第140話 監獄島ゼイレム

 女神の塔から飛び立ったクゥーエルは、急くような忙しない羽ばたきで女神ルミナスの囚われている島へと向かった。

 ルナリアが言っていた通り、その島はユグドラシル大陸から北西に位置する海上に存在した。

 海域全体が黒い靄に覆われ、恐らく魔王城のある南西の方角はその濃さのために全く向こうが見通せない。

 しかし目的の島全体も渦を巻く黒い霧に覆われてはいるものの、霧の隙間から不気味なほど赤い光が漏れているため、ここが件の島であるのだと確信する。


「よし、では島に降りるとしようかクゥちゃんよ」


 首筋をポンポンと叩いて見るも、嫌がるように首を引くだけで降下しようとしない。だが行きたい気持ちはあるのだろう。翼を勢いよく扇ぎかけ――やはり辞めてホバリングの繰り返し。終いには「クゥ……」と鳴きうな垂れてしまった。


「これは困ったぞ、クゥーエルが降りてくれないではないか」

「もしかしてあの島覆ってる霧がイヤなんじゃねえのか?」

「まずはアレをどうにかする必要がありそうですね」

「魔法で消し飛ばしてみる?」

「あの範囲ならクロエちゃんだね、ここは頼んだよ」


 任せてと口元に微笑を浮かべたクロエは、クゥーエルの眼前に白く輝く大きな魔方陣を展開する。「――プルヴィスセレネート」魔法名とともに無数の小さな輝きが煌めくと、ものすごい勢いで島に向かって飛んでいく。

