第三章 背中合わせのライラ②


 “悪魔の書架”のポータルは、何度来ても、不思議な場所だった。


 まず、広い。

 床はあるが、天井と壁がないのだ。

 空に雲はなく、一様に薄暗い。

 どちらを向いても、外壁のすべてが書架になっている塔が真正面に見える。

 塔は無限の高さがあるようで、上のほうは闇に溶けこんでいた。


 ここが、現実ではないことを実感する。

 あるいは、そのために、あえてこんな場所にしているのかもしれない。


「お待たせ……」


 すこし遅れて、かりんが姿を現した。

 浩太郎もだが、かりんも昨夜までと同じ制服姿である。

 こちらでのアバターなのだ。


 かりんがドレス姿でなくて、浩太郎は内心ほっとする。

 部屋であったことは、とりあえず忘れることにして、浩太郎は豪華な応接室のような赤い絨毯が敷かれ、古めかしい調度品が並ぶ場所に立つ“本の悪魔”のところへ走った。

 かりんが後に続く。


「彰文になにを言った?」


 悪魔と正面から向き合うと、浩太郎は怒鳴るように訊ねた。

 彰文になにがあった知らないが、その原因は悪魔にあるに違いないのだ。


「彰文氏が求めていた答を伝えたのだよ……」


 悪魔がそう言って、手にしてい書物を差し出してくる。

 浩太郎は表紙を覗いてみた。


 『背中合わせのライラ』というタイトルが記されている。

 作者の名前はどこにもない。


「ライラって、彰文のパートナーのことだよな?」


 まず間違いないが、浩太郎はかりんに意見を求めてみた。


「でしょうね」


 かりんがうなずく。


「その作品は一昨日、突如として現れたのだよ……」


 悪魔がそう切り出し、昨夜からのことを語りはじめた。


 この作品を、彰文に見せたこと。

 この作品がひどくシミに侵されていること。

 彰文はライラと相談し、この作品世界にふたりだけで入る決断をしたのである。

 作品に入ったのは、現実の時間で今日の二十二時。

 そして未だに帰ってこないということ――


 現実では、さほど時間は経っていない。

 だが、こちらの世界では時間の進み方が違う。

 ゼロではないが、わずかな時間で、こちらでは多くのことができる。


 かといって、今のようにかりんが数秒遅れて入ってきたとしても、そのあいだに長い時間を待つわけではない。

 空間もそうだが、時間も不思議なのだ。

 彰文に何事もなければ、帰ってきていてもおかしくない。


「俺たちも入ろう」


 浩太郎はかりんを振り返った。


「ええ……」


 覚悟の表情でかりんがうなずく。


「それはできない……」


 だが、悪魔がそれを否定した。


「なんでだよ?」


 浩太郎は悪魔を睨みかえす。


「彰文氏が入ってすぐ、その作品は扉を閉ざしたのだ」

「閉ざした?」


 浩太郎は悪魔から本を奪い取った。

 そして表紙を開こうとしたが、まるで糊でかためられているように、どのページも開かない。


「余人は入れるつもりはないという意思表示だろうね」

「いったい誰の意志なんだよ!」

「私には、それを答えることはできない。あえて言うなら、私の管理外にある何者かの意志だろうね」

「たしかに、答じゃねぇな……」


 浩太郎は吐き捨てる。


「シミについては、まだまだ分からないことが多いのよ。爆発的に発生したのは、ここ二年ほどのことらしいから……」


 かりんが宥めるように声をかけてきた。


「シミ自体は作品を蝕むバグとかウィルスだから、意志は特にない。キャラクターに取り憑くと、昨夜のアーミリカみたいに自我のようなものを感じることはあるけどね。ただ、何者かが意図を持ってシミを送りこんできていると、クリエイターたちは推測している」

「推測なのか……」


 浩太郎はため息をつく。

 白黒はっきりしないところが、もどかしい。


「今のところね。ただ、『レディ・ドラキュラ』世界のシミの核は、“反魂の姿見”だったでしょ? あれにシミを送りこんでくるって、すごく狙っているとは思わない? それ自体は、小道具ガジェツトにすぎない。でも、その設定を逆転させただけで、作品世界が大きく狂った。私たちがトリガーになってしまったけど、放置していても、すぐにヒロインまで汚染が広がったと思う」

「シミを送りこんでくる誰かって、人間なのか?」

「SF系のクリエイター仲間は、異星の精神生命体の可能性もあると言っている。電波望遠鏡を通じて侵入し、ネットワークを入りこみ、アカシックレコードを乗っ取ろうとしているって……」

「マジか!」


 浩太郎はちょっと興奮した。

 相手が異星人なら、戦うしかないと思う。


「あくまで可能性よ。ミステリ系のクリエイターは、犯人は人間だと断定している。私もそっちの意見」

「相手が誰にせよ、この『背中合わせのライラ作品』ってのは、あきらかに罠だよな? 彰文を誘いだすための」

「そう思う……」


 かりんがうなずき、そのまま顔を伏せる。


「くそっ!」


 浩太郎はひとしきり悪態をついてから、悪魔を振り返った。


「なんで、この作品のことを彰文に教えた? なんで、彰文を止めなかった? こうなるって、わかっていただろう?」

「彰文氏が求め、彰文氏が決めたことだ……」


 悪魔が静かに答える。


「危険であることは、もちろん伝えたよ。だからこそ、彰文氏はひとり、いやライラくんとふたりで入ると決めたのだ。彰文氏からは、君たちには伝えないでくれと言われているのだがね……」

「彰文くんに、なにかあった場合には、私たちは彼の存在を忘れてしまう。そのほうがいいと考えたのね」


 かりんが涙声で言う。


「馬鹿野郎……」


 浩太郎は拳を強く握りしめた。

 だが、殴ってやりたい相手は、閉ざされた作品世界のなかにいる。


「だが、俺たちは、彰文のことを覚えている。あいつはまだ消えちゃいない」

「そ、そうよね!」


 かりんが涙を指で拭い、顔をあげた。


「そのとおり。だからこそ、君たちに来てもらったのだよ……」


 悪魔が浩太郎とかりんを交互に見ながら言う。


「どうか、彰文氏の存在を忘れないでほしい。そして、こちらの世界に帰ってくるよう祈ってほしい。それが繋がりとなるかもしれないからね」

「祈る?」


 浩太郎は意外な気がした。

 悪魔の言葉とは思えない。


「私にはできないからね……」


 悪魔がつぶやいて、塔を振り返る。


「夢、願い、欲望、探究心、それらは人類が叡智を育んできた原動力だ。創造者だけが持つ特別な力ともいえる。それゆえ私は諸君らに畏敬の念を抱いている。遙かな昔、ヒトが知恵を持ち、その精神ネットワークが形成されたときに、私は生まれたのだから……」

「アンタが、アダムとイブに知恵の実を食べるようにそそのかしたんじゃないのかよ?」


 浩太郎は疑いの目で悪魔を見る。

 聖書が伝える蛇は、悪魔サタンの化身ともされている。


「その喩えを借りるなら、アダムとイブが知恵の実を食べたから、私という蛇が生まれたとなるだろうね」

「そこは、まあ、信用するしかないからな。それが本当かどうかなんて、どうせ分からないし……」


 浩太郎は鼻を鳴らした。


「で、俺たちはこの本に呼びかければいいんだな? とっとと帰ってこいって」


 浩太郎はかりんと顔を見合わせ、うなずきあう。

 ふたりで一緒に『背中合わせのライラ』という作品を持つ。


 そして呼びかけた。


「彰文! 帰ってこい!」

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