第三章 背中合わせのライラ④【書籍用改稿版】
千尋と別れ、彰文は自宅へともどった。
もちろん、東京のマンションではない。
生まれてから中学二年まで暮らした家だ。
そして二階にある自分の部屋に疲れた足取りで階段をあがる。
「おかえりなさい、彰文さま!」
弾けるような声がして、部屋の扉が内側から開く。
姿を現したのは、ライラだった。
彰文のパートナーである。
そして題名の通り、彼女もまたこの作品の登場人物だ。
夢のなかでライラと会ったとき、彼女はこの部屋にいた。
本の悪魔が用意したらしい。
なぜ、この部屋なのか不思議だったが、つまりはこういうことだったのだ。
「また繰り返すのですね……」
ライラが悲しそうに見つめてくる。
「千尋さまを救う方法は、本当に見つかるのでしょうか?」
「わからない……」
彰文にはそう答えるしかない。
「だけど、千尋は考えがあると言っていた。そしてライラに僕とキスをさせた」
授業中に微睡んでいたあのとき、彰文はたしかにこの作品世界に来ていたのだ。
本の悪魔が言ったとおり、無意識にアカシックレコードに入ったのだろう。
そこでライラと出会った。
そして一緒に〝栞〟から出ている。
あのあと、この作品世界は千尋とともにアカシックレコードから消え去った。
だが、ライラのことは、かろうじて覚えていたのである。
ライラの記憶だけ、現実世界に連れ帰ったのだと思う。
「千尋さまは、それしかないと仰っておられましたから」
「だから、きっとあるんだよ」
彰文はそう信じて、同じ物語を何度もループしている。
「千尋もどこかでそれを望んでいる。だから、僕を呼び寄せたんだと思うんだ」
「はい……」
ライラが寂しく微笑む。
「ですが、わたしはこの作品世界では、彰文さまを誘惑する夢魔です」
ライラがそう言って、うなだれた。
ブランコで千尋と別れたあと、家に帰った彰文の前にライラは姿を現す。
作品的には、今が初対面のシーンなのだ。
作中の彰文とライラとのあいだに、どのような会話があったかは、だいたい想像がつく。
だが、それを再現するつもりはない。
それでもシミが現れないのは、ライラがまだ彰文のパートナーだからだ。
それがとても心強く思える。
「わたしとキスをすれば、彰文さまの大切な人が、千尋さまが失われます」
「うん……」
彰文はうなずく。
「ラストシーンで、彰文さまはわたしとキスをします……」
「うん……」
ふたたびうなずく。
「そして、わたしも消えます。いつか彰文さまが、本当に愛する人ができたなら、それがわたしだと言い残して……」
「千尋が言ったとおりだな。この作品は決別の物語なんだ」
彰文はため息をつく。
作中の片倉彰文は穂村千尋と背中合わせの存在であるライラに心を惹かれてゆく。
そして作品のラストでライラとキスをし、千尋のことを忘れてしまう。
この作品世界で、もしライラとキスをしたらどうなるのだろう?
彰文は怖くて試せていない。
だから、最後の頁をめくらず、いつも最初の頁にもどってきた。
それを延々と繰り返している。
「わたしは彰文さまが好きです。キスをしてほしいと思っています。いえ、それ以上のことだって……」
そしてライラは顔をあげ、彰文を見つめてきた。
赤い瞳が涙で潤んでいる。
「わたしは千尋さまを消し去るためだけの存在なのでしょうか?」
その言葉を聞いて、彰文は思わずライラを抱きしめた。
作品の修正力を受けているのだろうか?
彰文もライラに惹かれている。
「違うと思うよ」
彰文はライラの翼を優しく撫でながら言った。
「く、くすぐったいです」
ライラが身体をくねらせる。
「たしかに、ライラと千尋は背中合わせかもしれない。だけど、それはこうとも読める。ライラは千尋がなりたかったもうひとりの自分なんだ」
初めて、この作品世界に来たときは、彰文もひどく辛い気分になったものだ。
あの日、勇気を出せなかったことを責められているように感じたから。
だが、何度か物語をループするうち、ライラは千尋の夢かもしれないと思うようになった。
彰文を誘惑する夢魔であっても、彰文の夢である必然性はない。
千尋なら、それぐらいの言葉遊びは作品に入れてくる。
「だから、ライラが僕を好きでいてくれるのは、とても嬉しいんだ。この作品が、千尋からのラブレターに思えるから」
「そうでしょうか?」
自信なさそうに、しかしすこし嬉しそうにライラが言う。
「この先、僕とライラは一緒に卒業式までの半年を過ごすことになる。もちろん、シーンは限られているけれど。ライラはライラらしくしていいんだよ」
「わかりました……」
ライラが笑顔でうなずく。
「ですが、彰文さまにとって、わたしは千尋さまの身代わりかと思うとすこし複雑です」
「身代わりじゃないな……」
彰文は苦笑する。
「千尋とライラはやっぱり別人だよ。そして僕はライラも好きだ」
「彰文さまは浮気者なんですね」
ライラはじとりとした視線を向けてきた。
「そうかもしれないな……」
彰文は苦笑する。
「いろいろな作品に好きな女性キャラがいるしね。だけど、現実では千尋以外に考えたことはなかったんだ」
「古川栞奈さまは?」
ライラが訊ねる。
「それは、ネタバレというんだよ……」
彰文は顔をしかめた。
この次の節、物語の舞台は彰文が中学二年まで通っていた学校になる。
文芸部の後輩、古川栞奈から〝告白〟されるシーンなのだ。
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