 流星のような光が、まるで紙に書いた文字を消すように靄をそして霧をサーッときれいに消し去った。

 「おおっ!」と成功したことを喜びかけたのも束の間。

 周囲の靄が島へ集まり出し、また霧を形成しようとしていたため、急いでクゥーエルを島へと降下させた。

 島の草原へ降り立った直後、黒い霧が完全に空を覆う。

 出ていく時にはまた払わねばならんことを考えると、面倒だな……。

 クゥーエルから下りてわしらは周囲を観察する。

 草木が枯れ果てた草原は、空の暗さも相まってまさに色のない死の大地。ところどころ毒の沼も湧き、あまり長居したくない陰気臭さだ。

 そして島の奥へと続く一本道は、頂でメラメラと燃える小高い丘へと伸びている。ここからではよく見えんが、あれが例の紅魔炎の結界だろう。

 魔物の気配を探りながら、緩やかに傾斜する坂道を歩き丘の頂へ至る。

 イグニスベイン戦を思い出させる紅蓮の炎が、石造りの堅牢そうな建物全体を覆っていた。


「あやつが死してなお燃え続ける魔力の結界か」

「こいつが紅魔炎の結界……」


 個人的に思うことがあるのだろうライアの呟きを余所に、ベルファールがおもむろにわしらの前へ立つ。その手に魔炎剣クリムゾンラウヘルを携えて。


「少し離れていろ、巻き込まれたくなければな――」


 言われた通りに距離を取り、わしらは彼女を見守る。

 ベルファールが剣に魔力を送ったところ、爆裂しながら炎が噴き上がった。それはもう業火をギュッとしてジャッと引き伸ばしたような驚異の塊だ。

 そして何食わぬ様子で剣に禍々しい黒紫のオーラを纏わせたことに、わしは焦り思わず目を瞠ってその背に声をかけた。


「お前さん、その魔法はまさか前にドラゴニルで使った禁術なのではないか?」

「頭悪そうな顔のわりによく覚えていたな」

「頭悪そうな顔は放っておけ。それはともかく、大丈夫だろうな? 監獄ごと吹き飛んだりせんだろうな? ルミナス嬢を助けに来たのだぞわしらは?」

「そんなことは知らない、無事でいられるかどうかはあの結界にでも聞け――ヴォーパルアルカリス!」


 斬撃が見えないほどの速さで振り下ろされる大剣。炎を纏わせた暗黒の奔流が放たれると、あっという間に紅魔炎に食らいつく。

 少しくらい反発するかと思いきや、ベルファールの魔法は炎を食い潰す勢いで結界だけを見事きれいに消し飛ばした。


「あ、もしかして手加減してくれたのか……?」

「さすがに弱った妹女神を殺しては、姉の方に私が殺されるだろうからな」


 そうこぼして「ふん」と鼻を鳴らしたベルファールは、つまらなそうな顔をして監獄へと歩いて行った。

 死ぬことも止む無しと考えていた時から、多少考え方が変わったのだろうか? だとしたら良い変化だな。

 先を行くベルファールを追いかける形で監獄の入口までやってくると、扉の上に打ち付けられたプレートが目についた。『ゼイレム』それがこの監獄の名前らしい。

 このような場所にルミナス嬢を閉じ込めるとは、ゆるせん。

 わしは憤懣やるかたない気持ちを押し殺し、扉を押し開けた。

 と、いきなりガイコツ剣士のおでましだ。のん気に通路を歩き回り――しばらくしてようやくわしらに気づいたようで、空っぽの頭を振り乱してはカタカタと音を出し始めた。


「仲間に合図してやがるな」

「ってことは、少なからず雑魚はいるのね」

「あっ、終わったみたい。こっちに向かってくるよ?」

「もう終わってるよー」


 との楓の言葉にガイコツ剣士を注視する仲間たち。

 見ていると、魔物の背後からいきなり小太刀が飛んできて頭蓋骨を砕いた。そして何事もなかったように小太刀は楓の元に戻る。


「ホント便利だよこのお狐ちゃん。陰遁の影潜りと影刃殺組み合わせると面白い使い方できるしさ」


 影に潜む用の影に狐九重を落とし、離れた場所に出現させた影から武器や道具を投擲できる影刃殺で、小太刀を放ったことを楽しそうに語る楓。

 忍装束と引き合うという小太刀、狐九重の特性を生かした巧い技だと感心する。どこにいても戻ってくるのなら、これほど頼もしいこともないだろう。使い方も工夫次第だ。


「よし。では適宜雑魚を処理しつつ、ルミナス嬢の待つ牢へ急ごう」


 暗闇の中、クロエのトーチライトの魔法で照らしながら一階を探索する。

 しかし次々に牢を覗いていくも、骨となった骸ばかりだった。中には骸がいきなり組み上がり襲い掛かってくることもあり、逸る気持ちだけが前のめるため次第に雑魚処理に億劫さを感じてきた。

 まるで腹いせのような攻撃をしていることに気づき、わしはふと冷静になる。

 急いては事を仕損じるという言葉がある。焦りは禁物だともいう。ここはいったん落ち着こう。何を雑魚に苛立つことがあるというのか、わしは真の勇者なのだと自身に言い聞かせて。

 そうやって頭をクリアにしたところで、地下への階段がある牢部屋を見つけた。

 どうやら地下構造を持つ監獄のようだ。

 まあ、端から一階だけだとは思っていないが……。


 地下へ下りると、一層空気が冷え込んだのを肌で感じる。埃臭くカビ臭い。

 しかしますますもってイライラするな。麗しのルミナス嬢をこのような……。

 しかも一階はガイコツ剣士と弱かった魔物も進化し、三対の腕を持つ亜種スケルトンマーダーが出てくるようになった。オルフィナの家の防衛の際に出てきたという魔物だろう。

 だが亜種だからと手こずることはない、皆ワンキルというやつだ。バラけた骨の量が増えただけで邪魔としか思えん。

 そうこうしながら地下一階も探索を終えたが、大して収穫はないまま、廊下の角に隠すように蓋をされていた階段を下りて地下二階へ。

 すると、空気がただ冷たくなっただけではない不穏な気配に、肌がゾワッと粟立つのを感じた。


「間違いなく、なにかいるなこれは……」

「雑魚のランクも上がったみたいだぜ」

「レイスにデュラハン、イブリンにローストですって」


 レイスは得体の知れない亡霊でデュラハンは首のない騎士。イブリンは顔色の悪い女のアンデッドで……ローストは、ギャグなのか炎に包まれた黒い骸骨の魔物だ。炙る肉もないというのにローストとは……。

 しかし強さを増そうが雑魚は雑魚、所詮わしらの敵ではないッ。

 バッタバッタと斬り伏せ殴り倒し焼き尽くしながら奥へと進む。

 それにしても監獄は簡単な順路だから探索が楽でいい。

 そうしてやがて辿り着いたのは、鉄格子の牢と牢の間の通路奥に設えられた頑強そうな鉄の扉だった。これ見よがしでなんとも分かりやすい。

 妖しげな気配も奥から感じられる。


「この奥に女神様がいるんだね」

「おまけにボス的なやつもねー」


 囚われの女神を助けに行く勇者か……まるで絵本の主人公だ。平和になった暁には、いつか絵本を出してみるのもいいかもしれん。『勇者ワルドの冒険』なんてな。絵も文も書けんが。

