厳しい状況になってくよ。でも新人賞の募集は増えてる。だったらやることは一つだ」

「育成度外視でどんどん新しいのを入れてく。第二次世界大戦のロシアみたいだな」

 正直笹野の冗談は笑えない。つまり新人など畑で取れるということだ。豊作でも良作かどうかは分からないが。

 小説賞への応募は概ね増加傾向にある。芸能人の受賞や、元はフリーターやサラリーマンだった人が作家としてベストセラーを出したケースがメディアに取り上げられ、顰に倣おうとする人が増えたのだろう。全くもって愚かなことだ。その浅はかな功名心を出版社に利用され、貴重な時間と情熱を注ぎこんだ愚にもつかない処女作を送ることになる。

 出版社はそんな玉石混交の中から悠々と売れる小説だけを選ぶことが出来る――最近は個性のある小説が減っただの、活字離れで出版不況が激しいだのと勝手なことを言いながら。

「毎年大量の新人を預けられる出版社も可哀想だけどな。まともに面倒なんて見てられないだろ」

「面白いよな。こんな博打な商売、いいことないぜ。クレジットカード作るのも一苦労なんだ。まともに働けるならそのほうがいいに決まってる」

 確かに作家から見れば、この世界に憧れる一般人は奇異に映る。特に笹野のような人間にとってはそうだろう。だが一般人から見れば、作家という職業にはまだまだ憧憬がある。例えバイト暮らしのほうが稼いでいけるとしてもだ。

 むしろそうした人間こそ、バイトの片手間でちょちょいと小説を書いて夢を叶えつつ生活の助けに、という皮算用を引いている。

 賢しらな計算事でそれらしく整えただけの新人作品が多くなれば、相対的に作家の質が落ち、強いては小説というコンテンツそのもののクオリティが落ちていく。僕みたいなのに末席を汚させているのが良い例だ。

 ――というような意見を述べてみると、笹野は段々と不機嫌になっていった。

「……お前、本当は調べてたんだろ」

 自分が振った話題に僕が易々と着いてきたのが気に食わないのだろう。眉根をひそめて言ってくる。

 笹野には少し幼稚な部分がある。僕は笹野のこういう一面が大好きだ。大作家先生も所詮は一人の人間なのだと再認できる。褒められた趣向ではないが、彼も僕の自虐を楽しんでいるのだからおあいこだろう。

「そんなの本読んでりゃ分かるって。今さら嘆いても仕方ないだろ」

 小説の堕落に警鐘を鳴らす小説はいくらでもある。小説以外の本も、他のメディアも言っている。もはや娯楽として小説は古いと。テレビやネットやアニメやマンガやゲームにその役目を奪われたと。

 概ねその通りだろう。言い訳のしようもない。情報量が断然に違い、使用される五感の種類でも勝てない。さらには制作に取り組む人数、掛けられる予算も小説とその他の娯楽では桁外れだ。ときに一億ドルを超えるハリウッド映画と同じ予算で書かれた小説など商業的に考えられない。例えばディズニー映画『ベイマックス』などは脚本家を二十人近く集めて一つのストーリーを練り上げていた。編集その他がいるとはいえ、基本的に一人で綴られる小説とはコンセプトそのものが違っている。

 小説が命脈を保っていられる理由の一つは、そうした娯楽の上位存在としての意味合いがあるためだ。他の媒体の原作となることで事前に顧客を囲い込み、予め売上予測を立てるための指標。商業的には非常に重要な意味を持っている。それもマンガやゲームのノベライズなどがあるから絶対とは言えないが。

 娯楽媒体は上下が複雑に入れ替わるとはいえ、基本的には渦のような構造をしている。時間的にも次元的にも、上から下へ緩やかに旋回していく。八十年代のアニメやマンガ、映画に音楽を味わった子供が二十年を経て働き盛りとなり、かつて得たものを工夫し再生する。文学で得たものが小説に、小説がライトノベルに、ライトノベルがweb小説、ケータイ小説へと下っていく。その構造を打破できるブレイクスルーは、新たな渦となって異なる旋回と下降に周囲を巻き込んでいく。まどかマギカが流行したあと、シリアスでシビアな世界観にかわいい魔法少女を投じる手法が確立したように。涼宮ハルヒ以降、冷静で斜に構えた巻き込まれ型主人公が市民権を得たように。

 そうして下がり、下がり、下がり――構造的な底面へと達しつつあることを皆が薄々気づきはじめているのかも知れない。娯楽としての小説は飽和を迎えているのではないかという不安が、うっすらと世間を覆っているように思える。

「お前、そんなこと考えながら小説書いてるわけ?」

「当たり前だろ。あれこれ考えてるのが溢れて小説になるんじゃないか」

 ふうんと生返事を返す笹野。底辺作家の小説論ほど空しいものはない。ましてや相手が売れっ子作家とあっては全く響くところがない。

「そこまで知ってて書けないんだから、本当に面白いな。江田は」

「書いてはいるさ。モノにならないだけで。それにお前は調べなさすぎる。フィーリングで書き過ぎなんだよ」

「面白けりゃいいんだ。無駄に理屈こねるとこじんまりしちまうだろ」

 いちいちごもっともでため息も出ない。細かな齟齬や間違いなど、自分の面白さで押し潰してしまえばいいという自信がある笹野だからこそ言えるのだ。

 面白い。小説の価値は結局のところ、その一点に集約する。面白いと思うものに触れたいという欲求を満たし続ける。娯楽の役割はそのように慎ましやかに、かつ多様なだけでいい。

 笹野はそれを見事に満たし続けている。彼の『面白い』は大衆を手繰り寄せる腕力を持っており、誰もがそれに従う。価値観が多様化したとはいえ、時代に選ばれる作家というのは存在する。間近で見てきた僕にはそれが分かる。今の笹野は出版業界における一つのトレンドだ。

 いっそ彼のコピーキャットにでもなってしまえば稼げるのだろうが、それはさすがに作家としての矜持が許さない。というよりは技術的に彼の模倣が僕には無理なのだ。天才は模倣の対象とはならない。凡才以下の人間にとっては害毒以外の何物でもない。

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