 苦笑を浮かべながら扉に手を掛けて、わしはそっと押し開けた。

 冷気が風とともにぶわっと吹き抜けた途端、狭い部屋の床に円状に並べられていた小さな燭台へ青白い炎が灯り始める。

 その中心に居たのは、黒いローブを着込みフードを目深にかぶった背の高い骸骨だった。

 眼窩の奥の赤い光がこちらを覗いている。「……フシュー」と白い息を吐き出して、魔物は低い声音で言った。


「よく来たな勇者一行」

「ルミナスの姿がないが、どこへやった……」

「女神ならこの奥の部屋にいる」


 骨だから当然だが、骨ばった指で背後を指さす魔物。


「……無事なのだろうな?」

「無事かどうかは確かめたらどうだ、このリッチを倒してからな」


 リッチと名乗った骸骨は冷気を伴った魔力を高めた。悪寒にも似た寒気とともに皮膚感覚が徐々にマヒしていくようだ。

 だがわしは冷静に盾の魔法障壁を発動し皆を守る。

 そして女子たちを背に庇いながら、彼女らに問うた。


「あやつの始末、わしに任せてくれんか?」

「あたしは別にいいけどよ。さすがにこの部屋で六人が戦うとなると狭すぎるしな」

「思っていた以上に弱そうですし、私もかまいません」

「勇者さん、レジストは……っていらなさそうだね」

「オジサンがんばれー」

「すまんな」


 魔法障壁を解いて鞘から剣を抜き放つ。文字通りに輝く輝聖剣アールヴェルクをな。

 リッチはそれを嘲笑うようにカタカタと歯を打ち鳴らした。


「この私が弱そうとは、ずいぶんと舐められたものだ。四天王デスタルク様の右腕として名を馳せた最高の魔術師のこの私がな」

「デスタルク?」

「四天王最強にして不死の王のことだ」

「それは知っている。わしらが倒したからな」


 わしがそう言うと、リッチはだらしなくあんぐりと口を開けしばし固まった。


「ハッ、嘘を言うな。不死の王が死んだら不死が嘘になるだろう」

「だから、わしらが倒したと言っているのだ。わからん骨だな。……もしかして、こんな場所に閉じこもっていたから外のことを知らんのではないか?」


 肺もないのに息を呑むように口を閉じると、魔物は目らしき光を猜疑的に細めてわしを見てくる。


「頭の悪そうなお前さんにも解りやすく言ってやるとだな、四天王はベルファールを残してすべてわしらがやっつけたのだ。その証拠にほれ」


 言いながら顔を向けた先にいたベルファールを、リッチもつられて見る。顎が外れそうなほど口を開いて驚愕を露わにした。


「なぜ勇者一行とともにいるのですかベルファール様! しかもそれはイグニスベイン様のクリムゾンラウヘル! まさか裏切ったのですかッ!?」

「誰だ貴様は? なぜ私を知っている」

「魔王軍で四天王を知らないやつなどいません! そんなことより、大魔王様を裏切りあろうことか勇者に寝返るなど魔物の風上にも置けない愚行!」

「断っておくが、私は魔族であって魔物じゃない。それに寝返ったのではなくただの捕虜だ」


 冷静な口調で言葉を返したベルファールだったが、その声音がじゃっかん低いことが気になった。

 まさかなと嫌な予感がしたが、まさかが本当になるとは……。

 彼女は苛立つようにリッチを睨みつけ、魔炎剣から再び火を噴かせたのだ。

 制止しようと伸ばした手はすでに遅く――


「……それとついでに言っておく。貴様のような雑魚に謗りを受ける筋合いはない――失せろ」


 振り下ろされた大剣は、炎の尾を引きながら弧を描いた。

 リッチは左肩から右の腰元までザックリと両断された刹那、爆炎とともに燃え上がる。「ギャァアアアア!」と断末魔を上げた後には、炭化した骨粉と鍵だけが残された。


「あ、あぁ……わしが倒そうと思っていたのに」

「あの程度の雑魚を狩ったところで大して経験値になりはしない」

「それはそうだろう。なにせ二番目に倒した四天王の側近だからな。わしも経験値など期待しとらんよ。それよりも、扉の前にいた魔物を倒したという実績が重要で肝要なことなのだ。それをお前さんときたら……」


 一人ぶつぶつと文句を垂れていると、骨粉から鍵を拾い上げたライアがわしに差し出して言った。


「ほら元気出せよおっさん。一番乗りで部屋に入ればいいだろ。女神が待ってるぞ、早く行ってやろうぜ」


 わしが倒したと報告したかったのになぁ。という気持ちはやはりあるが、ここは気を取り直して鍵を受け取る。

 うむと頷き返してわしは扉の鍵を開けた。

 部屋に入ると、ぼんやりとした燭台の灯りが室内を照らしていた。小さな部屋だがここにも鉄格子。小部屋の中にまた牢を作ったようなそんな感じだ。

 蝋燭の火に揺れる影を見つけ、わしは急いで鉄格子の扉の鍵を開けて中へ入る。

 鎖に両腕を繋がれ、鉄球付きの足枷を嵌められた哀れな姿。真っ白だったであろうローブも煤やら埃で汚れ、出会った時の姿がまるで嘘のようだが……見紛うことなきルミナス嬢がそこにいた。

 アルノームで出会った時がもはや懐かしすぎて、なんだか泣けてきそうだ。

 疲れ果てているのかはたまた意識がないのか、彼女はピクリとも動かない。

 わしはアールヴェルクを用い、急いで枷をすべて壊していく。

 倒れかけた体を優しく抱きかかえ、その顔を覗いた。

 体に傷があるだとか、血色が悪いというようなことは全くない。だが念のため、クロエが単体全回復魔法の「クラウセンディア」を使って回復を試みる。

 それから少しして、ルミナスの瞼がわずかに動いた。


「う……ん…………」

「ルミナス嬢、気が付かれましたかな?」


 そう声をかけると、重そうな瞼を開いてわしを見つめてくる。

 蝋燭の灯りが揺らめくその向こうで、美しい碧眼が振れた。

 やはり双子と言えど雰囲気は違うものだな。ルミナスの方がやわらかい印象を受ける。


「……勇者、様……?」

「うむ、お前さんが勇者に選定したアルノームのワルドですぞ」


 さっきから誰なんだよと、背後で声が聞こえたがそんなことは構わん。こういう口調にならざるを得んだろう。姫を救い出すのは英雄の宿命だから故。

 至極真面目な顔をしてルミナスの顔を見つめていると、ハッとしたように目を瞠り、いきなりわしに抱きついてきた。


「――――っ!? 勇者様!」

「おうふ」


 急な出来事に思わず変な声が出た。

 なぜならば、なるべく見ないようにしていたルミナス嬢の、それはもうおっきなおっきなおぱーいがだな、もうとんでもないくらいにわしの胸元へ押し付けられ――って、鎧が邪魔だ!

 あー、今すぐこの鎧を脱ぎ散らかしたい。チュニックも脱ぎ捨てて生まれたままの姿で抱きしめ合い思う存分お胸を堪能したいぃ!

 ……はぁ、なぜわしはこんな時に鎧を着ているのだろうな。涙に血が混じりそうだよ本当に。

 まあそのおかげで冷静さを取り戻せたから、この場に限って言えばよかったのかもしれん。ある意味な。


「ルミナス嬢、ご無事でなにより。立てますかな?」

「はい、支えていただければ」

「さささささ支えるッ?! どどどどこを??」

「肩に決まってんだろ、キョドってんじゃねえよおっさん」

「あいたっ!」


 久しぶりに頬を抉り込んできたライアの鞘。

 ルミナス嬢の前でみっともない姿を見せたなと思い、少し嬉しかったりしなかったりする。が、目の前で楽しそうに笑うルミナス嬢の笑顔を見られたから良しとしよう。

 わしはルミナスの肩を支えて立ち上がる。

 若干ふらつきながらも壁に背を預け、彼女は「ふぅー」と深く息を吐いた。


「みなさん、ありがとうございます。このようなところまで助けに来ていただいて」

「いや、わしらは当たり前のことをしたまでだ。囚われの姫君を救うのは勇者と相場が決まっているからな。そんなことより、ルミナス嬢も災難だったな。イグニスベインに捕らえられるとは」

「姉さんから聞いたんですね。こちらへ戻って来られたまではよかったんですけど、まさかラグジェイルに転移するとは思わず、このような形に……」

「ルナリアもずいぶんと心配していたぞ」

「姉さんはああ見えて、とても心配性なので」


 ふふっと仕方なさそうに笑うルミナス。

 それならば、わしなんぞが勇者に選ばれてしまった際にはかなり取り乱していたことだろうな。その瞬間をぜひ見てみたかった。


「ところで、ルミナス嬢はこれからどうするのだ?」

「私はいったん塔に戻ります。少しでも力を取り戻さないと」

「それもそうだな。ルナリアも会いたいと思っているだろうし、それが良いだろう。転移は大丈夫なのか?」

「それが……」


 と、いったん言葉を切ったルミナス。なんだか言いにくそうな表情をしている。

 先を促すようにライアが訊ねた。


「なにか問題でもあるのか?」

「姉さんから聞いていると思いますが、私たちは女神の塔じゃないと力を取り戻すことが出来ないんです。それは魔王城に住む魔王も同じなのですが」

「ということは、力を失ったままで今も転移ができないということかしら?」

「はい。なのでクゥちゃんを借りるしかなくて」

「わたしたちなら大丈夫です。クゥちゃんと一緒にルナリア様の元へ戻ってあげてください」

「……ひとたび魔王城へ入ると、出てこられなくなりますが」

「そんなこと気にしなくても、アタシたちなら大丈夫だよー。準備ならしてきたしさ」


 皆の顔を見渡したルミナスは、安心と期待と信頼と、様々な感情をその笑みでこぼした。申し訳なさそうな顔はしなくていい。わしらなら大丈夫だと、わしも大きく頷く。


「……ありがとう、みなさんの気遣いに感謝します」


 丁寧なお辞儀をしたのち顔を上げたルミナス。ややあって、わしの顔を見るなり「ふふっ」と小さく笑った。


「ん? わしの顔になにかついておるか?」

「いえ、そうじゃなくて。覚えてますか? 酒場で私の谷間を弄ったこと」

「なにをおっしゃるウサギさん。あの時の感触はいまもこの手に宿っておりますぞ」

「え、勇者さんそんなことしてたの……? 公然で……?」


 クロエの冷めた言葉にふと我を取り戻す。


「どわどわーっ!! ちがうのだ、わしも弄りたくて弄ったのではなくてだな、勇者もどきに背中に張り付けられた紙くずを丸めてポイ捨てしたら、たまたまルミナス嬢の谷間にすっぽりはまってしまい、それを取るために止む無くだな……」


 疑心の塊のような視線でわしを見るクロエ。女神はそれに対してやわらかく微笑みを返して続けた。


「あの時を思うと、とても成長しましたね。私もまさかあなたがこんなところまで来られるとは思いもしなかった」

「なに、わしだけではここまでたどり着けなかったよ。わし一人だったならば、あの元勇者の青年以下だったろうし、アルノームから出るなんてことは夢物語だったと思う」

「いい仲間に、巡り会えたんですね」

「うむ、わしの自慢の女子たちだ。それに皆可愛いしな」


 わしは女子たちに目を向ける。

 気まずそうに頬を掻くライアと涼しげに微笑むソフィア、はにかむクロエと照れ笑いを浮かべる楓、そっぽを向く微かに耳の赤いベルファールと、それぞれの反応が返ってきた。

 仲間の協力に改めて感謝するとともに、わしは告げる。


「ではそろそろ行こうか。こんな陰気臭いところとは早くおさらばしたいしな」

「そうですね、行きましょう」


 そうして女神を護衛しながら地上へ戻ったわしらは、再びクゥーエルの背に乗った。

 来る時にはクロエの魔法で消し飛ばした霧だったが。この結界は、セヴェルグの盾の魔法障壁を発動させればすり抜けられるということを教えられ、試してみたらスルスルと素通り出来た。

 そしてそのまま魔王城の霧も突破した後、わしらは城の中庭に降り立った。

 するとクゥーエルの背に残るルミナスが、わしにアイテムを一つ放り投げてくる。

 虹色に輝く小さな結晶だ。


「これは?」

「結界晶石です。地面に置くことで体を休められる結界を張ることが出来、全回復することができますよ。使用回数は三回までですが、お役に立てれば」

「ありがとう、大切に使わせてもらおう。女神の塔に戻ったならば、ルナリアにもよろしく伝えてくれ」

「はい。……ではみなさん、お気をつけて。ご武運をお祈りしています」

「うむ、必ず平和を取り戻すと誓おう」


 羽ばたき飛翔したクゥーエルの進路を拓くように、クロエがまた光属性の「プルヴィスセレネート」を放つ。

 霧が再び覆う前に、クゥーエルは無事ルミナスを連れて島から脱出できたようだ。霧の覆った見上げる空に、彼女らの姿はない。

 一安心し、わしは城へと体を向けた。

 真っ黒い外壁の不気味な城は、沈黙を守り静かに待ち構えている。

 大魔王との決戦、ただその刻を――。

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